上京⑤

こうして落窪での暮らしが始まった。賃金が高いからと夜のシフトにばかり入っていたらいつの間にか昼夜逆転の生活になっていた。夕方五時に起床し、空っぽの胃に食料を入れ、小説を書く。午後十時から近所のコンビニのレジ打ちや、運送会社の倉庫で仕分け作業。早朝には新聞配達。朝七時にアパートに戻ってきて死体のように眠る。

 三月が終わるころには一応進学校と呼ばれる高校での生活を棒に振ってまで書き進めた小説が完成し、出版社に郵送した。廃部寸前の陸上部を救うため奔走する男子高校生のお話。かなり手ごたえのある書き上がりとなった。新人賞を受賞したときに父親がわかりやすいよう、ペンネームを捨て、本名で応募することにした。それほどの手ごたえだった。

 だから最終選考進出の電話が鳴った時も嬉しさは爆発していたが驚きはなかった。むしろ、今こうして雨の降りだした公園のベンチで俯いていることのほうが想定外のことだった。まあ、僕と同じように本気で小説家を志し、我こそはと応募した面々は皆きっと、こういった思いなのだろう。

 雑誌が濡れないよう、傘を差して大賞作を読み始める。主人公は奇しくも僕の書いた小説と同じく、高校生だった。その高校生がいつものように学校へ向かうと通学路にも、教室にも、職員室にも誰もいないという場面から始まる物語。最初はホラーかと思っていたが、段々と主人公の境遇が明らかになっていき、最終的にはその原因が判明する、というものだった。

 一時間余りが経っただろうか。大賞作『無人の街で』を読み終えた僕は首を傾げた。確かに設定は面白く、少しずつ靄が晴れていく感覚はもはや快感だった。──しかし……。なんと言えばいいのだろうか。オブラートに包まず言うのであれば、拙い。情景描写や心情描写があまりにも少なく淡々と物語が進んでいく。ページをめくって著者略歴を見ると、作者は十五歳の中学生だった。僕は思わず頭を抱える。中学生作家として売り出すことで不況が続く出版業界における起爆剤にしようというのだろうか。にしてもこれが大賞になり、僕の作品が入賞さえしないというのはあまり納得がいかない。

 長く居座った公園のベンチから立ち上がり、薄暗い街を一人とぼとぼと歩く。降り出した雨のせいだろう。通りにはひと気がなく、つい今しがた読んだ大賞作のようだ。あの主人公のように壊れられたら、なんてしょうもないことを考えてしまうのもきっと雨のせいだ。梅雨時はどうにも気が滅入ってしょうがない。

 行きより長く感じた帰路を終え、また軋む通路を通って僕は部屋に入った。こちらに来てから買ったスマートフォンでSNSを開く。「#陽春」で検索をかけると、早速たくさんの人の講評が流れてきた。普段であれば何も知らない大人が偉そうに講釈を垂れるなよ、と非公開のアカウントで愚痴るのだが、今日ばかりはそんな自分を棚に上げ、大部分を占める大賞受賞作への厳しい意見に頷くばかりだ。僕はふと思い立って、出版社に電話をかけることにした。

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