第32話 英独停戦①
1942年1月10日
ドイツヒトラー内閣の外務大臣ヨアヒム・フォン・リッベントロップと同軍需大臣アルベルト・シュペアーがロンドンを訪れたのは、市内に雪が降りしきる1月10日の事であった。
「ハロー!!! ミスター・イーデン!!!」
「・・・ハロー。ミスター・リッベントロップ」
わざとらしくテンションを高くしながら握手を求めてきたリッベントロップに対し、握手を求められた男――大英帝国外務大臣アンソニー・イーデンは怒りを内面に押し殺しながら差し出された右手を握り返した。
(なぜ、こんな低俗な奴らと話し合いをせねばならんのだ!!!)
パブリックスクール「イートン・カレッジ」、そして、オックスフォード大学という典型的なエリートコースを歩んできた英国紳士は心の中で強烈な毒を吐いた。
1933年に、かのちょび髭ことアドルフ・ヒトラーがドイツの首相に就任し、国家社旗主義ドイツ労働者党(ナチス)による独裁体制のレールが敷かれて以来、ドイツという国家そのものが信用に値しない国家という事は世界中の誰もが知っている事実である。
だが、この1年の間に世界情勢は急変し、英国は米国、ドイツはソ連といった強大な国家と戦争をしているという共通点がある。
この際、英独戦争などやっている場合ではなく、それどころかお互いに利用できる所は何でも利用しなければならなかった。
イーデンが2人を応接間に案内し、腰を下ろしたシュペアーが分厚い書類をイーデンに差し出してきた。
イーデンは書類に視線を落とした。
書類の1ページ目には以下のような事が書かれていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ドイツ及び英国は、1942年2月1日に停戦を発効する条件として以下の事を履行する。
条件1 英国はソ連に対して行っている、一切の経済援助・技術交流を即刻停止すること
条件2 英国はドイツに対し、クルセーダーⅡ型戦車300両、クルセーダーⅢ型戦車300両、マチルダⅡ型戦車300両、ダイムラー装甲車300両、ハンバー装甲車300両、計1500両を供与すること
条件3 イギリスが保持しているジェットエンジン及びロケット弾に関する技術をドイツ空軍と共有すること。ジェット戦闘機の共同開発に関しては別途協議するものとする
条件4 英国はドイツに対し、ヴィッカース・アームストロング社、ハーランド・アンド・ウルフ社、レイランド社などが保有する戦車工場の内、10カ所を1年間貸与すること。貸与期間の延長・短縮に関してはその都度協議するものとする
条件5 英国はドイツに対し、レーダー技術の供与及び指導を行うこと
条件6 ドイツは英国に対し、UボートⅤⅡ型80隻、ⅠⅩ型10隻を引き渡すこと
条件7 ドイツは英国に対し、戦艦「ビスマルク」「ティルピッツ」、巡洋戦艦「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」、ポケット戦艦3隻を引き渡すこと
条件8 ドイツは英国に対し、キール並びにブレーマーハーフェンの工廠を1年間貸与すること。貸与期間の延長・短縮に関してはその都度協議するものとする
条件9 ドイツはユダヤ人その他の人種に対する強制収容・差別を即刻中止し、希望者に対しては英国へ亡命させること
条件10 英独戦によって発生した双方の捕虜を全て返還すること
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「・・・成程。条件は分かりました」
10個の条件を全て読み終わったイーデンは、視線を書類からシュペアーに移した。
「ドイツ海軍にとって、最新型のUボートや戦艦、巡戦各2隻は何にも変える事が出来ない切り札でしょう。その切り札を仮にも仮想敵国である我が国に委ねてもいいのですか?」
「今のドイツの敵国はソ連のみです。独ソ戦の戦場が東ヨーロッパの広大な大地に限られる以上、潜水艦、戦艦という兵器はほとんど需要がありません。ソ連相手に必要な兵器は戦車、装甲車、対戦車兵器、航空機である以上、これらの兵器に資源を集中させる事が賢明です」
シュペアーは話を続ける。
「この話は貴国にも当てはまります。英米戦争の主戦場が太平洋である以上、最も必要な兵器は空母、戦艦、潜水艦、航空機であるはずです。島嶼の戦いで多少の戦車が必要だということを考慮したとしても陸上兵器の需要は少ないでしょう」
イーデンはシュペアーの尤もな言い分に思わず頷いていた。誰がこの案を最初に思いついたのかは知らないが、イギリスが海空の兵器に注力し、ドイツが陸の兵器に注力するという話は上手く歯車がかみ合っていた。
・・・だが、確認すべき点も何点かあった。今からそれを確認しようと思い、イーデンの隣に座っていたジョン・ランバート陸軍大佐が口を開いた。
「条件2に関してシュペアー閣下にお聞きします。現在、余っている戦車・装甲車を全てかき集めたとしても戦車900両、装甲車600両という数字には届きません。1500両引き渡しは一括ではなく、分割という認識で宜しいでしょうか?」
ランバートの質問に対し、シュペアー、そしてリッベントロップが即座に頷いた。予めこのような質問が出てくることを予想していたのだろう。
(第33話に続く)
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