第5話 S級の指輪

 レイン峡谷は弱肉強食の世界だ。 

 峡谷の底には草原が広がり、川が流れている。峡谷の壁は硬い岩盤でできており、岩盤には蔦やツタが張り巡らされていた。


「天使を呼び出す場所はやっぱり洞窟にするか。結界を張るのは入り口だけに……」


 俺が歩いているレイン峡谷の底、街道周りも別に平穏ってわけじゃない。

 ゴツゴツ岩の突起や、溝や割れ目があった。街道を離れれば、草原の中にいくつもの獣の足跡が見られるだろう。特に今みたいな夜は危ないんだ。

 

 俺がそんなレイン峡谷を歩いているのは理由がある。


「……S級の天使だ。気絶時間は数日にもなるかもしれない」

 新しい魔法を身体に馴染ませるには、邪魔なものがある。

 それは人の意志だ。

 聖騎士メデルは旅の中でよく高説を披露していた。

 その中に確か……魔法とは、天使様が人間の身体を寝ている間に作り替え、与えるものだとか言っていたが、実際は定かじゃない。


 でも、俺は魔法を得たら気絶する。

 これは確定した未来で、こればっかりは避けられない。

 そして等級の高い魔法ほど、気絶時間は長くなる。


 町の宿に泊まった場合、7月の反乱ジュライ・リバーのユバが数日も部屋から出てこないなんてなったら騒ぎになるだろう。俺が寝込んでいる様子を、7月の反乱ジュライ・リバーの誰かにでも見られたら最悪だ。あいつらは俺が新しい魔法を得た事実を、ノーフェルン本家の連中に売り飛ばすだろう。


「そうだ、焚き火用の薪も少しだけ確保しとこうか」

 レイン峡谷の空には、洞窟を探す俺を励ますかのように星々がきらめていた。

 



「よし。ここがちょうどいいか」

 俺を食い物と認識する不埒ふらちなモンスターを魔法で蹴散らし、手頃な洞窟の中に入る。

 洞窟の外にはモンスター避けのため、嫌な匂いを出すモンスターの死骸を積み上げた。


「ふむふむ」

 洞窟の入り口から暗闇の中を進んでいくと、足元は固い石灰岩の床。

 壁には時折奇妙な形をした鍾乳石が現れる。進んでいくにつれ、天井が低くなり、背中をかがめなければいけなくなった。


「そして、行き止まり、と」

 中は思った通り湿気っていて、広くはない。冬眠中のモンスターがいるなんてびっくり展開もない。


「うん。ちょうどいいか。広くもなく、狭くもなく」

 入口に結界を複雑に張り巡らし――レイン峡谷にいるモンスター程度では入ってこられように準備を整えた。


 そして俺は右手の人差し指にはめた指輪を見つめる。

 指輪の表面には年月の重みによって凹凸が生じ、風化による痕跡が刻まれている。まるで時間がその指輪に刻印を刻んだかのように。


 俺の元仲間たち――7月の反乱ジュライ・リバーの面々は美しいものが好きな女性ばかりだったから、この指輪には大して価値を見出さなかったらしい。

 光が当たる角度によって微妙に色彩が変化する指輪。見る角度によってはこの指輪はとても美しいのに。


「ふう。気持ちを落ち着かせるか……」


 今からこの指輪を使って天使を呼び出すのだ。 

 これまで数々の指輪を使って魔法を得てきた俺でさえ、寒気を感じている。今まで呼び出したこともない最上位の天使を呼ぶのだから。


「覚悟を決めないとな。天使は気まぐれだから」


 俺の指に嵌められた指輪は魔法の指輪だ。

 世界を支配する天使を呼び出すための道具だ。天使にも様々な等級があり、このS級の指輪は最上位に近い天使を呼び出すことが出来るとされている。


「天使との会話に慣れた俺だっていらない魔法を与えられたことがあるからな……」

 魔法の力は、指輪の力で呼び出した天使によって与えられるものだ。

 だから力を求める人間は魔法の指輪を探し、時には店で大金を出して指輪を購入する。そして天使を呼び出し、与えられる魔法を自分の力にするのだ。勿論、人間が記憶スロットできる魔法の数は限られていて、際限もなしに魔法が覚えられるわけじゃないが。


 大半の人間は、魔法を1つも覚えることなく人生を終えるものだ。


“どうしたユバ。お前、その指輪。使わないのか?”

“きっと……ユバさんの大切な指輪なんですよメデルちゃん! 使うタイミングは、ユバさんにお任せしましょう! きっと私たちのために使ってくれるに違いないです! だって優しいユバさんなんですから”


 7月の反乱ジュライ・リバーは俺がいつまでも使わない指輪を、何か思い出が詰まった指輪だと思っていたのだろうが、これはS級の指輪だ。

 おいそれと使うわけにはいかなかった。

 

 けれどアンナ。

 俺は本当に……お前たちのために使おうと思っていたんだぜ。


「あいつらが正体を現してくれて助かった。魔王討伐のための魔法なんて物騒な魔法になるに違いないだろうし」

 俺が持つS級の指輪。

 価値は途轍とてつもなく、この指輪を得られるなら、幾つもの巨城を差し出す国王だって世界に大勢いるだろう。


 このS級の指輪は、S級の魔法を与えてくれる天使を呼び出す道具である。

 魔法には多くの等級が存在し、S級は等級の中で上から二番目に最も高いものだ。


 だけど天使という存在は、俺たち人間が理解できない気まぐれな存在だ。

 天使を呼び出した人間が求める魔法を、そのまま与えてくれるとは限らない。

 例えば天使の機嫌が悪い時に呼び出してしまうと、炎の魔法が欲しいと願っても、土人形を生み出す魔法を与えられたりするのだ。


「よし。覚悟は決めた」

 明かりの無いジメジメとした洞窟の中。

 俺は右手の人差し指から指輪を外し、地面に落とした。

 そして唱える。


召喚サモン

 S級の指輪は地面に当たった瞬間、砕け散った。

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