追放公子の傍観

第10話 S級の転移は凄まじい

「お、おお……」

 一瞬にして、俺の目の前に見慣れた部屋が広がった。


「すごい…………これが転移の魔法か……」

 部屋は石造りで、小さな窓からは微かに外の光が差し込んでいる。


「転移の魔法だって何回か使ったことあるけれど、これは破格だ……破格の力だ…… 転移の魔法なのに全く制限がなかった……ノータイムで転移するなんて……これがS級の転移!」

 部屋の中央には簡素なベッド。ベッドには薄手の毛布と羽毛の枕が置かれている。ベッドの脇には、小さな木のテーブルと椅子が置かれ、テーブルには懐かしい7月の反乱ジュライ・リバー、参上!の文字がメンバーの署名入りで刻み込まれていた。


 転移は成功した。

 この部屋は俺たち7月の反乱ジュライ・リバーが結成して、駆け出しだった頃。

 俺たちにとても良くしてくれた宿の、俺の部屋だ。


 あの頃と配置も同じで……宿のみんなは約束、守ってくれたのか……。


 いつか7月の反乱ジュライ・リバーはこの宿に帰ってきますって約束した。

 一抹の不安はあった。宿だから、俺たちの部屋を普通にお客さんに提供してるんじゃないかって。だけど俺の部屋はあの頃のまま残されていた。


「違う……今はそんなことよりも!」 

 俺は女の子を優しくベッドに横たせて……部屋の扉を思い切り開けた。

 

「少しだけ待っていてくれよ! だから死ぬな!」

 短い廊下を走り、階段を駆け降りて、叫ぶ。


「チル! チル! どこだあああああ!」

 すると、階段を誰かがドタドタと上がってきたエプロン姿の女の子。水色の髪をポニーテールにして、そばかす混じりの頬っぺた。俺より一歳下のチルは目を丸くして俺を見た。


「え! ええええええ!? ユバさん! ユバさんが帰ってきたー!! 何年振り!? 2年ぐらい!? 身長、少し大きくなりました?? え? 本物? どうして階段の上から!? あ! もしかして転移の魔法ですか? あれ高いのによく使えましたね!」

 久しぶりの再会に、顔を真っ赤にさせているチル。

 ああ、全てが懐かしい。だけど、感傷に浸っている時間はなかった。

 俺の部屋には今にも死にそうな女の子がいるんだ。猛毒を持つ死の蜘蛛デッドリー・スパイダーに噛まれて、意識をほとんど失っている女の子が。


 俺はチルに尋ねた。

猛毒を持つ死の蜘蛛デッドリー・スパイダーの解毒剤、あるか? 残ってるよな!?」

「え、えええ? 解毒剤? 何のですか?」

猛毒を持つ死の蜘蛛デッドリー・スパイダーだ! アンナとレレが噛まれた時に作った解毒剤の予備があったはずだ!」

 俺はチルの肩を掴んだ。時間はない。今すぐにでもあの子に飲ませなければ。


「う、うん。あれならまだ残ってるけど?」

「場所は?」

「ユバさんの部屋の押し入れの中だけど――ユバさん、肩痛い! 痛いよ!」

「あ、ごめん! そして、ありがとう!」

「急に猛毒を持つ死の蜘蛛デッドリー・スパイダーの解毒剤なんてどうしたの? もしかしてまたアンナちゃんかレレちゃんが!?」

「その説明はまた後で! 今すぐ俺の部屋にきてくれ!」

 もはや、移動する時間すら惜しかった。

 心の中で「転移テレポ」――そう念じただけで俺の部屋に戻る。そこにはベッドに寝かせた女の子が、荒い息をこぼしていた。

 

「とんでもないな……S級の転移……」

 俺はあちらの世界にいるS級の天使バラムに感謝の祈りを捧げた。

 本当にこの魔法は恐ろしい魔法だ。ここまでの奇跡を起こして、身体に全くの疲労感もないのだから。


 扉の外からは「ユバさんが消えたああああああああああああああああ」とチルの大声が聞こえる。そしてドタドタとチルが階段を上がってくる音。


 俺はそれを無視して、部屋の押し入れを開ける。

 雑然として整理されていない押し入れを見て、懐かしさが込み上げる。聖騎士メデルが急に次の街に出発なんていうもんだから、押入れを整理する時間もなかったんだよな。


 手を奥に押し込むと見慣れた解毒剤が数本、鎮座していた。

 こいつを作るのは大変だったけど、手間を思い出す時間すら惜しい!


「まずいだろうけど、それはごめん! 飲んでくれ!」

 俺は一本の解毒剤の蓋を開けて、女の子に口に当てた。だけど解毒剤は女の子の口から垂れるばかり。もはや飲む元気すら残っていないのか!


「後で土下座でもなんでもしてやるから! だから許してくれよ!」

 俺は解毒剤を口に含んで…………ひどい味だ。突然、こんな液体を口に流し込まれたら誰だって拒否するに違いない。それでも飲ませなければ――。


「……許してくれよ」

 心を無にして女の子の閉じられた口を開ける。

 口と口を合わせて、女の子に少しずつ飲ませていく。濃密な血の匂いが感じられた。それでも女の子はさっきと違って解毒剤を飲んでくれた。


 飲ませていると――扉が開いてチルが入ってきた。


「何? どういうこと? なんで消えたんですか!? ていうか、その子は誰? えええ、むっちゃ怪我してるじゃないですか! なんで!? っていうか、キスしてるううう!」

 うるさいチル! これには事情があるんだ!


 俺はさらに真っ赤になって何かを喚き散らすチルを無視。

 女の子に解毒剤を飲み終わらせると、チルに向き直った。


「大量出血しているから医者が必要だ。ギルミーさんはどこにいる?」

「え。ミキちゃんのお姉ちゃんなら、いつもの診療所ですけど――」

 俺はガシッとチルの手を握った。

「ありがとうチル。君にはいつも助けてもらってばっかりだ」

 嘘じゃない。この子には、7月の反乱ジュライ・リバーもお世話になっている。心優しい女の子で7月の反乱ジュライ・リバーとは大違いだけど。


「すぐにギルミーさんを連れて帰ってくる。だから、あの子の止血処理をしてくれ」

「う、うん。わかったよ、ユバさん。事情が……あるんだよね?」

 よし――転移テレポ


 すると場面が一瞬で切り替わる。多分、俺の部屋の中では「またユバさんが消えたああああああああ」とチルが大声で叫んでいるんだろう。

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