【彼岸と描いた未来】

 肌寒い季節。ひゅう、と隙間風の漏れる喫茶店からグレーがかった空をぼんやりと眺め、物思いに耽る。こんな日には、私はいつもあの子のことを思い出すのだ。





「ひーちゃん! こっち!」


 紅葉色のワンピースにふわりと揺れる白いニットカーディガン。我ながら良い色選びだと思った。夕方でまだ暑いのに、もう秋だから寒い、なんて言うからびっくりするくらい着込ませてしまったけど。


「こっちだってばあ、早く」


 スカートの裾から黒いタイツを履いた脚が覗く。前よりもさらに細くなっている気がした。


 ここは小さな高台の公園だ。といっても、近くにまた別の広い公園があるのでこちらはいつも人が少ない。小さかった私達のいつもの遊び場だった。


「小さい頃よく来たよね」


「ゆうは毎回ここのちっちゃい岩でこけてたね」


「そういうのは思い出さなくてもいーの。っていうか、あんなとこに岩があるのが悪いんだから」


 そう言って彼女はむすっとした。その髪が陽の光を受けて淡く輝いている。そんな顔したって可愛いんだから、と言うのはやめておいた。


 明日、彼女は入院する。病名は何も聞かされていないけれど、彼女のお母さんによるとかなり深刻な状況らしい。傍から見ればこんなに元気そうに見えるのに。


 もちろん、私は彼女の些細な変化なんかにも気付ける。気付けるけれど、彼女は隠すのが上手すぎる。今だってデートだとか言ってにこにこしながら狭い公園をうろうろとしているし。


「ブーツは大丈夫? 足痛くない?」 


「今のとこ大丈夫」


 私が選んだブーツはヒールも高くないし、大丈夫だとは思ったけど聞いた。足をくじいたり靴ずれしたりした時のための換えの靴や絆創膏などもちゃんとあるから問題はない。


 ワンピースとカーディガンによく似合う色をチョイスしたのもあってか、彼女はだいぶ様になっているというか、まるでモデルみたいだった。


「あっ見て見て! 真っ黄色の彼岸花! あっ、ピンクもある、きれいだねえ」


 彼女は公園の角に咲く花を見つけて駆け寄っていく。私も追って、それを見た。


「そんなに珍しいものかなあ」


 ぽつり、ぽつりとそれぞれ離れて咲いている彼岸花たち。かがんでそれを見る。どこか寂しげで、儚さを感じた。


 幼い頃はいつもこの辺りに彼岸花が咲いていたから見慣れたものだと思っていたけれど、そういえばここに来るのは久しぶりか。確かに、久しぶりに見るとさらに綺麗に見えるような気がした。


「いやあ秋といえば彼岸花でしょー、あとお月見!」


「お月見か」


「そういえば来週満月なんだっけ」


「そう、確か火曜日。ちょうど台風来るらしいけど」


「秋って感じだねえ」


「そうだね」


 でもその月を、彼女は見ることができるのだろうか。台風だとか、そういうのではなく。その日まで彼女は生きていられるのだろうか。


 その横顔がひどく切なく、今にも消えてしまいそうに見えて私は言った。


「ゆうの病気、入院したら治るの」


 彼女の肩がぴくりと揺れた。見逃さなかった。


「いやー、それがね? 結構やばいらしくて入院長くなるかも〜って感じなの、いやでも大丈夫! すぐ治るよきっと!」


「ゆう」


 私は知ってる。彼女には嘘をつくときに変にテンションを上げる癖があるって。


 ごまかすのは上手なのに、嘘をつくのは本当に下手。そりゃあ小さい頃からずっと一緒にいたら、それくらい分かるようになる。


「嘘、つかないで」


 その瞳が揺れる。取り繕われていた笑顔が、崩れるのが見えた。震える声で苦しそうに呟いた。


「――――しにたくないよ」


 途端、私の中の何かが溢れて、止まらなくなった。どうして、あなただったんだろう。代わりに他の誰かが死んでくれればいいとすら思った。


「ひーちゃん、わたし、」


 言葉を選んでいる彼女を引き寄せて強く抱きしめ、深く、深くキスをした。衝動に身を任せ、舌を絡め合う。それはまるで毒みたいに私達を溶かして、ぐちゃぐちゃに混ぜていく。今までしたことのない、なにかを埋めるような、慰めるような口づけ。


 彼女の熱を感じていると、とんとん、と背中を軽く叩く感覚。名残惜しい気持ちを隠して、そっと顔を離した。


「ね、長いってば」


 火照った頬をそっと撫でると、彼女は小さく声を漏らす。腕を回した腰や肌の肉感から、やっぱり痩せたなと改めて思った。




「私と死のうよ」


 思わずこぼれ出た私の言葉に、彼女は目を見開いた。


「だめだよ、何言ってるの。ひーちゃんはまだ、生きれるでしょ」


「ゆうと一緒がいいの」


「ばか、なんで、そんなこと言うの、……絶対にやだ」


 彼女がはっきりと拒絶したのは、今までで初めてのことだった。


「なんで」


「ひーちゃんは、デザイナーになるんだよ、約束したじゃん」


「だったらゆうはモデルになるんだって」


 幼い頃の約束。私がデザイナーになってデザインした服で、モデルになったゆうがランウェイを歩く。そしていつかは私がデザインしたウェディングドレスをゆうと一緒に着て、結婚式を挙げるんだ、って。


「私は無理だよ」


「でも」


 私の言葉を無言で遮る。




「死んじゃうんだよ」




 沈黙が、少しの間その場を支配した。


「私、ちゃんと見てるから。ひーちゃんは夢を叶えてほしいよ」


 私は何も言えなかった。十七時の音楽が公園に虚しく響く。


「……帰らなきゃ」


 目を伏せ、彼女はそう言う。


「……うん」


 どうしようもなくて、そう返事をした。まだ日は高く昇っているのに、どこからかやってきた雲がその明かりを塞いで閉じ込めていく。生暖かかった空気はだんだんと冷えて私の肌を撫でる。


 




 それ以来、ゆうに会うことはなかった。






 彼女はもう、この世にはいない。残ったのは乾いた骨だけだった。私の隣で笑うあの顔も、もう見られなくなって十数年が経つ。


 入院中は会うことを拒否されてしまって、あの後ゆうがどうやって生きたのかは知らない。でもたしかに、私も彼女に弱っているところは見せたくなかったし、やっぱり似た者同士なのかもしれないなと思った。


 テーブルの上に開いたパソコンの画面に映るファッションモデルの姿。私のデザインした服を着て、爽やかな笑顔を見せている。彼女はゆうにどこか似ていて、だけどやっぱり全然違う。


 冷めたコーヒーをぐっと飲み干して、パソコンを閉じて席を立つ。


 窓の外で白い彼岸花が風にゆらゆらと揺れて、私に手を振っているみたいだった。



――――彼岸花「想うはあなた一人」

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