お出かけ


「……メッセージアプリの交換をしておけばよかった」


 週末の朝、俺はリビングでコーヒーを啜る。

 葛之葉とメッセージアプリの交換をしていなかったのを思い出した。


「まあ学校で会った時に話せばいいか」


 なんだろう、久しぶりに学校に行くのが楽しみになっている。


「それにしても魔法の詠唱か……。いや、あいつのは魔術か。俺の朝の日課なんだよな」


 今朝は調子が良さそうだ。今なら魔法が使えそうな気がする。

 俺は深呼吸をして精神を統一させる。伸ばした手のひらに力を溜める――


「シャイニング!」


 室内は静寂に包まれたままだ。今日も失敗だ……。まあ別に構わない。魔力の存在有無。俺の研究ではそれが判明している。魔力なんてこの世界に存在しない。

 なら、なんで創作家のみんなはあんな風な物語を書けるんだ?

 世界はファンタジーの物語で溢れかえっているんだ? 


 異世界があることは証明できない。逆に異世界が無い事も証明できない。猫箱は開けてみねえと分からねえ。

 世の中、理論だけじゃわからない不思議な事だからけなんだから。


 俺が中国でさまよっていたときに、変なジジイから氣の使いかたを教わったが、あれは魔法じゃない。

 ガキの頃に近所にいたジジイから教わった謎の技術。

それらは達人の域に達すると魔法のように見えるが、理論的に説明できる。ただ、魔法のように見える領域に達するには生涯をかける必要がある。


「よし、今日は洋服を買いに行くか。このオシャレ雑誌と同じもんを買えばスタイリッシュになれるだろ」


 俺は美容師さんから教わったやり方で髪をセットして普段着(ジャージ)のまま家を出るのであった。



 ****



「あ、ありがとうございました!! またのお越しをお待ちしております!!」


 とりあえず雑誌にのっていた服を適当に買ってみた。持ちきれなかったから配送をお願いして試着したものはそのまま着ることにした。


「これがオシャレ服か……。結構動きやすいな」


 異世界に飛ばされた時の事を考えると動きやすい方がいい。いつ何時ゴブリンに襲われるとは限らない。

 穴あき手袋もブランド物だとスタイリッシュに見える。


「ねえねえ、あの人……、モデルさんかな?」

「ちょっと声かけてみてよ」

「芸能人じゃないかな……」

「見たことないわよ! 原石よ、原石!」


 妙に自分の周りが騒がしい。さっきから変なおっさんに良く絡まれる。

 スカウトだのなんだの……。あれは絶対詐欺だ。俺は騙されないぞ。

 そもそもこんなおしゃれな街(表参道)に繰り出すのも初めてだ。


 街がオシャレすぎて行き交う人も多いから疲れる……。今日の目的はほとんど終わったからな。あとはパンケーキでも食べて帰るだけだ。


 あの雑誌に書いてあるパンケーキ屋さんは確かあっちのショッピングセンターに入っているはずだ。


 ふと葛之葉の事を思い出す。あいつもこの雑誌を見ていたからもしかしたらパンケーキ屋にいるのかもな。


 そう思うとなんだか足取りが軽くなった。

 よし、パンケーキ屋に行くぞ!


****



 ……

 …………


「ていうか、聞いてよ。あたしの幼馴染がさ〜」

「まみちゃん声大きいって!」

「えー、変装してるから大丈夫よ〜」


 小洒落た店員に案内された席でパンケーキを待つとよく知っている声が聞こえてきた……。

 隣の席に座っているのは響であった……、くそお前じゃねえよ⁉


 響は知らない女友達とお茶をしていた。

 女友達の方からチラチラ視線を感じる。響は俺の方を見ていない。多分バレていない。極力顔を隠すようにしなければ。


 異世界ノートを出したらバレてしまう。俺はスマホに入っている電子書籍のラノベを読み始めた。


「でね、そいつ超キモいんだよ。異世界に行きたいってずっと言っててさ」

「えー、ちょっと引くね。でも響の友達だからかっこいいんでしょ?」

「うーん、昔はね。今はモサい男じゃん」

「ていうか、響の恋バナって聞いたことないよ! その彼となんかあったの?」

「別に何もないよ。ただのパシリよ。他の奴らと一緒、あたしの事好きになっただけよ」

「さすがモテ女」

「でね、そいつクラス全員からキモがられてさ――」


 人っていうのは誰も見ていない時は本心を喋る。やっぱり響はもう友達でもなんでも無いんだな。

 ほんの少しだけ胸が痛くなる。


 大丈夫、こんなことは日常茶飯事だ。多分、異世界に行っても心が痛い事が沢山起きる。だからそれに耐えるための修行だと思えばいい。


 響たちが突然小声になった。

「……ねえねえ、隣の席の人かっこよくない?」

「……いや、顔見えないし」

「入った時みたの。超イケメンだったよ。着てる服もブランド物だし、きっとお金持ちだよ」

「や、興味ないわよ……。って、あれ? なんか見たことあるような……」


 まずい、俺の存在がバレてしまう。


「おまたせしました! 『サーモンベネディクトとオリーブのスフレパンケーキリコリス風味』です!」


 タイミング悪いことに店員がパンケーキを持ってきた。俺は店員の説明を聞きながら隣の席から顔を背ける。


「……もしかして、でもこんなところに来るはずないし、モサいし、バカだし、ダサいし、モサいし」


 早く食べたい。どうする? 気にせず食べるか? いや、絶対面倒なことになる。店員に言って席を移動するか? せっかくのパンケーキを冷める前に食べたい。




「あ、あの……すみません」

「ん? あんた誰? ナンパならあっちに行って頂戴」


 響たちが知らない男に話しかけられていた。よし、今のうちにパンケーキを食べよう。


 パンケーキを頬張りながら男を観察する。

 帽子を深く被り動きやすいジャージ姿。鍛えられた身体を隠しているが首の太さで筋肉量がわかる。それに拳が潰れていた。

 ポケットに手を入れている……。おかしな膨らみ方だ。


 俺がパンケーキを飲み込んだ瞬間、男が突然響の腕を掴んでナイフを取り出した――


「動くな。騒いだらこの女を殺すぞ」

「い、いた……、え……?」


 響は突然の出来事に頭が追いついていないのか呆けた声を出す。

 男は響の首に手を回して無理やり立たせる。


「いいか、この女は俺達を弄びやがった! アイドルなのに他の男と遊びやがって――」


 人は突然の出来事にとっさに対処できない。悲鳴も上がらない。濃厚な暴力の気配が恐怖を浮かび上がらせる。

 響の足が震えていた。女友達は真っ青な顔になっていた。店の奥で警察に電話をしている声が聞こえる。

 他の客は固まったまま動けずにいた。


 思考が加速する。

 響と過ごした幼少時代。執拗な変質者やナンパ変態野郎、誘拐犯まで現れたんだ。

 あの頃は響を守るのに必死だった。俺の大事な友だちだったからだ――

 過去形なのは寂しいけど、もう嫌われているから仕方ない。


 これで最後だ――

 俺は気配を消してヌルリと動く。誰も気が付かない。目の前にいるナイフ男でさえ俺を認識しない。


「はぐぅっ……⁉」


 ナイフを掴んで、男に腹パンを決めるのであった。癖で発剄を放ってしまったため、衝男の身体は宙に浮き上がる。


 男は地面に落ちてもがき苦しんでいた。あっ、内蔵やっちまったか? 


 とりあえず凶器のナイフを床に深くぶっ刺して誰も取れないようにする。

 よし、逃げよう。


 動こうとした次の瞬間、響が俺の手を掴んでいた。


「あ、あの待ってください! え、あれ? なんか見たことある顔……、わ、私の初恋の人に……そっくり、わたしたち前にあった事ありませんか?」


 こ、こいつ俺だってわかってねえよ⁉ じょ、冗談だよな?

 響はなぜかほんのりと頬を染めて俺を見つめるのであった……。






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