第9話 始まりの転移

 女の子の様子は明らかにおかしかった。

 目がうつろで、目の焦点が合っていない。


「えへへ……ゆば様だあ……起きたんですねえ…………私、そういうの、わかるんです…………えへへ……」

 女の子の腹部から流れる出血量は旅に慣れた俺だって、目を背けたくなるぐらいだった。

 俺は飛び起きて、少女を抱えた。


「う、うわ!」

 長らく動かしていなかったせいか身体がぐらりと傾くが、踏ん張って立ち上がる。

「よし!」

 いわゆるお姫様抱っこの形でその軽い身体を抱えて、洞窟の入り口へ。


「ちなみに今、揺れたのは……別に君が重たかったわけじゃないからね……?」

 出来るだけ女の子に振動を与えないように、それでいて回復の魔法をかけながら声を掛け続ける。


「あったかい……ゆば様、何かしてます……? でも……無駄だと思います…………私、自分でわかるんです……もう長くないって……」

「君は喋るな! あ、ごめん……怒鳴って……」

「…………なんですかあ?」

 女の子はもう俺のことなんか見えていない。 

 さっきまでの俺と同じように、夢の中にいるようだった。


 その表情は穏やかで、幸せな夢でも見ているのか。

 もしかすると俺が7月の反乱ジュライ・リバーの夢を見ていた時も、こんな顔をしてしていたのかもしれない。


 ああ、余計なことを考えるな! 


 俺はこの子をどうやって助ければいい!?

 というか、どうして血を流している!?

 整理出来ない思考が、俺の頭の中に渦巻いている。

  

「ゆば様…………町の人たち……噂してました……どうして7月の反乱ジュライ・リバーを抜けたんですか……? ゆば様あっての7月の反乱ジュライ・リバーって、町の人たち、言ってましたよ? ……ゆば様、慕われてるんですね……」

「……はあ!? 俺は追放されたんだよ!」

 女の子と目を合わせるが、俺を見えている気配はなかった。

 それに回復魔法の効果だって一切、感じられない。

 くそ! 回復魔法の等級が低いからか!

 

 ――洞窟の地面には、血の点々が俺の後ろに続いている。

 

「えへへ……ゆば様……私……これでいいんです…………最後の最後に……助けられた……この世界も……まだまだ捨てたもんじゃないなって…………私を捨てたお母様も……きっと私には言えない事情があったんだなって……」

「君ぐらいの子がやさぐれた大人みたいな言葉、言わないでくれ!」

「えへへ……ゆば様……何か言ってますよね? 聞こえない……なあ…………あ、そういえば、町のおじさんが言ってました…………壊れた傘、売りつけてごめんなさいって……気づかなったみたいですよ…………ゆば様と出会ったら、代わりに謝っといてほしいって……」

 もはや、この子に俺の声が届いている気配はない。


「えへへ……自分で…………謝れって、話ですよね……」

「そこだけは君のいう通りだと俺も思う!」


 俺は洞窟の入り口に辿り着いた。

 結界の外にはモンスターが群がっていて、恐ろしい光景が広がっている。


 俺が仕掛けたモンスター避けはもはや効果を成していない。

 元々、短期間用だから仕方がないとはいえ、その光景は逆にモンスターを呼び寄せている様にさえ感じらえた。


「――猛毒を持つ死の蜘蛛デッドリー・スパイダー! あれに襲われたのか! ていうかお前、珍しいモンスターなのによく見るな! さすが7月の反乱ジュライ・リバーにとっての害悪モンスター!」


 だけど、女の子が死にかけている理由は判明した。

 群がるモンスターの中に、目を引く紫色の巨大な蜘蛛がいたからだ。


 女の子を抱き上げている途中に、そのほっぺたに紫色の湿疹が出来ていることに気づいた。出血もひどいが、どちらかと言えばこれは即効性の致死毒――猛毒を持つ死の蜘蛛デッドリー・スパイダーの仕業だろう。

 似たような記憶が、俺にはあった。


「…………どうすればいい」

 俺はノーフェルン家の者として、各地の紛争地帯に向かった。

 だが、どこの病院にも猛毒を持つ死の蜘蛛デッドリー・スパイダーの解毒剤なんて常備していない。7月の反乱ジュライ・リバーとして旅をしていた頃はよく出会ったが、本来は滅多に出会わない臆病なモンスターだからだ。


 猛毒を持つ死の蜘蛛デッドリー・スパイダーの毒から助けるには非常に特別な薬の調合が必要だった。

 そんじょそこらの病院で手に入る様なものではなく、今から調合するにも時間が足りな過ぎる。猛毒を持つ死の蜘蛛デッドリー・スパイダーの毒を鎮静化する薬の素材は貴重かつ高価だ。


「……あはは。もう苦しくなくなってきました…………ゆば様……最後にもっと……顔を…………近づけて…………」

 この子は――間もなく死ぬのだろう。

 それは俺がS級の転移を得た後、気絶した時のように確定した未来なのだろう。


 だけど、抗いたかった。

 分かっている。

 鍵は、俺が得たばかりの魔法――S級の転移。

 寝起きだけど、俺の頭はしっかりと動いているようだ。


「ふざけるなよ……俺は君を奴隷の身分から解放したんだ。レイン峡谷まで俺を探しに来て死ぬなんて、そんなのは望んじゃいなかった! 気まぐれだって言っただろう……それに他の奴らはどうして君を一人にしたんだ! 君、良いとこ10歳とかそこらだろう!」


 もしもこの子が助かったら、思いっきり叱ってやろうと心に決める。


 それで俺は転移の魔法を使って――どこに行けばいい。

 どこなら、この子を救える?

 どこなら、猛毒を持つ死の蜘蛛デッドリー・スパイダーの毒を解毒できる?


「…………ゆば様……最後に、みんなの名前、教えておきますね……」


 俺が得たS級の魔法は、7月の反乱ジュライ・リバーから逃げるためのもの。

 俺の弱い気持ちが生み出し、天使が与えてくれた力の産物。

 それでも今は、S級の転移だけがこの子を救う魔法だった。


「……大きな男の人の名前は、えだーど…………背が小さい人の名前は、ジェリオン…………女の人は、えっと……なんとかサンドル……だったかな……だめだ……いろんなことが……思い出せなくなってる…………でも、ゆば様に助けられてから……私たち……いろんな話をしたんですよ…………楽しかったなあ……みんな、感謝してます……ゆば様にありがとうって……言いたいって……」

「……」


 確か天使は言っていた。

 ユバ。記憶の糸を必死で手繰り寄せながら、思い出せ。


“ あ、そうだ。最初に転移する場所は大事に考えてね? そこは君にとって大切なになるから。あと喜んでばかりもだめっ! 最初の試練は生き残ること……じゃないかな? でも、感心だよー。 そういう子、嫌いじゃないの。だからS級の転移を渡すんだけど……じゃあねー!“


 そうだ。

 最初の転移場所は拠点になるから大事だって、言っていた。

 だけど、そっちに思考を奪われるな!


 俺が7月の反乱ジュライ・リバーから追放された事実と、この子は関係がない。

 最初が大切な拠点になるとか、そんなの……小さな些事さじじゃないか。


「………………」


 こんな時に打算を考えるなんて最低だ。

 それじゃあ、俺を裏切った7月の反乱ジュライ・リバーの皆とおんなじだ。


 ノーフェルン家の人間として生きる上で、何度も裏切られただろう。

 その度に身体が引き裂かれる思いをして――7月の反乱ジュライ・リバーはそんな俺にやっと現れた光だった。もう二度と手放すものかって思ってた。


“ユバ――パーティを抜けろ“


 俺は7月の反乱ジュライ・リバーを何よりも大切に思っていたから、彼女たちのために尽くした。

 

 だけど、打算で誰かを切り捨てるような、彼女たちのような真似はやっぱり出来ない。

 今ここで、この女の子を見捨てたとしても、この女の子と俺がレイン峡谷で出会ったという事実は俺の記憶にしか残らない。それでもだ。


 改めて自分は、人を傷つけられない弱い人間だと思い知る。

 こんな人間が魔王討伐のパーティに所属していたなんて……お笑い草だ。


 魔王討伐のような偉業は――人を切り捨てられる心の強い人間が行うのだろう。


 聖騎士メデル、司教アンナ、盾持ちミキ、とんがり帽子レレ、迫撃魔法のルン姉。

 みんな、性格に難点はあるけれど、したたかな性格を持った強い人たちだ。


 でも、俺は彼女たちとは違う。

 俺は誰も裏切らない。


「行こう――」 


 通常、転移の魔法には幾つもの厳しい条件付けが存在する。

 それに今から俺が向かおうとしている場所は非常に遠い。このレイン峡谷があるサンジャ国とは間に国を二つ挟み、なおかつ巨大な湖が存在する。


 国から国へ瞬時に渡る転移の魔法なんて、聞いたことがない。

 ただ行きたいと願うだけで、望む場所に行けるなんてそれこそ奇跡だ。


 でも、あそこには――7月の反乱ジュライ・リバー元仲間アンナとレレがこの子と同じように猛毒を持つ死の蜘蛛デッドリー・スパイダーの毒を浴びた時に治療してくれた治療師がいて、解毒剤だって残っているかもしれない


 俺と7月の反乱ジュライ・リバーが初めて大仕事を成し遂げた思い出の街。


 滞在期間は数十日にも及び、思い出が沢山詰まった思い出の街、思い出の宿へ。


「――転移テレポ


 そうして俺は死にかけの女の子を抱えて、始まりの転移魔法を使った。

 俺が呼び出した天使バラムの言葉に嘘偽りがないことを、この後俺は驚きを持って知ることとなる。



――――――――

プロローグ的なものが終わりました。

これからは追放公子の傍観、ひたすらにユバが頑張り、幸せになるお話。

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