第7話 あんたはどう見ても馬鹿だ


「やめときなって」


 太陽が一日の軌道を終えて西の空に沈んでいくころ。

 西日に染まる校舎の屋上で、そう声をかけられた。

 振り返ると、金網の向こうにクラスメートの田中がいた。

 

「何があったのか知らないけどさ。死ぬのは辞めたほうが良いんじゃないかな」

「……キミには関係ないだろ」

「関係ないけどさ。けど、クラスメートが目の前で死んだら目覚めが悪いじゃん。俺、宮内君とは話しもろくにしたことないけどさ」

「だったらどっか行けよ。キミが居なくなってからにするからさ」

「そうも行かないんだな、それが」


 田中はそういうと、金網を超えてきた。

 そして、僕の横に立った。

 僕はあっけにとられた。


「な、何してんだ、キミ」

「ごめんね。実は、俺も死にてえと思ってここに来たんだ」

「……は?」

「いやさ。俺、こないだそれまでずっと親友と思ってた奴にひでーこと言われてさ。お前とはもう話をしないとか言われてさ。もうさ、なんかもう、何もかも嫌になったんだ」

「……あっそ」

「そうなんだ。でね。そいつがただ俺を嫌いになって、俺の悪口言ってるだけなら別に良かったんだ。けどね。問題なのはさ、あいつが言ってること、多分、当たってるんだよね。俺ってさ、話がつまんなくて。気が効いたこと言えなくて。一緒にいても人を楽しませることが出来ないんだ。相手の興味がない話を延々としてしまうんだ。一度話し始めたら止まらなくなるんだ。だから俺にはこれまで友達がいなかったんだ。コミュ障とか、そういうんじゃないんだ。多分、ちょっと"頭(ここ)"が弱いんだ。だから友達が出来ないんだ。きっと一生、恋人だって出来ない。だから生きてても仕方ないなって」

「聞いてないんだけど」

「ごめんね。俺はこういう人間なんだ。でもさ。ぶっちゃけ、宮内君はもったいなくない? ぶっちゃけ、あんたが死ぬのはもったいないよ。イケメンでさ。金持ちでさ。女子にモテてさ。もったいないでしょ。どう考えてもさ」

「それはキミの都合だろ。僕には僕の事情がある」

「まあ、そうだけどさ」

「僕から見れば、キミの方が死ぬべきじゃない」

「どうして?」

「キミは、普通(ノーマル)だから」


 僕は自分でも驚いた。

 そんなことを言うつもりは無かったのに。

 けど、何故が言葉が止まらなかった。


「僕はさっき、失恋したんだ。僕が好きだった奴には、別に好きなやつがいたんだ。けど、そんなことはどうでも良いんだ。問題は、僕がこれからも失恋し続けるってことなんだ。苦しい想いをし続けるってことなんだ。死ぬほど苦しいんだ。こんな苦痛をずっと続けるなんて、嫌なんだ」

「い、いやいや、なに言ってんの。宮内君なら、すぐにまた別のが」

「うるさい! キミには分かるはずないんだ! キミには!キミには! キミには!」


 僕は泣いていた。

 悲しくて仕方なかった。

 僕はクラスメートの山崎良介のことが好きだった。

 しかし山崎は、クラスメートの女子に惚れていた。

 さっき、バスの中でそう言っていた。

 山崎を見かけたからって、慌てて追いかけてしまったのが悪かった。

 そのせいで、あんな残酷な話を聞いてしまった。

 分かっていたことだった。

 彼が異性愛者なんてことは知っていた。

 彼が自分のことを好きになることはないなんて分かりきっていた。

 けれど、思っていたよりダメージは大きかった。

 心が張り裂けそうだった。

 絶望で前が真っ暗になった。

 きっとこれから、僕の人生はこれの連続なんだと思った。

 

「そっか。そうだよね」


 田中は呟いた。

 そして、ごめんね、とまた謝った。


「俺、マジで馬鹿だからさ。なんて言って良いのか、マジよく分かんないんだ。でも、俺、ちょっと思ったんだけどさ。俺は宮内君の悩みが分からない。宮内君には俺の悩みが分からない。けど、お互い、死ぬのはもったいないと思ってる。お互い、相手が自分よりマシだと思ってる。それって、要するに、俺も宮内君も、本当に死ぬべきなのか、よく分かんないってことなんだと思うんだ」

「……一緒にするなよ」

「ごめん。でも、そうだろ? 宮内君は確かに頭が良いよ。けど、今は、俺には宮内君はとても馬鹿に見える。何があったか知らないけどさ。俺が宮内君なら絶対に死なない。それなのに死のうとしてる。どう見たって馬鹿だ」

「だからそれは」

「そうさ。俺には宮内君の事情は分からない。でもそれと同じように、宮内君には俺の事情なんて分からないはずなんだ。それなのに、俺らはお互いにお互いのことを、死ぬべきじゃないと思ってる。それってつまり、俺も宮内君も、いいや、きっと俺たちだけじゃなくて、実は悩んでる人たちみんな、本当のところってわかんないんじゃないかって。俺も宮内君も、他の人も、みんなみんな同じように馬鹿になってるだけなんじゃないかって。俺たちが傷ついたり悩んだり落ち込んだりするのは、それは、みんながみんな馬鹿になっちゃってて、よく分かんなくなってて、それは要するに全部単なる思い込みなんじゃないかって。つまり、なんていうかその、ああ、まあよく分かんないんだけど、上手く言えないんだけど、何が言いたいかって言うと、つまり、俺も宮内君と同じように、結構、自分だけで死んじゃうのはもったいないんじゃないかって」


 何を言ってるんだこいつは。

 俺は思わず口元が緩んだ。

 話が分かりにくい。

 すべてが曖昧であやふやだ。

 結論も腑に落ちない。

 どうしてそうなるのか、理論的な説明になってない。

 しかし、面白かった。

 面白くないのに、面白かった。

 なぜだかその時、田中の話は、笑えた。

 かはは、と僕は笑った。

 そしてそこから、ずっと笑い続けた。


「お、俺、そんなに変なこと言ったかな」

「ああ、言ったね。すげー面白かった。今年1番笑った」

「そ、そっか」


 田中は嬉しそうだった。

 僕ははあと大きく息を吐いて、吸った。

 夜気を孕んだ大気が冷たくて頭が冷えた。

 蒼くなり始めた街を見下ろした。

 ポツポツと街の灯が点り始めていた。

 その時、ああ、そうか、と僕は思った。

 田中の言ってることはきっと当たっている。

 正解を言い当てている。

 それでも田中の話があやふやなのは。

 この世界の方があやふやだからだ。

 僕達自身があやふやだからだ。

 あやふやで曖昧で、理解不能だからだ。

 それなのに、僕が勝手に理解した気になって、勝手に拒絶していただけなんだ。

 

「宮内君。あそこのラーメン屋、行ったことある?」


 唐突に、田中が街を流れる河川沿いに林立する長屋を指差しながら言った。

 僕は首を横に振った。


「それじゃあ、今から一緒に行かないかな。俺が奢るからさ」


 田中はにこりと笑った。

 まずいな。

 懐かれちまった。

 僕は頭をがりがりと掻いた。

 けどまあいいか。

 こいつは、多分、命の恩人なんだろうから。


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お前つまんねーから 山田 マイク @maiku-yamada

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