あなたに花を、私に言葉を
冷田かるぼ
【幸運の運び屋】
桜の散る季節、僕は高校生になった。
入学して数日、落ちた花びらを踏みしめながら、校門への坂を登る。緊張しつつも、新しい生活に胸を躍らせていた。ほんの少し肌寒い風が吹き上げる。まだ着慣れない制服がむずがゆくて落ち着かない。
風が吹く度に、木々の葉が揺れる音が耳に入る。それが心地よくて、つい聞き入ってしまう。耳をすましていると、誰かの声がした。
「ない……」
その方向を見てみると、茂みにしゃがみこんでいる女子がいた。どうやら何かを探しているようで、リュックを背負ったままがさがさと草むらをかき分けている。風に揺れる黒いポニーテールが綺麗で、つい見とれてしまった。心の中で何やらうずく気持ちを抑え、話しかけてみる。
「あの、何か探してるんですか?」
僕の声に反応して、彼女は振り返った。目が合う。横髪を耳にかける仕草。どきりとした。つい視線をそらしてしまう。
「あはは、しおり落としちゃって……」
眉尻を下げ、困ったように笑っていた。なんだか放っておけなくなって、思わず申し出た。
「僕も一緒に探します!」
そう言うと、彼女はびっくりしたような顔をした。でもすぐに微笑みを向けてくれる。
「ありがとう、君優しいね」
そんなこと言われたことがなくて、恥ずかしくなった。初対面の僕にそんなこと言ってくれるなんて、優しいのはあなたです。そう言いたいのをそっとしまい込んで茂みに手を伸ばした。
「どういうしおりなんですか?」
「四葉のクローバーの押し花をしたやつなんだけど……」
四葉のクローバー、の押し花。何か思い出でもあるんだろうかなんて考えてしまった。さすがに初対面でこれはひどい、やめとけ、僕。
しおりを茂みに落とす、というのも謎だけど……大体どうしてこんなところでしおりなんて持ってたんだろうか。……これ以上勘ぐるのはやめよう。……失礼だ。
「たぶん君一年生だよね? 時間大丈夫そう?」
僕の目を見てそう呼びかけ、心配してくれた。時間は正直まだまだある。むしろ早く来すぎたくらいだった。
「大丈夫です、あなたは……」
「私はちょっと急がなきゃかな、……諦めなきゃかも」
顔を背けて、明らかに悲しそうだ。諦めるなんて本当は嫌なんだろう。見つけてあげたい、と強く思った。
「なんとか見つけます」
「頼もしいなぁ」
そう言って笑ったあなたが、僕に余計頑張ろうと思わせてくれる。この人、ころころ表情が変わるな。……この感情に、名前をつけたくなかった。まだ、断定するには早すぎる。
「四葉のクローバー……」
「花言葉は『幸運』なんだよ」
二人で探しながら、ちょっとした話もしつつ。たったの十数分が何時間にも感じるくらい、緊張していて。
「……あ!」
少し遠くの低木に、絡みついたしおりを見つけた。この時間が終わってしまうことに名残惜しさを感じつつも、それを手にとって彼女に差し出す。
「よかったぁ……見つけてくれてありがとう」
「いえ! ……良かったです、本当に」
そう、本当に良かった。もしかしたらもう会えないかもしれないけれど、それでもこんなに嬉しそうなんだから。寂しい気持ちは見ないふりをして、僕はにっこりと笑った。
「えへへ……それじゃあ、またね!」
彼女は校舎に向かって走っていった。彼女は、僕と『また』があると思ってくれたのだろうか。そう考えると、どうにもそわそわしてしまった。どきどきと高鳴る心臓の音が、ずっと耳の奥に響いていた。
入学してしばらく経ったということで、今日ようやく部活の見学が始まった。クラスで浮いているとも馴染んでいるとも言えない僕は、一人で入部希望の部活を回ることになった。運動系の部活は視野に入っていない。
僕が気になっていたのは『読書同好会』。図書部とは別にある部活にも満たないその同好会は、なんだかすごく魅力的に感じた。活動内容は読書するのみ。週二回集まって本について話したり、読書感想文のようなものを書いたりするらしい。一番驚いたのは、現在の部員は二年生一人だということ。一人でどうやって活動してきたんだろうか。
そんなことを考えつつも、活動場所である図書室に着いた。最近は毎日と言っていいほどに来ている場所だけど、部活の見学となるとつい緊張してしまう。そっとドアを押して、中に入った。
そこには、この前のあの人がいた。ただ、座って本を読んでいた。他の誰も寄せ付けないような雰囲気だった。この前とはまた違う、異質な空気をまとっている。この人だ、と思った。部員が一人の読書同好会でも関係ないほど、本が好きなんだろうということが見てわかる。部活の見学が来ることなんて想定していないみたいだ。完全に本の世界にのめり込んでいる。
……どうしよう。集中しているところをお邪魔するのも悪いし、今日はやめておいたほうがいいだろうか。踵を返して図書室から出ようとした。
「あ、この間の子」
どうやら気付いてもらえたみたいだ。しかも、僕のことを覚えてくれている。それだけでほんの少し、気分が浮つく。
「もしかして読書同好会に興味あるの?」
彼女はにこにことして僕の顔を覗き込んだ。ポニーテールが揺れる。
「あ……はい」
思わず声が裏返った。ち、近い。下手すれば体が触れてしまうような距離。彼女は誰に対してもこうなんだろうか。そう思うと少し心配になるけど。
「本当!? どうしよう、めちゃくちゃ嬉しい」
文庫本を手に持って、図書室をうろうろしてははしゃいでいる。かわいいな、と思うと同時にそんなに嬉しいのかと心が浮ついた。部活紹介からして孤独をいとわないような人だと決めつけていたけど、そんなことはないんだ。
少し、安心できた気がした。
「
「はい」
入部してしばらく経った。相変わらず部員は増えず、僕と先輩の二人だけだ。図書室にもこの時間はほとんど人がいない。
「この本のね、ここなんだけどさ……」
とたとたと僕の側に寄ってきて、本を開いて見せてくれる。指を差された一文を読んでみると、確かに綺麗な表現だなと思った。彼女はこうして小説の好きな箇所を共有するのが好きらしい。
「いいですね」
「でしょ〜!?」
共感の言葉をかけると、目をきらきらさせて腕をぶんぶんと振った。ちょっとオーバーリアクションなところもあるけど、見ていて飽きない。
ある程度話をしてお互い読書に戻る。本を読む先輩はやっぱり綺麗だな、と思った。活字を追いかけるその瞳はとても真剣で、僕はどうしようもなく彼女が好きなんだ。そう認めてしまうと、なんだか少し恥ずかしいような気もするけど。
そう考えていたとき、ふと彼女は顔を上げて、……目が合った。
「あのさ……遥斗くん、私じゃなくて本読むのに集中しなよ」
恥ずかしそうに本で口元を隠し、彼女は口ごもった。……ずっと見てたの、ばれた。顔が熱くなる。あからさますぎるだろ、僕。流石に焦る。なんて言っていいかわからない。
「は、えっ、あ、す、すみませんッ!」
必死に謝罪の言葉を絞り出した。でも、恥じらう彼女も可愛いなとさえ思ってしまう。自分でも惚れ込みすぎだとは思うけど仕方ない。まだ残る熱で頭がふわふわする。もう少し、彼女のことを見ていたい。そして、このままずっと……。
「好きです、先輩」
「……え」
思わず溢した言葉は、僕にとっても無意識的なもので。耳まで真っ赤になった彼女と、冷や汗をかく僕。照れるより先に焦りが出てきてしまった。言ってしまったものはどうしようもない、これはチャンスなんだ。そう言い聞かせて必死に続きの言葉を紡いだ。
「好きなものに真剣に向き合ってるところとか、本読んでるときの先輩の表情とか、すごく優しいところとか……実は最初から、しおりを探したあの時から、そのっ……とにかく、好きで」
「遥斗くん」
僕を呼ぶ声に、はっとする。冷静になる。何言ってるんだ、僕。顔の熱は増していく。心臓の音が、耳いっぱいに鳴り響く。もう彼女に聞こえてしまうんじゃないかというくらいだった。
「褒め過ぎ」
彼女は小さくつぶやいた。その表情が可愛らしくて、愛おしくて、もうどうしたらいいかわからなくなってしまった。彼女は深く息を吸って、そして言った。
「……私も好きだよ」
その言葉に、僕は思い切り顔を上げた。恥ずかしそうに目をそらして、彼女は外を見ている。息がうまくできなかった。
「……あの」
「二回は言わないからね?」
まだほんのり赤い頬のまま、いたずらっぽくあなたは笑う。胸がぎゅっと締め付けられた。苦しくはない、心地よい痛み。これが恋なんだ、と改めて実感する。
「付き合って頂けますか」
彼女はもともと大きな目を見開いて、そして、くすくすと笑いだした。なんだか僕は馬鹿みたいになって、つられて笑う。
「はい」
もしかしたら今が人生で一番幸せなんじゃないかってくらい、僕の心が幸福で満たされていく。
僕達を結びつけてくれた四葉のクローバーのしおりは、本の隙間から見守っていた。『恋人同士』となった僕達を、静かに見つめている。彼女は今度一緒にもう一つ四葉のクローバーを探しに行こうと言ってくれた。幸運の運び屋は、どうやらとことん僕達に甘いみたいだ。
――――四葉のクローバー「幸運」
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