第24話 優しい夫、裏切りの妻

 佐和子と和弘はその夜に結ばれた。

 たった一晩だけの、夫への裏切り行為だった。

 たった一晩だけ、一晩だけだから許して欲しいと心の中で何度も何度何度も夫へ懺悔しながらだった。

 

 しかしそれは、やはりしてはいけない行為だった。



 翌日東京へ戻り普段通りの生活にもどった。

 時折、落合からメールがきたが、それには何も返さない。


 東京に帰ってからの生活は幸せだった。

 夫との穏やかな生活をおくりながら、ふと落合との一晩を思い出す。この思い出があるからさらに日常が輝いて思えた。

 幸せだった。本当に佐和子は幸せだった。

 

 しかしそんな幸せは長続きするものではない。

 こんな裏切り行為は、許されるわけが無い。

 バチが当たった。



 翌月、生理が来ないのだ……。



 仕事を休み、ひとり、産婦人科に受診する。

 案の定、妊娠していることを告げられた……。

 

「おめでとうございます」


 医師は当然のように祝ってくれる。そりゃそうだ、世間から見ると、どこからどうみても幸せな新婚家庭の新妻なのだから。誰もが喜ぶ妊娠だろうと思われて当然だ。


 けど、私の心の中は違った。



   どうしよう……どうしようどうしよう

   誰の子かわからない……

   どうしよう……



 誰にも妊娠の報告が出来ないまま日にちだけが過ぎていく


「佐和子、今夜、どう?」


 週末、夫から夜の誘いがきた。



   断るのも変だし……

   受けなきゃ……



 ベッドへと誘われ、優しくいつものようにキスをしてくる夫。

 ふと涙が出てきた。

 わかってはいても、泣けてきた。

 ちゃんと夫のことも好きなはずなのに涙が止まらない。


「どした?え?なんで泣いてるの?佐和子?」



   誤魔化さなきゃ……隠さなきゃ……

   けど今は誤魔化せても

   つわりが始まったら……? 

   いつまで騙すつもり?

   そもそもそんなに私は器用ではない……

   無理だ

   隠せられない……




「佐和子?どした?何?痛かった?

 どうした?悩みあるなら言えよ。俺たち夫婦だろ?隠し事はなしにしよう。な?」



   夫は優しい人。

   だから傷つけたくない、傷つけなくない!

   けど、そんなことできない……




 夫に落合とのことを話した。

 全てを話した。


 ずっと好きだった人がいたことを。

 その人と、一晩だけの関係を持ったこと。


 そして今、妊娠しているということ。



「子どもは堕ろそうと思います。

 どっちの子かわからないのに、産むなんて無責任なことは出来ない……」


「待てよ!どっちの子かわからないって……俺の子かもしれないんだろ?もし俺の子だったらどうする?おまえは俺たちの子どもを殺そうというのか?

 俺には理解できない。

 命だろ?大切な一つの命だろ!


 ごめん、声を荒げた。

 少し、あたま冷やしてくる」



 夫は出て行った。数時間だけだが家を離れた。

 その間、永遠に帰ってこないかもしれないという思いがよぎる。お腹の子も悲しんでいるのか、吐き気が訪れる。



   この子は生きようとしている

   私に何かを訴えているの?




 帰宅した夫は何も言わない。

 その後数日たっても、お互い何も話せずにいた。


 5日目の夕飯後にそのときは訪れた


「考えた、考えて考えて思っていることを言うよ。


 佐和子、お腹の子は俺の子かもしれないんだ。

 だから産めよ。2人で育てよう。

 俺はお前を好きだから、お前がその彼とは二度と会わないと約束できるなら、これからも家族でいようじゃないか。

 しばらくはお互い引っかかるものがあるかもしれないが、いずれ時効は来るさ。

 な、佐和子」


「ありがとう、あなた……ありがとうございます」


 涙が止まらなかった。

 泣く私を夫は優しく抱きしめてくれた。



   なんと優しい人なんだろう

   こんな私を許してくれるなんて……

   約束しよう。

   落合とは二度と連絡は取らない

   私は

   この夫と幸せな家庭を築くんだ



 誓いを立てて新たな生活を始めた。

 が、あの場ではそう言って仲良くできそうな夫婦だった私たちだが、それを実行するのがどれだけ大変なのか、本当の意味はわかっていなかった。



 それからの日々はある意味地獄だった。

 夫は今までと同様に優しく接っしようとつわりで苦しむ妻の背中をさする。

 そのたびに


   この人は自分を裏切った人だ

   お腹の子は自分の子じゃないかもしれない


そんな悪魔のささやきが脳裏によぎる。だんだんと気安く触れられなくなっていく。


 つわりが辛くベッドまで辿り着けなくなりソファで横たわる佐和子。その様子を見てテーブルに水をそっと置いて寝室へと行く夫。

 水にありがたいと思いつつも、孤独感がつのる。

 今までの優しさが嘘のように冷たい人のようになってしまったと感じてしまう。


 夫は帰ってこない日も増えていった。

 家に帰ろうとしても、足が進まないのだ。1人ネットカフェに泊まったりする。

 佐和子は何も言わない。何も言えない。それも仕方ないと思い、ただひたすら子どもを無事に産むことだけを考えていた。


   きっと、きっと子どもが生まれたら

   私たちは元通りに戻れるはず




2人とも、そう願っていた……。

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