ハンカチ
見つめ合う俺と響。いや、そんな状況じゃねえだろ⁉ 早く警察行けよ。もしくは店の人に保護してもらえよ。
「え、えっと、わたし間宮響って言います。助けてくれてありがとうございます」
響が俺に向かって頭を下げる。……こいつマジで気がついてないのか? 俺そんなに変わったか? 髪型を変えて服装を変えて、伊達メガネもやめて、背筋を伸ばしているだけだ。絶対嘘だろ? 顔は変えてねえよ。
知らないふりして後で俺の事を馬鹿するんか? いや、こいつはもっと直接的に馬鹿にする女だ……。
「い、いや、大した事してねえ」
「そんな事ないです! わたしの命を救ってくれました! あ、あの、この後事務所でお礼をしたいので一緒に来てくれませんか? 無理なら連絡先だけでも……」
マジでバレてねえよ⁉ こいつアホの子なの? ちょ、待てよ。面倒だから言っちまうか。
「あのな、俺は――」
その時、客から悲鳴が上がる。確実に内蔵を破壊したはずの男がむくりと起き上がった。
俺と響を一瞥して窓に向かって走る。ていうか、ここ二階だぞ⁉
男は豪快に窓ガラスを割って店から脱出したのであった。
「マジかよ」
窓から確認すると男が走って逃げていくのを確認できた。
というかパンケーキ食えてねえ……。ここにいたら警察のアレとか面倒だから早いとこ逃げたい。
なのにさっきから響が腕を掴んで俺を逃さない。
「い、いつもの事だから大丈夫です。今日はたまたま警護の人間がいなくて……。あっ、血が出てますよ……」
手の甲にかすり傷があった。ほんのちょっとだから痛くもなんともない。血もすぐ止まるだろう。
「うんしょ、うんしょ、これでもう大丈夫です! えへへ、ハンカチは今度会ったときに返してくれれば大丈夫です。大事なハンカチだからなくさないで下さいね!」
ていうか、このハンカチ……俺がガキの頃プレゼントしたやつじゃねえか!
あれは小学校四年生の頃だ。
その頃から響の態度は段々と変わり始めていた。それでもまだ一緒に遊んでいた。
『響ちゃん、誕生日プレゼントはこのハンカチで良かったんだよね』
『あっ、本当に買ってくれたんだ。高いから絶対買えないと思ったのに……。えへへ、ありがとう。じゃあおまじないしようか?』
『おまじない?』
『あたしの指に――こうやって巻き付けて――文哉の指にも巻き付けて、指切りすると願いが絶対叶うんだって』
『な、何を願うの?』
『そんなの決まってるよ。わたしと文哉が将来結婚するのよ!』
……
…………
そんな思い出のハンカチがいま俺の手に巻かれて戻ってきた。なんの因果だ、これ。
無性に悲しくなってきた。悪意のない悪意が一番心が痛くなる。
「あっ、ちょっとまって下さい! せめて連絡先だけでも――」
くそ、くそ、くそ、響は俺との過去の思い出は全部忘れているんだ。
俺もそんなもの忘れてしまえばいいんだ。
俺は走りながら涙を拭った――
****
というわけでサウナで反省会だ。
今日は疲れた……。途中までは調子が良かった。パンケーキ屋で響と隣の席になってからが最悪だ。
「昔の事を思い出すのはやめよう。俺は異世界に行くんだ。こんなに心が弱くてどうする」
サウナの石に向かって話す。イマジナリーフレンドみたいで話しやすい。
「……よし、悩むのはやめだ。前を向け、俺。明日は丸一日かけて異世界へ行くための公式を練り直す。もうちょっとでなんか掴みかけてんだよな」
異世界に行くための理論。俺の異世界ノートにはそれが記されてあった。俺の長年の研究の蓄積だ。
異世界に行くためには俺は死ぬほど努力した。中国のジジイから氣を教わっただけじゃなく、欧州で今でも存在している裏教会っていう怪しい組織に潜入した事もある。
アメリカでは自称宇宙人っていう奴と仲良くなった。
……異世界なんで行けねえのかな? 感覚でわかる、後少しなんだ。
***
「おう、葛之葉。今日は遅いな」
「あっ、滝沢おはよ! えへへ、流石に髪切ってイメチェンしたから恥ずかしいからね」
「だよな」
「うん、誰かに話しかけられたらどうしよう……」
「とりあえず一緒に学校行こうぜ」
「あっ、コンビニでジャンプ買っていい?」
「もちろんだ。俺にも読ませてくれ」
少し遅めの登校中に葛之葉とばったり出会った。葛之葉と話すと落ち着く。思考回路が似ているからだろうか?
「ねえ、なんか視線感じない?」
「感じ過ぎて無視してんだよ」
「認識阻害スキルとか持ってたらなー」
「気配なら消せるぞ?」
「本当! 今度やりかた教えてよ! わたし物理で殴る系だからさ……」
「見た目と随分違うな……」
「うっさいよ! なんか変な感じ。昨日もそうだけど、わたし、滝沢と普通に話してるね」
俺も葛之葉も同世代の異性と話すと緊張してうまく喋れない。年上の美魔女という設定だが、そこはかとなく仲間のように感じられる。
「これはまさしくパーティーだな」
「ん? わたし勇者?」
「違うだろ? 俺が勇者で葛之葉が……聖女? かな」
「ちょ、なんでハテナマークなの? 滝沢は執事でしょ!」
「そんなジョブねえだろ!」
すごく心地よい会話だ。こんな会話をずっと続けていたい。本当に異世界に行けそうな気分だ。
葛之葉は俺を会話をしていると、周りの目を気にしないようだ。
――しかし、なんだってこんなに視線を集めるんだ? 昨日の表参道でもそうだったな。まさかイメチェンの効果か? いや、それは無いだろ? 陰キャが髪を切ったくらいで――
学校に近づくにつれて視線の数が膨大になる。生徒たちのざわめきがより一層ひどくなる。
まあ気にしなくていいか。特に話しかけてくるわけでもねえし。
「ていうか、物理で殴る系って何ができるんだ?」
「うーんとね……、医術? とか」
「それ物理じゃねえだろ。やっぱ聖女だろ!」
「で、でも、棒持って戦えるよ!」
こうして俺と葛之葉は周りの変な空気を無視して、教室へと向かうのであった。
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