第2話 覚醒

「跪け。脆弱な地球人共」

 声のした方にたどり着くと、そこはトオルが待っているはずだったファミレスのある車道だった。ただ、もうそのファミレスで食事するのは難しいだろう。

 「何だこれ……車は横倒れになってるし、破壊されてるし、道路は穴だらけだし。いろんな建物が壊れてる……」

 視界のいたるところに無数の青黒い鎖のようなものが刺さっている。それは無作為にあちらこちらに張り巡らされていて、極めつけは何台かの自動車を吊るし上げて背後に飾り、まるで玉座の装飾でもしているかのようだ。

 そんなボロボロに壊されて悪趣味に飾られた道の真ん中には、先端がハサミのようなものが付いた長い杖を掲げた銀髪の男が一人。ファンタジックな鎧と、目元だけを隠している兎のような鉄製の仮面を付けて、銀の長髪をたなびかせながら、人々を一か所に集めて演説している。

「貴様たち地球人は、我々が生誕した遥か後に生まれた後継種だ。先祖を敬うのは貴様らの風習なのだろう? 根付いた命は慈悲で生かしておいてやろう。

 偉大なるツクオミ人に従うがいい。さあ跪け!!」

 まるで、現実が、趣味の悪いフィクションに侵食されているみたいだ……。

 「スピリット、アレは何だ?」

 《おそらく、月の【魔王】の【配下】だろう。》

 「配下? 月の民は滅んだんじゃなかったのか?」

 《【魔王】によって惑星が滅ぶごとに、滅ぼした規模に応じた力を持つ【配下】が発生するケースが存在する。あくまで副次的なもので、確率に依存するが、それを引いたのだろう》

 「滅ぼされた惑星の化身みたいなものじゃないか。そんなの寧ろ、敵討ちとかしそうなものじゃないか?」

 《【配下】は【心亡き者ロストハート】だ。肉体の存在しない【躯亡き者ノーバディ】の私とは反対に、アレは織り込まれた肉のカラダに惑星に記録されている住人の中から【魔王】の【配下】となるに相応しい人格の記録を躯に入れて、【魔王】の目的を至上命令とした上で、自立行動を取っているに過ぎない。

 アレに人間らしい善性を期待することも、また、命としての配慮や尊重を考慮する必要もない。殺すか、殺されるかだ。》

 「…………でも、あんな人間に近い見た目なのに……」

 突拍子の無い話の連続で、本当に理解できているのか、俺自身にはよく分からない。ただ、あの【配下】の言動と、鎖と、杖。ボロボロの街。誰かが戦わなきゃいけない。あれがそういう悪だっていうことは、納得せざるを得ない。何より。

 「ねえ、光輝君いた?」

 「ダメだ。見つかんねえ。月兎君に連絡してくるとか言ってたから、もしかしたら無事かもしんねえけど」

 「うう……怖いよ。あいつヤバいよ美咲。何であの鎖、ビルを斬ったり車吊るしたりしてんの? ウチら死ぬの?」

 「落ち着きなって、アユ。とにかく今は、アイツの言うこと聞いて生き残るしかない。大丈夫。みんな一緒だからさ」

 「うう……うう……!!逃げたい、死にたくないよお……!」

 「無理だよ。だってアイツ、さっき●●●●してたんだよ? 絶対に逃げ切れない」

 俺の仲間もあそこにいた。少しケガもしている。戦わなきゃ、もっと酷いことになるかもしれない。

 「それで、俺はどうすれば戦えるようなるんだ、スピリット。」

 《魂に刻まれた刻印レコードを解読し、嘗ての記録武器を取り戻す》

 「武器……記録?」

 《そうだ。勇者は自らの力を魂に刻み、眠りについた。いずれこの惑星に【魔王】が襲来した時、再び自身が戦うために。

 その遺産とも呼べる力を取り戻すことで、聖光輝は【勇者】として目覚める》

 「でもそれ、具体的にはどうすればいいんだ? 英雄だったころの記憶とか、俺には無いだけど」

 《【英雄】ではない。キミは【勇者】だ》

 「え? あ、うん……」

 どっちも同じなのでは……?

 《【英雄】と【勇者】は根本から異なる別物だ》

 「そう、なんだ。わかったよ。それで、どうすれば勇者の記録を取り出せるんだ?」

 《…………時を待つしかない》

 「時を待てって……そんな。それじゃあ、俺はこれからどうすればいい? どうやって今捕まっているみんなを助けるんだよ!?」

 「聞こえなかったか、地球人。跪くのだ」

 ――瞬間、背後から声がして、何かが背中に当たって……侵入してきた。

 「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーー!?」

 痛い、熱い。感情がその二つだけに染められて、倒れ伏す。肉体は絶叫を上げる以外の機能を停止して、俺はただのた打ち回った。背後に立っていた敵の言葉を辛うじて脳が認識し始めるまでに、いったいそれだけ時間がかかったのか。

「ギィ……ッ!?な、なんで後ろにいるんだよ!?」

 ひとしきり絶叫こえを上げた後、ようやく背後を確認することを思い出して這いつくばりながら振り向く。見上げれば、ついさっきまで数百メートルは離れていたはずの兎の仮面を付けた男が立っている。手に持った杖の先端には赤い血が垂れる。さっきまで俺のカラダの一部だったはずのものだ。

 「ふっふっふっふっふ。『分身』はこんなところに隠れるしか能のない、哀れな愚民を炙り出すためにはとても重宝するのでね。見回りに配置しておいたのだよ。」

言いながら俺の首元を掴んで片手で持ち上げる。

 (嘘だろ……人一人持ち上げるのに片手なんて。細い身体してとんでもない力だ)

 「諸君。見るがいい。我が身可愛さに隠れ潜んでいた哀れな者だ」

 「え!? アレ光輝じゃねえか!」

 「嘘……光輝君!?」

 「何よアレ……めっちゃ血出てるじゃん……ちょっとアンタ!!光輝君に何してんのよ!」

 「フフフフフ。見せしめにはちょうどいいネズミなのでな。

 見るといい。人間共。逆らった者の末路を見せてやろう。気になるものもいるだろう? 本物の人間の首の断面図を……」

 薄ら笑いを浮かべながら、杖の先端のハサミを俺の首を挟むようにあてがう。マズイ。このままじゃ戦う前に殺される。背後から躊躇なく人を刺す者が、殺しを躊躇するのは希望的観測が過ぎる。なんとかしないと殺される。なのに、片手で俺を持ち上げるような握力から逃げる力が入らない。背中からボタボタと流れ落ちる血潮と共に、抵抗の気力まで持ち去られているみたい。まずい。殺されるかもしれない。

 「う……あ……っ!!」

 「何だ、小僧。もしやまだ自分が死なないと思っているのか? 無駄だぞ。私はお前を殺すと決めたのだ。諦めて殺されるしかないのだ。諦めて死後の安寧を祈るがいい」

 ああ、ヤバい。本当に殺される。殺気みたいなものが伝わってくる。人間、本当に殺意を向けられると伝わるらしい。今背筋が寒いのは、きっと血が流れているせいじゃない。だって、俺の中を駆け巡っていた血潮は、とても暖かいのだから。

 「経験者として保証してやろう。小僧」

 「…………?」

 「死は優しいぞ」

 ふわり。それまでの嫌な笑みが一変して、柔和な笑顔になった。

 

 ああ……殺される。

 

 「離せやコラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーー!!」

 

 声が響いた。学校でよく聞く友達の声。つい数時間前も弟に向けられていた声。

 「トオル……」

 走ってきている。人が伏せている中を踏み越えて。

 「止めろトオル。殺される……!!」

 「フハハハハハハハ! なんだ友人か? いいだろう。仲良く死を与えてやるさ。これでも私は優しいのでね」

 俺の首に向けていた杖が、トオルの方に向く。

 「死ねやあああああああああああああああああああああーー!!」

 「いや、死ぬのは貴様だ」

 トオルがあと数歩でコイツに届く距離まで近づいた。そして、手を自分の学生服の襟に突っ込み、何かを取り出した。車のマフラーだ。その辺で壊れていたものを拾ったのだろう。

 「やめろ! 鎧着てるんだぞ! そんなもので何になるっていうんだ!!」

 「まったくだ。我々の後釜だったはずの地球人が原始的な文明しか持ち合わせていないのは知っていたが、どうやら知性も力も衰退の一途を辿っているらしい。たかが千年で、ここまでとは……」

 忌々しい表所で、奴は見下している。トオルを。俺たちを。

 「笑ってんじゃねえよおおおおおおおおおおーー!!」

 「戯れだ。冥途の土産にこの鎧の頑丈さを見ていくといい」

 とうとう余裕綽々に、大げさに両手を広げてみせた。どこまでも、侮っている。

 「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーー!!」

 進行を邪魔されることもなく肉薄したトオルは、たっぷりと振りかぶってマフラーを振り下ろした。杖を持つ右手に向けて。

 「何!?」

 杖の先を充分に余らせて持っていた手に直接打撃を入れられたなら、人一人持ち上げる握力があっても無傷とはいかないらしい。持っていた杖を、こいつは落とした。

 「うおりゃあああああーー!!」

 この機会を逃さず左手に持たれていた俺は、可能な限り勢いをつけて、敵の顎を目掛けて蹴りぬいた。

 「ゴオ―ッ!?」

 コイツが油断して腕を広げていなかったら足を限界まで上げて蹴るつもりだったが。おかげで蹴りやすかったよ。

 「……どうやら生身の弱点は、俺達とあんまり変わらないらしい」

 「が……アガ……?」

 「よっしゃあ、ざまあみろ!! 光輝君の蹴りはやべえんだぜ!」

 そう言いながら、トオルは俺が蹴り砕いた顎から口内をマフラーの先端で突き刺した。

 「があああああああああああああああああーーー!?」

 悲痛な叫びを上げながら痙攣した敵が、やがて動かなくなって砂のように崩れた。

 「よ、よっしゃあ……! 倒したぜぇ……」

 「いや、まだだ。トオル。まだ、あそこに本物が残ってる」

 喜んだのもつかの間。こいつは自分のことを分身と言っていたんだ。つまり、さっきまで演説をしていた方が本体で、俺達の敵はまだ無傷。本体のほうへ目線をやれば、同じ顔のやつが、ニヤついた顔でこちらを眺めていた。

 「フフフフフ。なるほど。なるほど。そう言うことか。

 いくら【配下】が相手と言えど、【勇者】たるもの、運命のように都合良く、必要とされる場所に現れることが出来なければ【勇者】足り得ないと言うことか。」

 「何言ってんだこの仮面野郎?」

 「…………」

 「私は兼ねてから疑問に思っていたことがあってな。【勇者】と【英雄】はどう違うのかということだ」

 「はあ? なんだそれ。どっちも一緒だろ」

 

 【英雄】と【勇者】は根本から異なる別物だ。

 

 (なんだこいつ? スピリットもそうだったけど、呼び方一つがそんなに違うのか? 英語で言えばどちらもHeroだ。何で月からやってきた存在が、そんな日本語の差異に拘るんだ……?)

 「ふっふっふ。これは面白くなってきた。興が乗ったぞ。ひとつ自己紹介をしてやろう。

 我が名はアナローシマ。【魔王】の目覚めに先んじて、この惑星に滅びをもたらす者だ」

 「何だテメエ、支配するんじゃなかったのかよ?」

 「無論、ただのジョークだ」

 「意味分かんねえこと言ってんじゃねえよーー!!」

 トオルが走る。今度は本物を殴るために。俺も後を――

 「ぐっ!」

 (不味い、足元がおぼつかない)

 「光輝!」

 足がもつれて転んだ俺を、陽香が受け止めてくれた。

 「ハァ……ハァ……よ、陽香……」

 「動かないで。背中、凄い傷だから」

 「で、でも……トオルが……」

 

 「うわああああああああああああああああああああーー!!!!」

 トオルの、断末魔が聞こえた。

 「とお……る」

 声のした方を首だけで振り向く。

                      いや、振り向けない。

 トオルはまだ、自分の足で立っている。

                      違う、立っていない。

 「まあ、こちらが【勇者】であるはずは無いな」

 「ウソ……トオル……?」

 「いやぁ……うそぉ……いやあぁ……!??」

 三咲とアユの悲痛な声が耳を刺す。それでも、それより小さいはずの音が、ポタリ、ポタリ…。赤い雫が地を濡らす音が、何より耳に響く。

 「ああ、一つ自己紹介を忘れていたな。まあ、許してくれたまえ。なにせ生まれてせいぜい数分くらいなものでね。多少のミスはご愛敬だ。

 さて、この辺りに張り巡らせている鎖だが、これは私の魔術のでね、良く動き、良く斬れてよく刺さる。なので。見るといい。これが私の力だ」

 トオルの身体が、宙に浮いている。身体から、青黒い鎖が生えている……。

                      刺さっているんだ。

 腕に刺さっている。脚に刺さっている。腹に刺さっている。首に刺さっている。

                      そして、頭のつむじから足の裏まで二本。

 「ふふふふふ。中々センスのあるアートだと思わないかい?」

 「ぎゃあああああああああーー!?」

 「おうええええええええーー!?」

 「こ、殺されるううううーー!!」

 周囲にいた人たちが絶叫し、吐き散らして、逃げ惑う。今までは黙って跪いていただけだった人たち。命惜しさに従っていた人たち。でも、もうここにいても殺される。現代社会に生きて錆びついていた生存本能に一気に油が浸透する。生き残るために、全力の直観を働かせたのだ。ここにいたら殺されると。だが……これは悪手だ。

 「おやおや、忘れたのかね? 私の鎖が走っていく車を捉えて吊るしたことを。諸君らは見ているはずだが?」

 アナローシマが杖を振るう。すると鎖は生き物のように動き、逃げる人々を刺し貫き始めた。

 「ぎゃああああああああああー!?」

 「いやああああああー! 痛いいいいー!」

 「助けてくれえええええー! 誰かああーおまわりさあああああああああーーん!!」

 殺されていく。目に見て致命的に刺し貫かれる。腹部。内蔵。頭部。脳みそ。首、頸動脈。即死で、痛みを伴い、徐々に。様々な殺し方をしている。

 「フフフフフ。気付いているかい? 勇者よ。ああ。キミのことだ。そこのオレンジの髪の少女に抱かれているキミだ。【勇者】はキミだろう?

 殺し方を変えているのが分かるかい? なにせこの力を使うのも初めてでね。練習が必要なんだ。そこでだ。見たところキミも【勇者】の力を発現させていないようだし、ここは一旦引いてはどうかね? この島国の人間を絶滅させるくらいには、私も力を慣らせるだろうし、その時に改めて戦っても構わないが?」


 挑発のつもりだろうか? いや、多分違う、これは驕りだ。アイツは、自分が優位に立っているこの現状に慢心しているんだ。だからわざわざ自分がまだ弱い、まだ強くなるんだぞって言って、俺を絶望させたいんだ。背中のケガも計算にいれて、今なら絶対に負けないと考えて。


 事実、さっきから身体が震えている。血を流しすぎたんだ。痛みも蝕んできているんだ。俺の【勇者】の力も、全然感じられない。さっきの蹴りも、別に何か強くなった感じも無かった。じゃあ、俺の力は、身体を『強化』するようなものじゃないのか。このままじゃマズイ。くそっ、何で前世の俺は、『魂』に力を刻むついでに、『記憶』も刻んでくれなかったんだ。これじゃあ戦えない。これじゃあ宝の持ち腐れだ。死ぬ。殺される。きっと必ず殺される。トオルみたいに。

 「はぁ……はぁ……!」

 激痛を耐えて陽香の膝から立ち上がる。

 「光輝、無理しないで。ほら、ボクに捕まって」

 「…………ああ」

 とにかく、今はまず逃げよう。陽香を。三咲を、アユを。殺される前に逃がすのが先だ。

 「陽香、あたしも手貸すよ。ほら、アユも手伝って。光輝君めっちゃ大怪我してるんだから…………アユ?」

 「…………」

 三咲の言葉に、アユは何も言わずに俯いている。

 「ちょっとアユ! もう逃げられるんだからいつまでもビビッてない……で……?」

 「? 三咲、どうしたの?」

 「きゃあああああああああああああああああああああー!?」

 「!? 三咲どうしたの! 三咲!?」

 「嫌ァ……! いやあああああああああああああああああああああああーー!?」

 三咲の絶叫に何事かと陽香が近く寄ろうとした瞬間、何かがゴロゴロと足元に転がってきた。

 「……え。あ」

 「な……に?」

 「アユううううううううううううううううううううううううーー!??」

 それは、アユの…………頭だ。

 「嘘……どうして……」

 「うん? そこの少女は勇者の友人かね? おやおや可哀そうなことをした。そこのオスは殺してしまったからね。せめて残りの友は同時に送ってやるつもりでいたんだが……まあ、あまりに何も役に立っていなかったものだから、まさか勇者の関係者だとは思わなくてね。

 ふむ。これはわたしの落ち度だな。謝罪しよう」

 「ふざけんな!! 何が謝罪だよ! 人を殺しておいて何でそんな軽いこと言えるんだよ!」

 「おや? さきほどまで震えていた人類が急に元気になったな。これは……ふむ」

 「何とか言えしクソ野郎!!」

 「仲間を殺されると人間は元気になるのか? 試してみようか。」

 「は……? 試す……?」

 止めろ。そう口にする前に、奴は杖を振るった。

 「かつて月に元々いた方の勇者は、侵略者として現れた魔王を倒す力を持ってはいなかったという」

 アナローシマの語る速度に合わせて、鎖が三咲を襲う。じっくりと、嬲るように。

 「いぎいいいいいいいいいいいいーー!???」

 「まず、自らの持つ魔力を全身に行き渡らせることが出来なかった勇者は、敵に捕まり、神経系に管を通す拷問を受けたという」

 「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーー!!!?」

 奴の操る鎖が小さくなって、三咲の血管の中に入っていく。

 「そして、いずれ管は神経を這いずる蛆虫へと変わり、脳へと達し、最期には……」

 「いやああああああああああああああーー!! 痛い! 痛い! 痛い! 止めて! 痛いいいいいいいいいいいいいーー!!!!」

 「フフフフフ……痛いか? 残念ながらまだ続くぞ?

  脳を齧られ、死に――」

 「もう止めろ」

 三咲への拷問に、奴が愉しみを感じ出した時、それまで動かなかった身体が変化を見せた。不思議な力が湧いて来たわけでもないし、何かこいつを倒すための手段が思いついたわけでもないが、ただ、三咲の悲鳴は止んだ。

 「うん? 何だ? 今更戦う気になったのか?」

 つまりこいつは、勝つ手段もない俺を焚きつけて、挑ませて、弄びたいんだ。けど、他に三咲を助ける方法もない。さっき言ったとおりだ。誰かが戦うくらいなら俺が戦いたい。こんなことなら、最初にアイツを見つけた瞬間に、殴り掛かれば良かった。そうすれば、トオルは殺されなかったのに。アユが死なずに済んだのに。俺は、自分が勇者だって教えてもらったのに。

 人がいなくなり、車とコンクリートの残骸くらいしか阻むものがなくなった道を俺は一直線で走っていく。敵に武器があって鎧がある。それで素手で戦うことが出来るわけもないので、適当に拾った車のサイドミラーを投げつけつつ、トオルが持っていたマフラーを拾って殴りかかる。

 「うおおおおおおおおおおおおーー!」

 「哀れなものだな。宇宙に選ばれた【勇者】が、武器ですらない鉄の棒きれを振り回して戦う姿は。」

 不愉快な笑顔を浮かべながら、アナローシマはただただ自身の杖で俺の攻撃を捌いている。鎧にすら届かない、ダメージも与えられない、自暴自棄な攻撃。

 未だ背中に走る激痛は俺の動きを鈍らせる。これではトオルの二の舞になるだけだ。それでも、もう俺にはこれしかない。動きは止められない。止めればきっと三咲は殺される。そうなれば今度は陽香が殺される。殺される。きっと間違いなく殺される。冗談じゃない。友達を全員殺されて、その上家族も同然の女の子まで? 冗談じゃない。冗談じゃない!!

 「何とでも言え! 俺の大切なものを奪ったお前を、俺は絶対に許さない!」

 「つまらんな。実につまらないセリフだ。ならせめて戦いで私を愉しませてくれ。

 そら、鎖も行くぞ」

 パチンとフィンガースナップで合図を送り、さっきまで三咲をいたぶっていた鎖が俺の背後を襲う。だがこれで良い。これで三咲は解放された。あとは、俺がこいつを倒せばいいだけだ。

 (大丈夫だ。こいつはマフラーで殴られると痛いから杖で防いでいるんだ。そうでなければ、こいつがしっかり防御している理由が無い。ダメージが無いなら、絶対にこいつはノーガードで殴られて自分の実力を誇示する。こいつは絶対にそういうタイプだ。分身と本体の肉体に耐久性の違いは無い。はずだ。はずなんだけど。こいつはどう見ても小心者。小物の類だ。鎖と挟み撃ちにすればいいものを、さりげなく自分が安全な場所に離れている。そこが唯一のネック)

 「――けど、他に方法がない……!」

 一度は背後に迫る鎖を薙ぎ払おうとマフラーを横なぎで振るう。

 「ふはははは!! そんなもので私の鎖を払えると思うのかね?」

 奴の高笑い通り、鎖に触れた部分がキュウリのように斬れていく。鎖は勢いを止めず、俺の攻撃なんて何もなかったように真っ直ぐと俺に向かってくる。一本は右上から首を目掛けて。もう一本は左上から心臓を目掛けて。これなら、伏せるだけで充分躱せるはず。

 俺は深く体を沈めて身を躱す。

 (そして鎖の斬撃で先端が尖ったコイツで刺し殺せば……!)

 「バカめ」

 「え?」

 ドサリ。何かが俺の背中に伸し掛かった。

 「こいつ、さっき俺とトオルで倒した分身か……?」

 「フハハハハハハハハハ!! さっきぶりじゃないか勇者よ。私が死んだと思ったかね?」

 「ふん。その反応を見る限り、本当に知らないようだね。まあいいだろう。どの道こちらは勇者を殺すわけにもいかないのだ。【魔王】が降臨するまで、時間つぶしに教えてあげようか。

 『魔術』で生まれたものは、全て魔力によって編まれている。『分身』などと言ってはいるが、これはゴーレムの方が近いと言っていい」

 「つまり、わたしという存在は、本体が消えぬ限り不滅と言うわけだ」

 「まあ、そうは言ってもさっきの蹴りは痛かったよ。あちらの少年にはしっかりケジメを取らせてもらったが、キミはそうもいかないのが面倒なところだ。

 実のところ、殺すなと言われているからね」

 「なので、せめてもの腹いせに死なない程度に刺してやろう。ほら」

 「グウッ―!?」

 「ああ、それと。今殺しかけた少女には、私の痛みをしっかり味わって死んでもらうよ」

 「もちろん、そこのオレンジ髪の少女も一緒に痛みと死を与えよう」

 「止めろ! もう俺の友達に手を出すな!!」

 「それは無理な相談だ。どのみち魔王は、勇者以外は殺すつもりでいるのだ」

 「【勇者】の力を目覚めさせることが出来なかった自分を呪うといい」

 

 「「さあ、哀れな【勇者】の成りそこないよ。護れなかった自身の弱さを呪うがいい。

 我らはその血を酒杯に注いで乾杯しよう!」」

 

 「やめろよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーー!!!!」

 

《勇者よ、いま時が満ちた》

 「え……?」

絶体絶命の瞬間に、それまで声が聞こえていなかったスピリットが口を開いた。

 《汝が自ら稼いだ時間、生存という戦いを勝ち残り続けたゆえの満潮だ。

見るがいい、地球から観測している月が完全に赤に染まった。これこそ、地球で勇者が覚醒するための絶対条件だ》

 「何を言っているんだ? 何か起こるのか!? だったら今すぐ二人を助けてくれ!!」

 「……? 何だね勇者。突然に」

 《勇者よ。助けるのは【勇者】の役目だ。

 ただ戦争に勝つだけなら【戦士】で事足りる。

 人類、種族の繁栄を護り、破滅を防ぐのなら、それは【英雄】の役割だ。

 だが、民衆を護り、国を護り、大切な人を守り切るのは……『運命』を味方に付け【魔王】を討ち果たし、個体を護ることが出来るのは。


――【勇者】をおいて他にいない》


 「勇者……大切な人を、守る。守り切る……でも、守れてないじゃないか!!

トオルが死んだんだ! アユが死んだんだ! そんな俺の何が【勇者】だ!?」


 《勇者だとも。ただ一度の傷すらもなく、キミの『大切な人』は無事だ。これが、『運命』に導かれて戦う【勇者】に対する、【世界】からの唯一の報酬》

 「何を言ってるんだ?」

 《理解出来ないとでも? 否、理解している筈だ。

 人にとって他者の価値が均一であることなどあり得ない。例え繋がりの名称を《友人》と一纏めにしたところで、人はその《友人》の中に格差や優先順位が付く。これは外道でもなければ、傲慢でも無く。まして卑劣な行いでも無い。

 命に係わる危機に、真っ先に護る相手を誰にするのか。人は常にその答えを決めている。友達というグループの中で『最も大切な存在』が決まっている。

 ゆえに、勇者。いいや、聖光輝。キミにとって『最も大切な存在』――日野陽香は、未だ無傷であり、そしてついに凶刃の矛先が向けられようとしている今になって、聖光輝の【勇者】としての力は覚醒した》

 「何言ってるんだよ……俺にとって、みんな大切なんだ……欠けていていいわけがないんだ!!」


 「どうやら、己の弱さゆえに狂ったらしい」「ふむ。ならばもう、私が抑えている必要も無いな」


 《さあ、今こそ目覚めよ【勇者】よ。

 魂に刻まれた『刻印レコード』を解放し、嘗て自らが振るった力を再び我がものとするがいい。発動のための呪文は知っているはずだ》

 「ぐうっ……!うううううううううおおおおおおおおおおあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああーー?」

 分かる。伝わる。理解出来てしまう。嫌だ。嫌だ。嫌だ。分かってしまうのが嫌だ!! 脳が沸騰するほどの解像度で映し出されるこの未来は嫌だ!!

 早く……!早く発動してくれ!!このままじゃ足りないのが分かるんだ。

 二人を護るために必要な時間が足りないんだよ!!

 「さて、と。せめて目の前で殺してやるとしよう。実は生きているのではないのかなどと妄想に陥ってしまうのも気の毒だ」

 やめろ行くな! そっちに行くな!! 陽香と三咲に近づくな!!!!

 「や、やめて……来ないで」

 「心配はいらないさ。彼女を送ったら次はキミの番だ」

 「じゅんばんこだ。じゅんばんこ。幼稚園の頃にブランコや滑り台で習っただろう? あれと同じだ」

 「ダメ! 止めて、三咲に触らないで! ケガしてるんだよ!」

 「ああ。よく知っているとも。原因は私だ。専門家と言っても良い」

 「大丈夫だ。すぐに痛くなくなる。治療は単純。ちょっと殺すだけだ」

 頼む陽香、もう少し。あと少しだけ持たせてくれ! 力の使い方が分かったのに、肝心の間合いが足りない。俺がそこにたどり着くまで待ってくれ! 必要な道具は拾ったんだ!

 「アナローシマ!俺は【勇者】の力を目覚めさせた!俺と戦え!!!」

 「光輝! 動いちゃダメ! 死んじゃう!」

 「大丈夫だとも。【勇者】はまだ生きている。少なくとも、貴様たちよりは長生きできるさ!」

 「きゃあっ!」

 「…………」

 必死に守っていた陽香の腕から、三咲が奪われた。ダメだ、止めろ!

          既にぐったりとして、まるで反応が無い。もう手遅れだろう。

 地面に伏せられて、杖の先端が、三咲の口に添えられる。

             嫌だ。間に合え。間に合うんだ。間に合えよ!

手の中に握ったある物がカタチを『変えて』いく。もう少しだ。勇者なんだろ、俺。運命が味方なんだろ!? だったら救ってくれ! 一緒に救うんだ。またみんなで一緒に…………。


 《伝えたはずだぞ……勇者よ。「残念ながら、その願いは叶わない」と。》

 

 手の中の『武器』が完成した瞬間、それまで感じていた背中の痛みがすっと消えた。

 歩数にして僅か三歩。身体が軽い。これまでの自分の身体から想像も出来ない程に軽い。同じく、発泡スチロールのような重さの『武器』と共に駆け抜けて、三咲を刺そうと杖を構えていた方の『分身体』の頭を殴り砕いた。

 筋肉の繊維が引きちぎれる音も、首の骨が砕ける音も、血管から湧き出る血潮の音も。蚊の鳴くような小さな音なのにはっきり聞こえた。つまり、今俺のカラダは、脚も、腕も、脳の情報処理能力も。はっきりと『変化』しているということだ。

 これが、俺の【勇者】の力。破壊されていた無数のクルマの中に偶然放置してあったのであろう車のカギを『変化』させて、剣のようなカタチに変えた。と言っても、刃は無いので打撃武器だ。カギの持ち手の部分を剣の柄のように変えて、ボタン付きだったから、ワンプッシュで使える簡易な機能が付いた。ファンタジックな敵の見た目には合わない、ヒロイックな機械と魔術の融合武器の誕生だ。それは、俺と言う【勇者】の誕生を意味している。だから……。



 「…………」

 「どうやら本当に覚醒させたようだな。【勇者】の力を」

 アナローシマが軽口のように俺に話しかけてくる。

 「…………」

 「さきほども言ったと思うが、私は【勇者】と【英雄】の違いとは何なのかと考えていた。それが分かるかもしれないな」

 嬉々として、楽しそうに。愉快そうに。反吐が出るほど不快な声で。

 

 「…………知りたければ教えてやる」

 

 「ほう? ならばぜひ教授願いたいね。生まれたばかりの私だが、この人格のベースとなっている者がやかましくてね」

 

 「…………認めるしかない。この事実を」

 

 「うん? どういう意味かな?」

 

 「魂に刻まれていたのは、『変化』の魔術だけじゃない。

 先代、先々代に、この『魂』を持って生まれた【勇者】の記録があった。」

 

 ああ、少し邪魔だなこの鍵剣。地面に突き刺しておくか。どうせもう道路はボロボロだ。少しくらい補修箇所が増えても、もう怒られはするまい。


 「【英雄】とは【勇者】のように『魂』が継承されて生まれてくるものではない。ある日突然、強大な力を持って生誕し、その力を悪行に注がず。世界の破滅を望まず。『人類』の為に戦争を戦った【魔王】の別名。

 『運命』に抗った者。限りなく不可能な奇跡じょうけんを成立させた希少種だ」


 「……【英雄】が【魔王】と同質? なるほど。それが真実なら、確かに【勇者】とは別物だな」


 「そして【勇者】は『運命』に導かれ、『運命』を味方に付け『大切な個人』を護り抜くことを報酬として【魔王】を打倒する者。生まれながらに才を持ち、人々に愛される人格を持ち、人類に初めから祝福されるもの」

 昔から運が良かった俺と、運に恵まれなかった月兎。双子でもこうまで違うのは、初めから決まっていたことだったからなんだろう。

 「…………なるほど。答えを得たよ。中々興味深いものだった。もっとも、知ってしまった今はツマラナイ話だったがね。

 『大切な個人を護り抜くことが報酬』か。だから貴様は、私の分身を一撃で葬り去る力を手にしながら、足元の友人をむざむざ死なせたわけか」

 「…………」



 俺の足元には、三咲が眠っている。俺が『分身体』を仕留める直前に、口内を奴の杖で刺し穿たれて絶命した友達の遺体が。あれだけの俊足で駆け抜けていたにも関わらず、刺された瞬間にビクリと痙攣していた友達の姿が、スロー再生のようにゆっくりと、鮮明に視界に焼き付けられた……友達が。



 「……こう、き。」

 そして、スピリットが言った俺の大切な個人。日野陽香は、何事もなく無事に生きている。

 

 ピーポー!ピーポー!ピーポー!ピーポー!

 パトカーのサイレンが遠慮なしに響き渡る。特に、感想は無い。もっと早く来たところで、周囲の躯が増えただけだろうから。

 「……無粋な音が聞こえるな。

 ここで決着をつけてもいいが、キミは友人の遺体を放っておけはしないだろう?」

 「…………行けよ」

 「ああ。そうさせてもらおう。

 さて、先ほどの回答のお礼だ。戦う場所の指定はあるかね? 

 と言っても、おそらく封鎖されるであろうこの場所くらいしか思い当たらないがね」

 「…………仇は必ず取る」

 「仇とは私かね? 魔王かね? はたまた…………『運命』だったりするのかな?」

 皮肉だけで形成されたようなセリフを残しながら、杖を振ったアナローシマは、光の粒子になって、赤く染まった月へと昇って行った。

 本当は今すぐにでも倒したい。けど、今戦うと……。

 「………………」

 まるで道端に放置された動物のように投げ出された友達の遺体を、傷つけることになる。

 すでに損壊の激しい遺体だが、これから遺族の元へ運ばれることになる。せめて、それが誰のものなのか。遺族が確認して納得できる範囲内に抑えておかなければ。残された家族が、死を受け入れられないかもしれない。

 「……光輝」

 「……ごめん。陽香。ごめん。みんな……護れなかった」

 この言葉は俺の弱さ、身勝手。言うべきでない言葉を、飲み込む前に吐き出してしまった。大切な友達を失ったのは、陽香も一緒なのに。謝らても、困らせるだけなのに。

 「……………う、ん。そう……だ、ね。」

 なのに陽香は、言葉に詰まりながら、それでも俺の言葉をなんとか肯定しようとしている。なんて、愚かなことをしたんだ俺は。泣きたいのは、苦しいのは、陽香も一緒なのに、俺はひとり甘ったれて……?

 「ごめん、陽香。何でもない。今言ったことは忘れて――」

 「ボクが謝られたんだから……ボクが、光輝を許すよ。」

 「――っっ!!」

 心臓が止まりそうな衝撃だった。

 「…………ボクも、何も、出来なかった、ね」

 「……………………ああ」

 傷ついた心が、一気に癒されていくのを感じる。

 「光輝……許して、くれる?」

 惨めだった気持ちが、慰められていくのが、分かる。

 勇者だって言われた時、俺は誇らしさを感じていたんだ。自分が特別扱いされることは慣れていた。学校で教わったことは何でも出来たし、スポーツだって、挫折したことはない。少し教わると、それだけの情報で、自分の中で発展させて、自分用に動作を最適化することが出来た。好奇心の強さも手伝って、色んな知識を吸収したりしていた。一度読んだ本の内容を記憶することも出来た。天才だって言われることには、慣れすぎていた。

 でも、俺自身は自分が天才なんかじゃないって気付いていたんだ。俺は、既に確立している物を取り込んで自分が使えるようにしているだけ。

 俺自身は、何も生み出せないんだ。

 俺自身が、特別なことなんてない。俺がもし、人類最初期に生まれた人間の一人だったなら、きっと、大した存在じゃない。俺よりも前の時代に生きた偉人たちが残してくれた知識や技術の遺産が無ければ、俺は無力だ。俺は、少し小賢しいだけの人間だったんだ。

 だから嬉しかったんだ。【勇者】という特別だったことを知って。正直少し浮かれてもいた。そして、その直後に敵が来た。勇者なら倒せるんだろうと思っていた。大切な友達と、ずっと一緒に居られると思ってたんだ。なのに、現実は逆だ。俺は、とんでもない偽善者だったんだ。こんな状況で『最も大切なもの』が、陽香だけだったんだと思い知らされた。

 俺が陽香を好きだったことを、運命に見透かされていたんだ。

 ああ。認めるよ。俺は【勇者】だ。俺は陽香が一番大切・・・・・・・・なんだ。

 だから、心は全く折れていない。陽香が生きていることが、運命からの報酬だって言うなら、アナローシマも【魔王】も必ず殺す。だって、俺は【勇者】で――

 


「――ああ。もちろん。俺が陽香を許すよ」



 大切なものは一つたりとも失われてはない。契約が続く限り、陽香とずっと一緒に居られるのだから。

 

 

 

 

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