第5話 愛する彼女に幸福を

 「月兎、お前が…………【魔王】なのか?」

 「………………」

 

 「……どうなんだ?」


 月兎は珍しく真顔になって、真っ直ぐ光輝の目を見据えている。

 光輝は『鍵剣』から手を放さずに月兎の返答を待っている。

 

 「……………まあ、あれだ……ん?」

 月兎が口を開いた瞬間、倒したアナローシマの軍隊が粒子になって崩れていく。光輝にとっても、すでに見慣れた光景だったが、今度は少しだけ毛色が違う。崩れた物が一か所に集まって、歪みのようなものを形成しているのだ。それはまるで、何かを迎え入れるゲートのようだ。

 

 「まさか、今来るのか? 月の【魔王】が!?」

 「…………」

 

 白いヒールが城の床を軽やかに踏み、進む二歩目では、清純さを感じさせる白いドレス。銀のティアラが霞むほどの金糸のように細く美しい金髪。それをわずかに掻き揚げる仕草は、上流階級のお姫様そのもの。そして、深紅のように赤い瞳。どれを取っても美しい。

 

 「…………」


 敢えて例えるのなら光か? いや、他に例える言葉が見つからない。彼女の美しさを言葉にするのなら、彼女自身を語るしかない。光のように輝き、炎よりも熱を持つその瞳を、言葉で飾ることが陳腐でならない。

 

 「こんばんは。勇者さま」

 

 瞬間、光輝の心臓が跳ね上がった。それまで、すました表情だった彼女がほほ笑んで挨拶した。そんな、常識を持っていれば当たり前に行うだけの行為に、光輝は目を奪われている。

 

 「…………っ」

 

 「どうしたの? 勇者シグリアさま。千年振りに再会・・したというのに、挨拶を交わしてもくれないの?」

 

 「さい……かい……? シグ……リア?」

 

 「ええ。そうよ。私、ずっと貴方に会いたかったの。そのために、あの戦いの後も待ち続けていたのよ」

 

 

 

 視点:光輝

 屈託の無い少女のような笑顔で、白いお姫様が俺に飛びついて来た。ほとんど重さを感じないけど、俺はあまりの出来事に対応できずにそのまま地面に倒れこんだ。

 敵意は?―全く見えない。それどころか、子供のように無邪気な笑顔だ。さっきまでの美しいという感想から一変して、無垢。純潔。真っ白なドレスと頬をくすぐる金色の髪の存在もあって、その印象は『穢れの無い子供のようなお姫様』だ。

 しかし、分かるのはそこまで。分からないことが多すぎる。本当に分からない。分からない。何で――何でそんな初対面のお姫様に、俺は押し倒されてるんだ?

 息遣いがはっきり分かるほど密接した距離。そんな近接状態なものだから、当然体温だってはっきり感じられる。倒れた俺に覆いかぶさっている。こんなの、陽香以外には初めてで……。

 

 「約束通り、私たちは再会出来たのよ。ああーー会いたかった。ずっと。ずっと。貴方に会いたかったの。私の大切なシグリアさま」

 

 そんな俺の困惑などお構いなしに、白いお姫様は心の底から弾むような声で一方的とも言える再会を喜んでいる。えっと、だから、キミは誰なんだーー?

 

 「…………びっくりするほど変わってないな。プリシェス・パリュンツェースタ」

 

 横から聞こえる呆れた声。もちろんそれは月兎の声。プリシェス……パリュンツェースタ? なんだかプリンセスとプリンとフェスタを掛け合わせてごちゃ混ぜにしたような名前だ。

 いや、それより……。

 「月兎、この人と知り合いなのか?」

 「……貴方は誰? 何で私の名前を知ってるのかしら?」

 俺の問いかけを一秒で否定する言葉を発した彼女の声は、さっきまでの弾んだものとは全く異質だ。敵対心があるわけではない。不快感があるものでもない。何と言うか、無関心に近いものだ。表情こそ、多少不満気だが、それはおそらく、会話を邪魔されたのが理由だろう。三咲やアユもこういう反応はよくあったから分かる。

 「言っておくがな。そいつは『魂』だけだ。アンタと過ごした『記憶』は、こっち持ちだ。ハハッ。ざまーみろ」

 月兎も月兎で、今まで見たことも無いような意地の悪い笑顔を浮かべている。そしてこちらも同じく聞いたことの無い愉しそうな声だ。本当に、十七年も一緒に暮らしていて、ただの一度だってこんな声は聞いたことが無い。

 「はあっ!? ちょっと何よそれ! 私はシグリアさまを、きちんと『魂』と『記憶』をセットで送り出したのよ? 再会した時にわたしを忘れることが無いように。何であなたが記憶を持ってるのよ!」

 美しい見た目とはミスマッチなほど幼いイメージを抱かせる怒り方。少し可愛らしさすら感じるが、そんなことより、今聞き流せない今回の一件の根幹を成すような話がサラッとされなかったか.


 「ちょっと待ってくれ! 前世の俺を転生させたのが、貴女だって!?」

 「そうよ、勇者さま。あのとんでもない嘘つき魔王との闘いで、瀕死の重傷を負ってしまった貴方を、私がギリギリ間に合って転生させたの。月の至宝、この王兎の銀杖バーシリアス・ワンドで。

 聞いてよシグリアさま! これ探し出すの大変だったんだから。宝物庫とか、武器庫とか、お父様の私室とか色々探したの! それでも全然見つからなくてね、あの無駄に広いだけのお城を駆けずり回ったわ。城の衛兵とかも全滅してたし、一人で一日中この長細い杖を探し回ったの!

 ――ちょっと先端が刃物だからって、果物ナイフとして調理場に置かれてたコレを発見した時は、既に召されていたお父様に思わず殺意が湧いたわ……だって言うのに――」

 そこまで言い終わると、ジトーっとした目で月兎を睨む。

 「ハッハッハ! 手違いなのかなんなのか。真相は俺にもさーっぱり分かんねんだけども、アンタの愛しの勇者様の『記憶』は俺。元【魔王】こと聖月兎くんの元にありましたとさ。ワロス」

 信じられない程上機嫌な月兎が、好きな女の子に意地悪する小学生みたいな表情で高笑いしている。いずれも、年も同じ家で暮らしていて、そんな一面があることを、俺は全く知らなかった。そう、知らなかったと言えばもう一つ。

 「元【魔王】ってことは……俺が前世で倒した魔王は前世の月兎なのか?」

 「そうよ。おにいさま。あのとんでもない堅物クソ真面目バカ勇者との戦いで死亡した俺こと元【魔王】の転生者。それが俺。聖月兎の正体だ。

 残念ながら俺から聞いてよお兄様することは特にないけどな」

 ……すごくさらっと言ってるけど、それって、昔俺たちが殺しあうような仲だったってことなんじゃないのか?

 「ちょっと、私のマネしないでよ。それに元【魔王】って――貴方あの時私に散々求婚してきた嘘つき魔王じゃない! なんてことしてくれたのよ! 返してよ! わたしと勇者との甘い思い出の日々を記した記憶を今すぐ返して!」

 「いや、甘いことは何もないだろ。戦争中だったんだから。血と爆撃と悲鳴に溢れた毎日を提供してきたと自負しとるわ」

 「自負してるんなら反省しなさいよバカ魔王! 私と勇者さまが過ごすはずだった甘い日々を返してよ! おかげで私、千年間勇者さまを待つために【魔王】なんかになる羽目になったんだからね! 私の肉体年齢と同い年なるまでずーっと眺めてるだけで我慢我慢我慢の日々だったのよ!」

 「バカはどっちだアホダラお嬢。アンタの奇行のおかげでこっちとら魂が穴だらけでただの人類として転生する羽目になるわ、しかもスペックは人類最底辺そのものだ。一つ覚えるのに他者の1000倍の労力が必要になるしで。人生が苦労そのものだぞ。

 第一、俺が侵略してやんなかったら、そもそも【勇者】の召喚自体されてねえっての! 伏して感謝しろや!」

 「ちょっと! ちょっと二人とも待ってくれ! 状況がさっぱり分からない!」

 情報量が多すぎてドンドン話が流れていく。えっと、月兎が元魔王で俺が元勇者で二人は殺しあってて、月兎はこのお姫様に昔求婚してて嘘つき魔王で……!

 「勇者さま、本当に記憶を奪われたのね。この嘘つき魔王に」

 「奪ったってのは語弊があるぞ。俺だって何で勇者の記憶があるのか、分かってないんだ。昔頭打って記憶無くした後のことが未だに思い出せない。そのせいで何で勇者視点の記憶があるのかわかりゃしない」

 「どうせそれも嘘なんでしょう?」

 「あ、いや、それは本当なんだよ。……俺のせいで。」

 「あ、そうなんだ。シグリアさまがわざわざ言うってことは、そうなんだろうね。大丈夫だよ。こんな嘘つき、どうなったって問題ないんだから」

 「この扱いの差よ」

 「自業自得よ。バカ魔王」

 「辛辣で泣けてくるわー」

 「それだって嘘のくせに。でもまあ、勇者さまの記憶があなたの中にあるって言うなら、それってすごく簡単な話よね」

 そう言うと、プリシェスの背後に金色の魔法陣が現れる。そこに手を向けると、魔法陣の中心から剣の柄が現れた。

 黄金の装飾が施された両刃の大剣だ。

 「…………おい?」

 月兎は冷や汗を掻きながら苦笑いで姫の行動の真意を問うた。

 「覚悟しなさい嘘つき魔王! あなたの頭殴り砕いて、脳みそ取り出してシグリア様の記憶だけ回収するんだから!!」

 「…………」

 「…………」

 ぽかんと口を開けたまま言葉を失う双子兄弟。きっと生まれてから初めてのことだろう。ここまで両者の思考が一致したのは。それはズバリ

 

 「「何言っちゃってんだコイツ」」

 

 である。

 

 「さあ行くわよ。バカ魔王! 千年前の仕返しも兼ねて、今度はこっちが【魔王】の力を振るってやるんだから!」

 「くっそおー! こいつ千年前からなんにも変わってねえええええーー!!」

 「逃げるなー!」

 

 「…………そうか。【魔王】になったから、性格が変わったわけじゃ、ないんだな」

 

 (ところで、俺。これからどうしよう。みんなの仇であるアナローシマは、倒した。倒さなきゃいけないかもしれなかった月兎は元【魔王】で……)

 

 「な、なあ、月兎。お前は元【魔王】なんだよな? 地球を滅ぼしたりするのか?」

 「何バカ言ってんだよ。んなことできる位なら、毎月の小遣い減って嘆いてねえよ!」

 (出来ないらしい)

 「えっと……プリシェスさん?」

 「なぁに? シグリアさまー!」

 「キミはこの地球を滅ぼしに来たんじゃないのかい?」

 「えー? 何言ってるの勇者さまー。そんなことしたらデートも出来ないじゃない! 私、今度こそちゃんと恋を叶えて見せるんだからねー!」

 (しないらしい)

 「……………………えっと、つまり、俺はもう……戦わなくても…いい?」

 

 「てりゃあああー!」

 「ごふっ!?」

 

 (あ、月兎が剣で殴られた。峰だけど)

 

 「ふっふっふっふっふー。よくもあの時はわたしの国を滅ぼしてくれたわね~? さあ、宝剣『月光の凶刃ルナティック』の錆になりなさい!」

 「宝剣が錆びるとか。無いわー」

 「減らず口ごと斬ってやるー!!」

 「おいバカやめろー! マジで刃の方を向けるんじゃねえー!」

 

 たのしそうだ。すごく、楽しそうだ。

 

 「ああ、そうか。もう、戦わなくて良いんだ。そうか。そう、なのか。終わったんだ。この戦いは」

 

 空を見上げれば月があった。さっき見たよりもずっと黄色い月。月と地球を何度も行き来したんだろうアナローシマは、月の血液を使い続けたんだろう。それこそ、殺すつもりだった【魔王】に使わせる分など残さないくらいに。

 移動に使い、城を造り、そして残った血液をこの城の地下に持ち込んだ。でも、それをアナローシマが分身に、そして俺が『鍵剣』で切り札を使うのに使い切った。

 だから、きっともう、月に血は残っていないんだろう。だから、さっきよりもずっと月の赤が消えているんだろう。だからもう大丈夫。だからもう戦わなくていい。ああ、良かった。これで……もう。

 ドン。

 首の後ろに何か衝撃が走って、俺の意識は刈り取られた。

 

 な ん で ?

 

 聖月兎は虚ろに眺めている。相打ちに近いが、しかし確実に勝敗が付いて敗北したアナローシマを。ただ一つだけ消えずに残った本体を、眺めていた。

 「…………よう。アナローシマ」

 「ギ……ギザ、マ……!アノ、時ノ……先代…マオう……!!」

 「…………お前も大変だったな。魂を【配下】に作り替えたのか」

 「ナニ……ヲ……言って……?」

 「ああ。そうだろうな。覚えてはいないんだろう。当然だ。すでに違う命として生まれ落ちた魂を【魔王】に改造する大禁忌。俺と言う【魔王】の魂を召喚し、魂を解体し、【魔王】足り得る力全てを、プリシェスは手に入れた。ただ、恋をした勇者に再び出会うためだけに」

 「オ……アア…………?」

 「でもな、それは間違いだったんだ。プリシェス」

 「…………そう、みたい、ね……」

 さっきまで、じゃれていただけの二人が、神妙な表情で向き合っている。

 「良かったんじゃねえか? 光輝が意識を手放したおかげで、これから先を見せずに済む。意味の分からないラスボス戦をな」

 「…………あ、はは……。まさか、あんなに大嫌いだったあなたに、助けてもらうことに……なるなんてね」

 唐突に、意味不明に、置いてきぼりに。地上に足を踏み入れたばかりのお姫様は、それまでの幸福そうな笑顔の全てが崩れ去り、悲しみと悔しさに満ちている。

 「勇者を転生させた後、お前は死んで消えるはずだった俺の魂を月の杖で召喚し、魂を解体して、魔王の力を取り出した」

 「ええ。シグリア様に再会するために、私は【魔王】の不死の力を求めた。そして、勇者と魔王が引き合う運命のレールを求めた。あなたが嘗て、私に一目ぼれしたって理由で【魔王】というシステムから逃れられたように。私も、あの人を愛していたから。出来ると思ったわ」

 「その結果が、ソレだ。プリシェス」

 月兎の悲しみを宿した瞳が映した目の前の少女は、美しい金髪がどす黒く染まり、整った顔は魔獣のような牙や血管が浮き出ている。細くてシミ一つない腕は鱗が生え、可憐で美しい少女は、段階を踏んで醜悪なモノ・・に変わっていった。

 「ああ……あああ……!」

 「お前はバカだ。俺と言う前例を見ていたなら、分かったはずだ。そのチャンスはあったんだ。あったんだ。気付くチャンスが……!」

 

 「ああ……アアア……?」

 

 「【魔王】とは宇宙に根を張るシステムだ。『創造』と『破壊』を合わせて『積み上げる』と名付けた宇宙が設置した『破壊』のシステム。そこに、幸福を得るなんて報酬機能はない。

 殺される以外には不滅というだけの存在に、利点なんてあり得ない……気付けたはずだろ!!」

 血を吐くような絶叫が空しく城に響く。それは、心からの悲しみ。

 「……そう、ね。私は【魔王】の力を魂に注いで、それからすぐに暴走した。ごめんね。月の民を、まるであなたが皆殺しにしたみたいに言ってしまったわ。誤魔化すためだけに」

 「それは構わない。俺が心を砕いているのは、お前のことだ。

 【魔王】というシステムから俺を解放したお前に、初めて恋をした。そんなお前が、童話のように【勇者】に出会って、恋をしてみたいと言っていたのを聞いたから、俺は【魔王】を再開した。

 俺に恋を教えてくれたキミが、幸せになれることを願った。だから勇者にも殺された。魂だけになって、召喚の儀式に呼ばれた時、すぐにキミの元へ行った。普通、成功などしないんだぞ? 魂になった【魔王】を召喚するなんて、無を生み出す位の矛盾だ」

 月兎は左手を伸ばし、プリシェスの手元の杖を呼び込んだ。それをパシッと掴み、魔力を通す。

 「四年前、理由不明の記憶の流れ込みで、俺は自分の魂が覚醒した。

 と言っても、力の大本は全てキミの元にあったから、俺は本当にただの『元魔王』でしかなかった」

 「…………」

 「だから俺は、一から『魔術』を習得した。この貧弱な身体で、キミを倒す必要があったが、とても剣を握れるはずがない。そこで【勇者】の記憶にあった『魔術』の一つ。最大のインチキである『強化』を習得し、脆弱な身体を『強化』し、生命力を『強化』し、知力を『強化』して。俺はギリギリ人としての最低限の性能を得た。

 驚いたものさ。凡人を超人に変えたあの力を使ってなお、まだ私の力はギリギリで常人に届くかどうかのラインなのだから」

 月兎は己の貧弱さに笑いが出る。

 「…………それなら、わたしなんて放っておけば良かったじゃない。

 助けてもらっても、私はあなたのことなんか好きにならないよ。

 もし、本当にあなたが私を殺せて、魂から【魔王】を引きはがして、転生して、幼馴染みたいになったとしても、わたしはあなたを好きにならない。

 【勇者】より酷い報酬内容。ただの『やりがい』だけよ?」

 「ああ。酷いもんさ。やりがい搾取なんて、バカげてる。上等だ。【魔王】としての執着と恋。【勇者】としての記憶と思い出。

 一人の男が向ける女への愛の告白は、報われるためのものじゃない。だから俺は――」

 

 「――ぐうッ!?アア……!アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーー!!!!」

 

 プリシェスの身体は爆発が起き、宇宙そのもののように膨張する。痛みと苦しみ。破壊と創造の先に行われる外部へ侵食する内部改変。痛みは脳を直接壊し、意識を破壊し、自我わたしを殺す。

 だから、ここから先は、ただの独白だ。

 「…………せめて、デートのひとつでもさせてやりたかったよ。夢見るお姫様に、そのくらいの時間を稼ぎたかったよ……。

 でも、アンタそのままじゃ、女の子として好きな男の前に出られないだろう? 

 だから、せめて。お前の運命を、狂わせた男が……せめて今はおまえを……!!」

 「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーーー!!!!」

 「キミを傷物にする責任は取る。だから、安心して【魔王】をさらけだせ。魂の前面に押し出されたソレを殺すためだけに、俺はこの人生の全てを賭けた。他の全てを棄てた」

 左手で持った杖を構え、光輝の創った『鍵剣』を引き寄せる。

 

 「ただ、ひとつだけ。貴女をそんな姿にしてしまう俺の愚行を謝罪します。女性として、醜い姿を晒すことになる屈辱を与えてしまった。他に手が無かったとはいえ」

 

 独白を続けながら、月兎は『鍵剣』の三番目の機能。『盾』のボタンを押した。

 右手に盾を。左手に杖を持ち、月兎は愛した女性が別の生命になるのを見届けた。サイズはそのままに。翼が生えている。辛うじてカタチはヒトを失いきらず、それでも明らかに怪物、否【魔王】だ。

 

 「ウウウウウウウウウウウウ…………!!」

 

 言葉を完全に失った。獣のように呻くだけ。月の姫の美しさは完全に消え失せた。残った美しさは【魔王】としての機能美のみ。今、ここにこの物語の終着点。

 

 魔王プリシェスが、誕生した。

 

 「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」

 まるで唄を歌うような咆哮は、自らの生誕を祝うかのように美しい。これが祝福の聖歌なら、これから彼女が放つものは聖火だろうか。どす黒い鱗からは想像も付かない白い炎。地上を照らす破滅の光。

 

 『生誕の為の破滅ルーウィンチャート

 

 「――!!」

 

 彼女の口から、眩い光が吐き出される。

 まさに光速そのもの速さで、城の壁から地平線の彼方まで焼き滅ぼす。

 この光の直線上に存在していたものでカタチを保っているのは、【勇者】の力により【魔王】と戦うために生み出された『盾』を構えていた月兎のみ。【魔王】から発せられる絶対の力を、揺るがすためだけの力。だが、それでも無傷ではない。これはあくまでも、確定の死を与えるという現象を無効化してるだけのもの。ダメージは避けられない。まして、月兎の身体はただの人類より脆い。『魂』は壊れかけの元【魔王】のもの。本来の担い手ではない者を盾は万全には護れない。

 「ハァ……ハァ……!! 盾で防いだ衝撃だけで、膝が笑ってやがる。

 ハハッ! こいつは小学校の時に影でイジメられてた時に受けた鉄バット以来の衝撃だ」

 月兎は左手の杖を使って両足に『強化』の魔術を掛ける。

 「……へえ。流石は月の至宝。『魔術』のルーツ、月が作った杖だ。『魔力変換効率』が半端じゃないな。一度使った魔力を使いまわさないと回数使えないくらいのしょぼい魔力量でも、まだ余裕がある。これなら右腕にも使える」

 

 「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」

 

 『生誕の為の破滅ルーウィンチャート

 

 「あれをそのまま直進させてると世界が終わるな。

 おかしいもんだ。本来【魔王】の力は億年単位の時をかけて進化、覚醒していくものだってのに。まだ千年程度の赤ん坊が、時間掛ければ惑星滅ぼせますってのは、才能の違いに泣けてくるぜ」

 文句を言いながら飛び上がり、盾に『強化』の魔術を掛ける。

 

 盾―用途解析。護る。防ぐ。受ける。留める。いずれも『生誕の為の破滅ルーウィンチャート』には対処不能。よって、別種の方向性に強化をかける。

 

 『強化―受け流し』

 

 「そして、光輝が使った『変化』の機能に『反射』を追加」

 

 『強化・変化 反射盾』

 

 魔術によって創り替えられた盾は、『生誕の為の破滅ルーウィンチャート』を一度防ぎ、自身に一度留め、そして球状にして反射する。

 このまま光線の形で跳ね返しても、被害を受ける場所が変わるだけ。だから。

 

 「受け止めた後にちょっと角度を調整して上に上げてっと」

 

 『盾砲撃シールド・ショット!!』

 

 僅かに上に向けて顔面に当たるように撃ち返す。仮にも初恋の、愛する女に向けてするようなものでは断じてない。だが、相手は【魔王】なので致し方なし。

 

 

 

 視点:聖月兎

 「――!」

 魔王プリシェスは自身の翼で受け止めて、もう一度『生誕の為の破滅ルーウィンチャート』を撃ち返した。

 「おらぁ!!」

 気合を入れてもう一度盾を振り抜き、また同じよう弾き返す。まるでテニスのラリーのようだ。しかし、それはずっとは続かない。なんなら二・三回もすれば球を出すお姫様が飽きちまったらしい。体力的には有難いが、また何か新しい遊びを所望されちまう。ああ、これがデートか。聞いてた通り、男ってのは、女に振り回されるものらしい。

 「だったらフリスビーってのはどうだ?ほらっ!」

 丸形のシールドを取ってこーいしながら、床に向けて杖を掲げて『仕込み』を一つ。そして盾がない分だけ身軽になった俺は、ウサギのように飛び跳ねながら『生誕の為の破滅ルーウィンチャート』の照準が定まらないように頑張って走る。具体的には時速100㎞。速いでしょ? 褒めて。

 ドームみたいにだだっ広いクソ空間を全力で走り回るとかいう学校で騒いだDQNへの罰みてえな仕打ちを受けながら、等間隔に『仕込み』を入れつつ走る走る。ついでに取ってこーいしたシールドも拾い上げてキャッチ安堵リリース。休んでる暇がねえ!!

 

 「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」

 

 デートプランに満足行ってないらしいレディがご立腹だ。調子こいてると殺されそうですねこれは。

 

 「それじゃあ、一つロマティックなサプライズパーティと行こうか」

 盾ボタンを再度押して『鍵剣』モードに戻して床に突き刺す。そして柄を足場にして魔王プリシェスの頭上に跳ぶ。強化された俺の身体、特に脚部は入念に鍛え上げている。トランポリンの上を跳ねるような跳躍。それを身体の上下逆さまにして首筋に向けてナイフを添える。

 

 『――斬り裂け』

 

 強化の魔術を使用して、杖の先端の部分のナイフの『斬る』役割を強化する。

 これで腕力は必要ない。これで技術は必要ない。これで経験は必要ない。

 

 『生誕の為の破滅ルーウィンチャート

 

 人も文明も焼き滅ぼす破滅の光が襲ってきたので、作戦変更。命大事に。

 

 「あっぶねえええええええええーー!!」

 

 こっちは名刀。ただし深く息を吸って吐き出すだけのお手軽即死技なので、予兆はしっかりあるが、ぶっ放される前に逃げ出せないと死ぬ。よっていくら切れ味が最高でも、俺からの攻撃は無いも同然なのだ。ヘケッ。何このクソゲー、人生かよ。

 元々の最大MPが天と地ほどの格差がある上に、この火力差。そしてこっちは一生懸命健気に走ってるってのに、何でテメーは棒立ちバスターなんだよ?


 「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」

 

 「うるせえええええええええええーー! どんな美声でも何度も何度も来られまくったらいい加減ウゼエぞ!!」

 魔王プリシェスはバサリと人外の翼を広げたと思ったら、これまで口から撃ってきた『生誕の為の破滅ルーウィンチャート

 の発射前の球体を複数個用意し出した。一発が地平線の彼方まで届く極太熱光線が複数個かよ……。

 「……これ、俺が生き残っても俺の背後から最低4㎞程度は地上から消えるじゃん。地上が地上じゃなくなっちゃうじゃん。非常線護ってる警察とか警備員とかこんな時間でも働かされてる社畜が間違いなく死ぬやつだ。そしてサボってる上司とかはのうのうと自宅で生きてるやつ。まあ、別にいいけど。どうせ他人事だし。

 例え他人が滅んでも、俺だけは生き残りたい」

 

 「――――!」

 

 『間引きの聖歌ブレシング・クァイエ

 

 「ほーら来た来た!」

 

 咆哮の後に放射された熱光線は、光球から絶えず出力され続け、それぞれが無作為に地上を焼き払った。てっきりこちらの一方向に集中した攻撃かと思ったが、さすがに三百六十度全方位ランダム攻撃は聞いてない。これじゃあ余りにも規則性が無さ過ぎてめちゃくちゃ回避しずらい。とか考えてたら一発こっちに向かって来てる。

 だが残念だったな。なまじ欲張ってついでに世界も滅ぼしちゃおうなんてしてるせいでほんの僅かに威力が弱い。(誤差)

 つまり一発くらいなら対処可。多分!

 月の杖を全力で振り抜く。

 『反らせ!』

 

 魔力を当社比多めに込めて。ベクトル操作を行う魔術を使って天井にぶつけた。本当は反射出来れば良かったんだが、元々『変化』の過程で魔力が込められていた『鍵剣』と違って、月の杖で使う魔術は魔力が完全に自腹だ。俺単品で『盾砲撃シールド・ショット』を撃とうと思ったら、人生2回分の魔力を借金してもギリ足りないかもしれない。

 ほんと、脆弱が過ぎるぜ。嫌になっちゃう。

 「…………さて、そろそろ仕掛けの方は終わったかな?」

 だから俺みたいなやつが、多少でもマシな戦いをしようと思えば、自分以外の力に縋るしかない。みっともなくても、ダサくても。

 

 「指先のさかむけを千切って出た血だまり程度の魔力で創ったエアガンの玉くらいの大きさの弾。『魔力丸』。それを最低限ダメージが見込めるサイズにするには、アナローシマとの闘いで流した光輝の血を吸わせるしかない。」

 

 「――――!!!!」

 

 「さあお待ちかねのサプライズプレゼントだ! 『射撃』!!」

 月の杖で照準を定めて魔王プリシェスに地面から打ち出す。その数は六発。サイズは石ころ程度。速度は人間の投擲レベル。相手は頑強そうな鱗持ちの魔王。役不足この上なし!

 

 「…………」

 

 コンッ。コンッ。

 

 しかもコントロールと魔術制御の問題で二発しか当たってない。だが問題ない。惨めさなら慣れてる。いや、やっぱ辛いわ。既に理性なんて消えてなくなってるはずのプリシェスが可哀想なものを見る目で見てきた。おい止めろ。いくら負けることが人生と同義だった俺だって、さすがに初恋の女にそんな目で見られたら死にたくなるだろうが。誰の為にやってると思ってんだ。

 

 「…………ガア――ッ!?」

 

 突然、魔王が膝をついて息を乱し始めた。

 

 「どうだ。効くだろう【勇者】の血で創られた弾は。分かるぞ。俺も前世めちゃくちゃキツかった。【勇者】って存在は、理不尽なくらいに【魔王】特攻なんだ」

 

 【勇者】は本来、【魔王】を倒すための存在。【魔王】を処分するために必要とされる存在であり、システムだ。

 創造のための破壊の役割を与えられて生み出されたシステムである【魔王】には、ある程度宇宙を破壊して、存在そのものが宇宙全体を破滅させるほど強大になる位までは生きていてもらいたい。そして、そんな有害になった【魔王】を殺せなければ【勇者】と言うシステムとして意味が無い。ゆえに、【勇者】は【魔王】特攻なのだ。デバフは掛けるわ、能力を封じるわ、成長速度がサラマンダーよりずっと速いわで……。

 

 「ハハッ。実は俺、初めて自我が芽生えてから転生して今に至るまで、マジで一度も勝ったことないんだよな。懐かしい思い出だ」

 

 デバフに苦しむ魔王プリシェスから目線を外さず、俺は突き刺した『鍵剣』を拾いに行く。

 

 「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 もう一度『間引きの聖歌ブレシング・クァイエ』を撃とうとしたのか? 無理無理。だってマジで【勇者】の力って【魔王】にとって猛毒だもん。おかげでさ、ほとんどの力をお前に持っていかれた元魔王の俺ですら、四年間かけてずっと光輝の『記憶』にいたぶられ続けてて、今もすっげえ痛いんだ。

 「驚いたもんだぜ。この痛みさ……自分で左腕を引きちぎった・・・・・・・・・・・・時より痛いんだ」

 カンッ。右手でデコピンした左腕が鳴る・・

 「まあ、この愉快なお話は、今度ゆっくり話してやるよ。地獄でさ」

 

 準備は出来た。時は満ちた。後は、ブッツケ本番を行うだけ。

 

 『斬り裂け』

 

 月の杖に『強化』を掛けて、もう一度切れ味を最高にする。

 

 「【魔王】は復活しない。死んだ後は、地獄へ落ちる。酷い話だよな。死ぬ前提で働かせておいて、役目を終えたら更に苦痛に放り込まれるとかさ。でもこれ、マジなんだよ。だって、俺がキミに召喚されるまでそうだったんだもん。ほんとマジで何も報われないんだよ。キミが言った『やりがい』でさえ、自我の無いシステムには絶対に手に入らないだろ?

 だから、俺はキミが【魔王】になって暴走した時、何がなんでも助けたいと思った。その為の手段を必死に探したよ。本当に必死だったんだ。いろんな本を読み漁った。危険な橋もたくさん渡った。生き残るために左腕を対価に払った。なにか突飛なアイディアは無いかって、アニメやらゲームなんかも観たりしてさ。まじで迷子みたいな心境だったよ」

 

 「…………」

 

 俺の言っていることを理解しているはずもないのに、プリシェスは黙って、俺を見つめるだけだったおかげで、『鍵剣』の場所に安全にたどり着けた。

 

 「そんな俺が、キミを助けるために思いついた方法なんだけどさ。

 すっげえ安直なんだけど、キミの【魔王】を斬り剥がしてしまおうと思う。

 『鍵剣』のカギの部分を強化して、概念的な『開錠』を強化してさ、キミの魂を引き出して。

 そして、この杖で斬る。


……え? 適当だって? 仕方ないだろう。なにせ今思いついたんだ」

 

 そう言って、俺は自分の右腕を月の杖で斬り落とした。

 

ボトリと床に落ちた俺だったものに杖を差し込んで、全部『魔力』に変換する。なかなかグロい映像だとは思うが、どうかお目汚しをお許しいただきたい。なにせこちらは人類最底辺。これくらいしないと、まるで魔力が足りないのだ。

 全て吸い上げ切って、文字通り骨も残らない腕があった場所。これで準備は整った。俺は杖を口に咥えて、『鍵剣』を抜き放つ。

 「…………時間もないから、急ぐぜ。なにせ腕を斬り裂いた。失血死寸前だ」

 

 

 

 そこからのことは、特にこれと言ってドラマチックなこともなければ、おもしろいことも無かった。ただ、俺にとっては本懐だった


『物語のようにお姫様が助かる結末』


を引き寄せただけだ。嬉しい限りなご都合主義の物語ハッピーエンド

 ただ一つ、断言しておきたいのは、【奇跡】なんてものの出番が無かったということだけだ。

 だってそうだろう? 既に失血死寸前だった人間が、周囲に応急処置が出来る人間や、救急車を呼ぶ人間だっていない。【勇者】様はボロボロのところを意識を落とした。お姫様は本当にご都合主義なくらい上手く助けられた。元々完全な魂から余計な部分を取り除いたことで、完全な魂が形状記憶みたいに元々の美しい姿に戻してくれた。おかげで、彼女を完全に助け出すことが出来た。そう思ってもいいだろう?

 光輝が日野さん……もう良いか。

 陽香を好きになっているから、彼女の恋は前途多難だが、さすがにそこまでは責任持てない。なにせ、俺自身が常に片思いで、恋していたんだから。

 だから、俺がこの行動を取ったのは、責任感でも無ければ同族への同情でも無い。ただ、自己満足に彼女を愛していたから。初めて【魔王】として彼女を見た時、俺は恋をした。一方的に、自分勝手に。相手の都合もお構いなしに。

 

 

 「プリシェス姫……キミの人生が幸せであることを、独り善がりに願っている。だって恋しちゃったんだ。そんな相手が、地獄に落ちるなんて……耐えられるわけが、ないだろう?

 

 最期まで、告白にもならない独白だけで。自分勝手な言い分だけで…………。

 満ち足りた、愛しているエゴの充足に、恋の成就生きた証を視た。

 ほんとうに。破滅しかもたらさなかったろくでなしには、分不相応に幸せな結末ハッピーエンドだった。だから……もう、充分だ」

 

愛の告白覚悟は決まった。もう右腕を魔力に変えた力で、誰も使ったことの無い奇跡に近い魔術を放つ。


 『愛する彼女に幸福をディア・マイ・プリンセス


 ――聖月兎おれは、意識を手放した。




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