上京②

 小説を書き始めて早五年。幾度となく新人賞に応募してきた。しかし大抵は素っ気ないメールが二次審査前に返ってくるだけ。いつの間にか大学受験が目前に迫り、親からも、そして先生からも勉強に集中するよう忠告された。父親には模試の結果が返ってくる度、母親が止めに入るまで怒鳴られた。それでも小説を書くことが辞められず、小説家になる夢は捨てきれず、死に物狂いで書いた一作。二足の草鞋を履けるほど器用じゃない僕は、七コマの授業を上の空で流した後、一目散に帰宅して家での時間をほとんど執筆に費やした。授業中は先生に怒られない限り小説の続きを考えていた。当然の如く、僕は大学受験に失敗した。母親は泣いていた。父親は帰宅するなり僕の頬に掌を叩きつけた。僕はただひたすらに黙ってそれを受け止めた。

「──で、どうするんだ。予備校には行くのか。それとも自宅浪人するのか」

 なんでこの人は僕が大学に進学する前提で話すのだろう。

「大学には行か──」

「まさか、この期に及んで小説を書きたいだとか言うんじゃないだろうな?」

 図星である。

「僕は……。小説が書きたい」

「馬鹿者!」

 目の前で父親が叫ぶが僕は無視して続ける。

「あの時、僕が小説に救われたように!……僕も誰かを自分の文章で救いたい……」

 そう声を絞り出したけれども。何も変わらなかった。

「お前に誰かを救う資格があるなら、とっくの昔に他の誰かが救っているだろうさ」

 父親は飄々と、しかしどこか哀愁を帯びた顔で言った。

「それに、お前が思っているほど小説家っていうのは読者を救いたいなんて大層な信念を持って文筆を生業にしているわけじゃないぞ」

 僕の夢を否定した挙句、小説家自体を馬鹿にしたような発言に怒りがふつふつと湧き上がる。僕は踵を返し、階段を上がって自分の部屋に閉じこもる。途中で「お前のためを思って言っているんだ!」と浅薄な言葉が後ろから飛んできたが、無視した。どうせ、自分の思い描く道に子供を進ませたいだけだ。そこに親としての子に対する思いやりなんてあるわけがない。この夢を否定する親なんていようか。そうだ。こんな家、出ていってしまえばいいのだ。そもそもとっくに僕は成人しているし、わざわざ親に自分の生き方を強制される理由も無い。幸い貯めてきたお年玉が二十万円ほどはある。こればかりは兄弟の多い父親に感謝しなければならない。そして自分名義の通帳が和室の箪笥にあることも知っている。コツコツとお金を入れてくれていた両親には申し訳ないが、これも使わせてもらおう。どうせ大学になぞ行かないのだ。

 思い立ったが吉日で、僕はその日からこそこそと家出の準備を始めた。小説家という夢を叶えられるまで両親には会わない覚悟をしていたから、捜索願不受理届なんかも出して、携帯も解約して、と徐々に家出の準備を始めた。

 そして大学の合否が出て一週間後の早朝。まだ東の空が明らまないうちに僕は家を出た。リビングの机の上には家出をすること、探さないでほしいこと、そして手紙で定期的に生存報告だけはすることを書いた置き手紙を残してきた。足取りが軽いのは、解放感からだろうか。それとも単にこんな時間に外を歩くことなどほとんど無いからだろうか。いつもと違って見える公園の遊具を尻目に僕は駅への道を急ぐ。背中で揺れるリュックの中には寝袋や執筆用のノートパソコン、その他洗面用具などが入っている。早いところ寝泊まりができる場所を確保しなきゃな、そんなことを思いながら僕は東京行きの切符を買い、改札を通った。

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