上京③

気が付くと、僕は鈍行電車の中でうたた寝をしていた。家を出た頃、あんなに暗かった空には日が昇り、春らしい暖かな陽ざしを地面に届けている。いつの間にか山も越え、関東平野に差し掛かっているようだった。段々と建物が増えてきて、すっかり都会の風貌をしている。

「まもなく落窪、まもなく落窪です。お出口は右側です」

 どうやら電車は東京都に入ったようだ。東京のど真ん中に行っても、安く住める家などあるはずも無いから、そろそろ下りておいた方がいいかもしれない。僕はそう思い、少し切符を無駄にした感を味わいつつも荷物をまとめることにした。ちょうど電車が減速し始め、僕は立ち上がる。窓の外に見えるホームには多くの人が待っており、きっとまだ空席の多いこの車両も段々と都心に向けて混雑していくのだろう。

 扉が開き、僕は落窪駅のホームに降り立つ。すぐ横を草臥れた顔の勤め人たちが次々と電車に向かっていく。時計を見ると午前八時半を回ったところだった。とりあえず何か腹ごしらえをしたい。僕は改札を抜け、駅のコンコースに足を踏み入れる。ホーム上とは打って変わってひと気の少ないコンコースには誘導鈴や駅員さんのアナウンスが虚しく響いていた。辺りを見渡すと「南口」と大きく書かれた看板のたもとに、安価で食べ応えのある食事を提供するモーニング文化圏発祥の喫茶店が目に入った。重いリュックを背負い直し、僕はその店へ入店する。店内はまだ出勤時間に余裕があるのであろう勤め人や、ママ友と思しき集団でにぎわっていた。僕はたまたま空席となっていた一番端の席に案内され、水やカラトリーが運ばれてくる。メニューを広げ最初に目に入ったシンプルなホットコーヒーを注文する。愛知で生まれたというモーニング文化はここ十数年の間に全国へ波及し、最近ではどこへ行っても飲み物一杯分の値段で焼き立ての食パンとそのトッピングを楽しめるようになっている。

 しばらくぼーっとしていると、温かなコーヒーと食パンとが運ばれてきた。まだまだ齢十八のお子様なので砂糖もミルクもぶち込む。バターのしみ込んだ熱々の食パンに粒餡を乗せ、かぶりつく。バターの塩気と餡子の甘さのバランスが最高である。どうにも家を飛び出して上京した若者とは思えない充実っぷりだが、こんな生活もいつまで続けられるか分からない。というよりむしろ、こんな生活をこの先安定して手に入れられるか分からない。

 あっという間に優雅な朝食を平らげた僕は現金で支払いをして店を出る。少し遅めかつ、ボリューム満点の朝食だったことを考えると、昼食は抜いてもどうにかなるだろう。まずは、お金のあるうちに住まいを探さねばならない。そう考え、僕は駅を出て不動産屋を探すことにした。

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