錬金術師・灰吹菫と蠅の王

不明夜

一章 魔導書を探して

プロローグ

 顔に吹きつける冷たい風に目を細めながら、夜の街を歩く。真夏以外は着ているこのコートだけれど、今日は流石に体が冷える。

 トランクケースと紙の地図を持った私の姿は、旅をしている様に見えるのかもしれない。ふと、そんな事を考えながら、路地へと入る。

 道を間違えてはいないだろうか。不安に駆られながらも数分程歩き、引き返そうかと思い始めたその時、ようやく目的の店へと辿り着いた。


「随分古い喫茶店のようですが……本当にここで合っていますよね?」


 店内から微かに漏れた光のおかげで開店中と窺えるが、用事が無ければまず立ち入ろうとは思わないだろう。いや、そもそも店だと気付くかも怪しい。

 少しの間扉の前で立ち竦んでいたが、外の寒さに耐えられずに店へと入る。


 天井から吊るされたランプは控えめに店内を照らし、深夜にも関わらずそれなりの数の客で賑わっていた。

 一見するとただの隠れた名店に見えるが、よく目を凝らすと一つの違和感に気付く。そう、事に。

 鬼に獣人、魔術師まで実に多種多様な生物がこの店には集っていた。その光景に少し感動していると、カウンターの方から声を掛けられる。


「お客様、こちらへいらっしゃるのは初めてでしょうか」

「ええ。待ち合わせに指定されたから来たけれど……ここは?」  

「何でもない喫茶店ですよ、お客様。いつからかの方が良く来られる様になった、それだけです。あと、お探しの方は一番奥の席にいらっしゃる筈ですよ」

「……ご丁寧にありがとうございます」


 こちらの腹の中まで見透かしているかの様な店主に恐怖を覚える。ただ、そんな店主だからこそ、こんな不思議な店が成立しているという事は確かだろう。

 ひとまずは、言われた通りに店の奥へと進む。そこでは、実に見慣れた、スーツにストールを巻いた特徴的な男がケーキを頬張っていた。


「お、来た来た。この店、ちょっと場所が分かりにくいよね。あ、貴女もどう?この店は珈琲もケーキも美味しいよ」

「相変わらず元気そうで何よりです、。……これから仕事の話をするとは到底思えない量のスイーツですね」

「こんな仕事をしてると、甘いものが欲しくなるからね。それで、今日は仕事の他にもう一つ話しておきたい事があるんだけど、どっちを先に聞きたい?」


 こうした喫茶店で美味しそうにケーキを食べる彼の姿は、とても裏社会や魔術に深く関わる情報屋には見えない。そして、そんな彼から仕事をもらう様になりもう数年になるが、どこまでが本心で、どこからが演技なのかを未だに図りかねている。

 ただ、一から十まで信頼できる訳で無くとも、情報屋というのは裏の仕事で生計を立てる魔術師にとって必要な人材だった。


「どうせ、両方話すんでしょう?なら、どちらからでも良いですよ」

「だったらどうでもいい……事はないけど、今回の仕事とは関係ない方から話すね。これはまだ噂程度の話だから、楽にして聞いてよ」 

「はあ、分かりました」 


 仮にも、情報を武器にして生き延びてきた筈の人間が、噂であっても情報を安売りするのはどうなのだろうか。実際の所、魔術師には噂話が膨らんだ様な伝承を追うことに人生を賭ける人だって珍しくは無い。

 彼は食べ終えたケーキの皿にフォークを置き、珈琲に角砂糖を入れながら話し始める。


「魔術……その中でもを扱う貴女の事だから、賢者の石の事は僕よりも知ってるよね?」

「ええ。何の制限もなく人を不老不死にする、いわば魔術による永久機関ですね。もっとも、そんな物は作れないと数百年前から結論は出ていますが」

「そうそう、僕は詳しくないけども作れないらしいんだよ。でも、そんなやばいのが既に作られてて、この世界にあるとしたら、どうなると思う?」


 どうなる、何て突拍子も無く言われた所で正直な所かなり返答に困る。彼の飲んでいる珈琲の香りに食欲を刺激されながら、渋々と思考を巡らせていく。


「そうですね……まあ、多くの魔術師や国を巻き込んだ賢者の石の奪い合いが始まるでしょうね。手に入れてしまえば、それこそ世界征服も夢じゃありません」

「やっぱりそうなのかな。でも、もし本当に賢者の石があったら、誰よりも先に回収してくれない?報酬は弾むからさ」

「……額次第で何だってやりますが、流石の私も世界中の魔術師を敵に回したくは無いですよ。そんなことより、早く今回の仕事について話してください」


 少し強引に話を本題に戻す。賢者の石にも興味はあるが、今の私としては一刻も早く目先の金に関わる話がしたかった。

 何せ、今の私には本当に金がない。訳あって紛失したスマホの買い替えに、訳あって派手に壊したバイクの修理費。錬金などと言う割に、お手軽に金を作れる訳ではない魔術の不便具合へと苛ついてくるほどには限界だ。


「そこまで急かさなくても依頼はするから、大丈夫。それに、今回はきっと貴女の得意分野だと思うし、安心して」

「得意?……まさか、前みたいに三日で大量の毒を用意しろ、なんて無茶は言わないですよね」

「いやいや、ただの物探しだから。毒で脅して聞き出すの、得意でしょ?」


 そういった事が得意だと思われていたのはそこそこ心外だが、困ったことに返す言葉が見つからない。それに、仕事が楽に終わる分には私から言う事は無いだろう。


「探して欲しいのは、なんと魔導書なんだよ。というのも、キマイラと呼ばれる魔獣の飼育方法が書かれた、この世で唯一の書物らしくて」

「魔獣……専門外の話ですね。何にせよ、その本のある場所は何処なんですか?依頼できる位には絞ってあるのでしょうけど」

「詳しい場所は分からないけど、心当たりなら。この町を最近騒がせている誘拐犯がキマイラを飼ってるらしくて……知ってる?」

「いいえ、全く。本当によくそんな情報まで掴んできますね。それにしても、こんな物騒な所で誘拐なんて、度胸のある人もいたものです」


 誘拐犯の心配をするのもおかしな話だが、そんな心配をしてしまう程にはこの町は危険に満ちていた。

 人口一万人程のよくある町。表向きには特筆するべきことも無い土地なのだが、ここには異様なほどに

 そして、魔術師が多いのならばトラブルも増え、当然の様に管理しきれなかった魔獣や死霊が町へ溢れる。更に、そうしたものを実験に使いたい魔術師がこの町に移住し、気付けば世界有数の魔術街となってしまったのがここ、出月いでつき町だ。


「度胸がある、という点に関しては同意だけど、それだけ相手は魔術師として実力があるんじゃない?油断しないで、確実に本を持ち帰ってね」

「言われなくても。心配するぐらいなら報酬の額を増やして下さい」

「善処はするけど……あ、忘れる所だった。これが犯人の顔写真と、前金」

「……これだけ?最近少しずつ額が減っていませんか?」

「その分、ちゃんと総額は増えている筈だから。昔みたいに爆破して解決、とかしなかったら問題ないと思うよ」

 

 渡された茶封筒の中身を確認し、少し落胆しながらも懐に仕舞う。最近は丁寧に仕事をこなしていたので、もう少し信頼してくれても良いと思うのだが、そこはお互い様という事か。

 封筒と共に渡された犯人の顔写真に関しては、かなり特徴のある顔なので探す際にそこまで苦労はしないだろう。


「……仕事は貰ったので帰ります。終わった時はどうやって連絡しましょうか。スマホがないので私からは連絡出来ませんが……」

「そういえばそうだっけ。じゃあとりあえず、一週間後にこの店へ来てくれる?」

「了解しました。それと、家のポストに直接手紙を入れるのはやめて下さい。危うく他のチラシと一緒に捨てかけました」


 一応軽い会釈をしながら、席を立つ。ただ仕事を受けただけなのにかなり疲れたが、これを終わらせさえすれば、当面の食いぶちには困らなくなる。


 あらためて気合を入れ直し、店から出る。

 

 

 


 

 

 


 




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