第29話 悟覚した感情

 10人構成の係の中には主任は隆一郎を含めて3人、主任歴2年の30歳の隆一郎と主任歴8年の50歳及び主任歴15年の58歳のベテラン主任である。


 この二人のベテラン主任も隆一郎のお得意様である。ベテランであるがゆえに態度は大きい。窓口においても横柄であり真面目で小心な納税者には上から目線で対応する。


 弱い者には殊更に高飛車にしかし強い者には徹底してひれ伏す。極めて標準的なつまらない人間である。

 2人の主任たちも来所者が騒ぎ立てるまでは偉い主任様であるが、揉めると突如裁量権がまったくない一番末端の職員に自ら変身する。


 そして変身したのちに絶大なる権限を有する上司である加原隆一郎主任に当たり前のように助けを求めるのだ。


 なぜ隆一郎が今の職場のトラブル責任者になったのかは定かではない。平職員から主任に昇任して新たに着任した1年目から皆が逃げるその役割を担うことが宿命だったようだ。


 面倒なことは進んでやろう。人が嫌がることをやろう。少しでも人の役に立ちたい。世の中の役に立ちたい。そんなことを隆一郎はいつも考えている。


 面倒なことが好きな訳じゃない。人が嫌がることは当然自分だって嫌だ。納税者に怒鳴られたりすれば当然嫌な思いはするし頭に来ることだってある。


 しかし困っている人を助けたときには心が満たされる。お礼など言われたらとてもうれしい。そのために自分は存在しているんだと充実感でいっぱいになる。


 影1019は今の状態に満足していた。共に生きる同体した生である加原隆一郎の前向きな人生に満足していた。


 職場のゴミ捨ては一手に引き受けている。ヘルプを求める仲間を積極的に助け、駅の長い階段前で重い荷物を持って立ち尽くす老婆の荷物は優しく声をかけ運んであげる。


 隆一郎の瞬きを尊び生きる姿勢は生としての自らの感情から生まれしものであり魂としての影1019の誘導によるものではない。


 影1019は同体する生のまるで悟覚した僧侶のような純粋で高潔な感情に、魂として共感しこの生と共に生きる人生を感動していた。


 美しさや尊さは儚さと相重なるものである。生の美しく尊い感情は儚さに裏打ちされたものであった。


 いつも急いでいた。いつもせっかちで焦っていた。だから仕事も早いし動きも早い。男らしく活動的だった。


 夢子は普段は大人で強くて頼りになって落ち着いている隆一郎のまるで少年のように焦ったりする様が可愛くてたまらなかった。


 隆一郎の食事時間は短くどんな料理であっても5分もあれば完食する。一緒に食事をとる夢子はいつも取り残されてまるで一人だけで食事をしているようだった。


 「隆ちゃんたらもう早すぎるよ。ちゃんと噛んで食べなくちゃ体に悪いんだよ」


 「ちゃんと噛んでるよ。夢子が遅すぎるんだよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る