第一話 路地裏の出会い

 不思議な喫茶店で仕事を受けた私は、行きよりも軽い足取りで帰路へつく。

 細い路地を抜け、大通りへ出て辺りを見渡すと、もう深夜だというのにそこそこの数の人が出歩いている。恐らくは、そのどれもが魔術師なのだろう。

 とはいえ、わざわざ表で人を襲う魔術師は滅多にいない。気負わずに歩き、何本目かの路地に差し掛かった時、不快な、そして嗅ぎ慣れた匂いに気付く。だ。


 この町では、流血沙汰は日常茶飯事だ。魔獣に人が喰われている時もあれば、死霊が暴れている時も、たまには魔術師同士の争いで血が流れる時だってある。

 今回もその一例に過ぎないとは思うのだが、どうにも胸騒ぎが止まらなかった。


「やっぱり……様子くらいは見てきましょうか」


 もし戦いになった時の為にトランクケースから何本かのを取り出し、見通しの悪い路地へと入る。

 蠅がうるさく飛んでいる暗い路地を慎重に進み、行き止まりが見えたところで、頭から血を流して死んでいる男を見つけた。

 その死体のそばには、ピンクの髪と全身に着けた金のアクセサリーが特徴的な、黒いパーカーの少女が佇んでいる。状況から見て彼女が殺したのだろうが、問題はそこではない。

 

 死んでいる男の顔には見覚えがある。

 その暗がりでも分かる特徴的な顔は、間違い無く私の探している誘拐犯だった。

 私が警戒しながら現場を眺めていると、死体を見つめていた少女は勢い良くこちらに振り向き、そばに死体があるとは思えない明るい声で話し始める。


「あ!ごめん、ずっとそこに居たのに気づかなくて。私に何か用?」 

「え?いや、貴方では無くその男に用があったのですが……少なくとも、貴方に対して敵意はありません。良ければここで何があったのか教えてくれませんか?」 


 向こうから急に、それも友好的に話しかけられるとは思っていなかったので少し困惑する。あの男が死んでいるのは予想外だったが、すぐに死んでいると知れたのはむしろ幸運だろう。それよりも、今はこの少女から情報を集める方が重要だ。


「別に面白い事はなかったよ?ここで休憩してたら人が来て、その人が急に襲ってきたから。それだけだよ?」

「……貴方の殺したその男、この町だとそれなりに有名な誘拐犯だったらしいのですが、何か知っていることはないですか?」

「ないよ?それにほら、死んだ人の話をしてもしょうがないよね。そんな事より、君も魔術師なの?」

「ええ。と言う事は貴方もですか?本当にこの町は魔術師が多いですね」


 誘拐犯を殺した彼女が何も知らないとなると、いよいよ仕事を終わらせる為の手がかりが無くなってしまう。

 ただ、彼女は幸いなことに死体への興味が無さそうだ。死体から少しでも手掛かりが見つかる事を祈りながら、事を荒立てないよう慎重に会話を続ける。


「私は別に魔術師じゃないよ?こう見えても私は悪魔……この時代でもベルゼブブで通じるかな」

「少なくとも魔術師には通じるとは思いますが、まさか貴方がベルゼブブ本人……人?だと言うつもりなんですか?それは流石に無理が……」


 ベルゼブブ。あまり宗教に詳しくない私でも知っている程には有名な悪魔で、一説には悪霊の頭とさえ言われる蝿の王だ。

 私の前に堂々とした笑顔で立っている彼女が嘘をついている様には見えないが、だからといって素直に信じられるような名でもない。


「まあ、この体は人に近いからね。言っただけで信じて貰えるとは思ってなかったけど……よし、こんな時は!」 

「……は?」

「聞こえなかった?戦おうって言ったんだけどな。君の疑問も私の疑問も解決できて、我ながらいい案だと……まあいいや、問答無用!」

「は?本当に何を言って……危なっ!」


 彼女の思考が全くもって理解できないまま、気づいた頃には数歩分の間合いが詰められていた。

 繰り出された拳をすんでの所で回避する。が、すぐに二発目の拳が飛んで来た。

 何とかトランクケースで受けたものの、強烈な打撃で腕が痺れる。どうにか注射器さえ刺せればいいのだが、そうすると間違い無く一撃は食らう事になるだろう。


「(肉を切らせて骨を断つ、それしかないですね。一撃貰っても死にはしないでしょうし)」

「勢いがないけど大丈夫?それとも、この時代の魔術師は戦闘が苦手だっ––––たり!」

「っ––––!でも、これで!」


 腹に一撃貰い、意識が飛びそうになる。ただ、その代わりに彼女の右腕にを刺す事が出来たので結果的にはこちらの勝ちだ。

 

「何これ……針?さっきからずっと持っていた……」

「先に攻撃して来たのは貴方ですから、恨まないで下さいね。!」


 彼女はすぐに後ろへ飛び私から距離を取ったが、注射器はひとりでに動き、劇毒が彼女の体内へと注入されていく。

 入っているのは私が錬金術によって作り出した、一滴で何人も殺せるような即効性のある毒だ。しかし、自らがベルゼブブだと言った彼女の言葉が本当なら、この程度で死にはしないだろう。


「痛っ!何、これ……毒?」

「ええ。私特製ですから、しっかり苦しんで反省して下さい。まあ、降参するなら解毒剤くらいは……は?」


 正直な所、この時点で私は勝利を確信していた。何と言っても、数ある毒の対処法の中で最も原始的な手段を取られるとは思ってもいなかったのだ。

 そう、患部の切り離し。それも、彼女はあろう事かを自ら千切り、地面へと落としたのだ。

 しかし、不思議なことに捨てられた右腕や彼女の肩からは一滴も血が出ておらず、理解の追いつかないその光景に私が放心しているのも束の間、辺りから大量の蝿が彼女へと集まっていく。


 四方八方から押し寄せる蝿に、思わず目を瞑る。

 次に目を開けた頃には彼女の落ちた右腕は消え、私の目の前には、前と何一つ変わらない笑顔で笑う彼女が居た。


「うんうん!気に入った!あんな毒も作れるんだね、現代の魔術師って!」

「気に入ってくれたのは……何よりですけど……何を、したんですか」

「ただ再生しただけだよ?この体は不便だと思ってたけど、小回りが効くのはいいかもね!」

「再生……そんな簡単そうに言われると困りますね……」


 取り敢えず、彼女に私を殺す気がないのは助かった。大量の蠅を操るあの力も、彼女がベルゼブブか、それに連なる何かである事の証明になるだろう。

 それに、彼女が素手で戦っていたのも私の力を見る為なのだとしたら、私はずっと彼女の手のひらの上で踊っていた事になる。

 何にせよ、今回は私の完敗だ。


「うーん、楽しかった!あ、そういえば、お姉さんの名前は?」

「私の名前?……灰吹はいふきすみれ。これで満足ですか」

「すみれちゃん?」

「そんな柄じゃないです……本当にやめて下さい」


 つい先程まで戦っていたのが嘘の様に平和な会話だが、それでも未だ私の腰は抜けたままだった。

 地面から何とか立ち上がった所で、本来の目的を思い出す。


「あ、忘れてた……貴方が殺したそこの男、何か言ってませんでしたか?」

「本当に何も無かったよ?急に襲われてむかついたから殺したけど……生かしといたほうが良かったかな?」

「生きていたほうが楽でしたが、それは私の事情ですから。それよりも今は––––お、ありましたね」


 死体の服にあるポケットを探り、鍵を盗む。元々の計画では毒で脅して家の場所ごと吐かせるつもりだったが、死んでいるのなら仕方がない。家を探すのは面倒だが、鍵があるのならどうにでもなるだろう。


「そういえば、すみれちゃんはこの後どうするの?」

「その呼び方はやめろと言いましたよね?……別に、今日やる事はないので帰るだけですよ」

「ふーん」

「聞いておいて興味なしですか……何にせよ、私は帰りますね。もう会う事もないでしょうが、さようなら」


 軽く彼女に手を振り、彼女の拳で少しへこんだトランクケースを持って、路地から出る。

 全くもって想像していなかった、少女の形をした悪魔との出会いに喜んで良いのかは分からないが、何にせよ魔術師であっても中々体験できない貴重な出来事には違いないだろう。


 仕事に関しては、鍵を手に入れただけ良かったのだと思うしか無い。それでも、今回の仕事が長丁場になることを覚悟する。

 それから二十分程歩き、私の住んでいるアパートの前まで来た所で、後ろから聞き覚えのある明るい声で話しかけられる。

 

「ここが家?何というか……古いね。それに何か憑いてない?」

「ちょっと待って下さいなんでここにいるんですか?!」

「え?君のことは気に入ったって言ったでしょ?」

「そうじゃないですし、そもそも気に入ったからって普通家まで着いてきます?帰って下さいよ」


 まさか、こんなに早く再会する事になるとは思っていなかった。それに、路地を出でからずっと私の後ろにいたにしては、足音はおろか気配すらなかったのも実に不気味だ。


「まあまあ、別に家に一人増えるくらい問題ないでしょ?」

「問題は大有りですよ……まあ、言っても意味はないんでしょうけど」

「あれ?やけに素直だね。もっと嫌がられると思ってたから、ちょっと意外」

「嫌がられるとわかっているのに来たんですね……」


 相手の都合なんてものは考えないその自分勝手さは、まさに悪魔というべきなのかもしれない。

 ただ、戦っては勝ち目がないと思い知らされた以上、私から強く言うことは出来ない。あの路地で戦った際に、私達の上下関係は出来上がっていた。

 部屋までついてくる気の彼女をできる限り無視しながらアパートの階段を登り、二階の奥にある私の部屋まで歩く。


「……本当にこんな所に住んでるの?上から凄い霊の気配がするんだけど。私はともかく、人間にとっては近くにいるだけで辛いんじゃないの?」 

「人間慣れればどうにでもなります。それに、三階に上がらなければ無害ですしね」

「どう考えても有害だし流石に除霊とかするべきだと思うよ?まあ、私がいう事じゃないけどね!」


 悪霊などは一応彼女の仲間なのかと思っていたが、気軽そうに除霊と言っているのでそうでもないようだ。

 私のことも気に入ったと言っているが、実際何を思ってそう言っているのかも測れない。案外、ただただ気に入られただけかもしれないが、悪魔に気に入られるというのも碌なものではない気がする。

 何にせよ、ドアの前で悩んでいても仕方がない。私の部屋を見て彼女がどんな行動を取るのかは分からないが、覚悟を決めてドアを開ける。


「全く、本当に疲れました。ここに帰ってくるのも何日ぶりかに思えてきますね」

「待って……本当にこんな所に住んでるの?ここで暮らすのは流石に……」

「何ですかその態度は。家まで着いてきて最初に言うのが文句です?」

「いやいや!足の踏み場があんまり無いし、服も散らかってるし、何よりも変なオブジェみたいに見えるあれ、でしょ?!」


 彼女が今までで一番慌てながら指を差したのは、紛れもなく私の実験器具だった。

 そもそも、私の部屋はそこまで散らかっているのだろうか。確かに部屋を片付けた記憶はないが、これまで何の問題もなく暮らして来たので、言われる程ではないと思う。


「……魔術師の部屋には物が増えるんですよ。それに、悪魔はこのくらいの方が落ち着いたり……しません?」

「物が増えるという所までは理解できるけど、テーブルの上に乗っている袋とか、あきらかにゴミだよね?流石に捨てようよ。しかも後半はただの風評被害だし!」

「……貴方に説教されるとは思っていませんでした。気に入らないなら帰ってくれて良いんですよ?」


 勝手に着いてきた彼女に怒られるのは納得がいかないが、私の家から帰ってくれるのならそれはそれで助かる。そんなことを考えながら、ソファーの上に乗っている本を無造作に床へ下ろし、肘掛けにトランクを立てかけつつ倒れ込んだ。

 彼女が何か言っている気もするが、一息ついて腰を下ろした私には容赦なく睡魔が襲いかかる。


 思い返せば、本当に長い夜だった。ただ依頼を受けて終わるつもりだったのが、少女の姿をした悪魔と出会い、探していた誘拐犯は彼女に殺されていた。おまけに、その彼女は何故だか私の家まで着いてきている。


「……」


 怒濤の出来事を振り返っているうちに、いつの間にか私の意識は眠りに落ちていた。

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