第17章 運命との対決 その2 土熊
昼も過ぎて日が傾き出すと、三人にも焦りが出てくる。
このまま手がかりがなくとも、もう一晩同じように夜を明かすのか、それとも暗くなる前に出直して、作戦を練り直すべきなのか。
食糧はもう一晩なら何とかなると思えたが、このままのやり方では夜明かしまでする意義が見いだせない。
「だったら暗くなる前に山を降りるか」と麻呂子は考え出す。
シロがいると言っても、暗くなれば人間の能力には限界がある。
作戦的には弩で射ることが重要であるが、暗くなればそれは困難というよりも不可能になるであろう。
そう考えて麻呂子は結論を下す。
「夕闇が迫る前に下山するぞ」と。
その時、再びシロが低い唸りを発すると駆け出した。
「シロはあなたの決断に反対みたい」と茜が微笑む。
だが、拓磨がシロを追って走って行くのを見送ると、二人とも真顔になった。
「もしかするとだぞ」と麻呂子と茜も拓磨達の後を追う。
後を追ううちに、やがてシロの吠える声が聞こえてきた。
麻呂子が兼ねての打ち合わせ通りに茜に合図する。
茜は頷くと無言で進路を変えて離れて行った。
麻呂子が拓磨に追いつくと、シロが吠えながら森の茂みを窺う姿が見えた。
シロが挑みかかるように吠えかかる森は、木が密集して昼間だというのにその奥が見通せない。
ふと麻呂子は「闇知らずの森」を思い出した。
あの森も中が全く見通せなかった。
急に麻呂子の心中に不安が過る。
その不安を打ち消すつもりで麻呂子は振り返りながら声をかけてみた。
「どうだ。奴か?」
後ろに控える拓磨が「分かりません」と言う。
正にその瞬間、拓磨の額の鏡に写り込むのは泊瀬部大王の憤怒の顔!
慌てて麻呂子が振り返った瞬間、鎧に身を包んだ大熊が森の茂みから棍棒を打ち下ろしてくる姿が目に入った。
「危ない」と叫びながら麻呂子は横っ飛びに左へ避ける。
拓磨も麻呂子とは反対側に身を翻していた。
棍棒は勢いよく地面を打ち、左右に土塊が飛び散る。
シロは尻尾を股下に挟み込むようにして「グルル」と声を発しながら後ずさりする。
それでも怖れを堪えて拓磨のそばで立ち向かうような姿勢を取り四本の足で地面を踏みしめ、一声大きく吠えた。
その吠え声に瞬間的に土熊は怯んだように一歩下がり、そこで麻呂子と拓磨を見下ろすように睨みつけてきた。
「なんと、なんと・・・・・・・およそ二十年ぶりの邂逅か。貴様等、覚えているか」
相手は十尺になろうという大熊の化け物。
それが甲冑を身に纏い、しかも人語で話しかけてくるのだ、異様な光景としか言いようがない。
「『闇知らずの森』のことを言っているのなら忘れたことはないぞ」と麻呂子が言葉を返す。
「がはははは」と割れ鐘を打つような笑い声が響き渡る。
「そうか、忘れたことはないか。この日が来る恐怖の予感に、眠れぬ夜を幾つも過ごしてきたというのか」と再び笑う。
「あの日は逃げるしか出来なかった口惜しさに、忘れられなかっただけだ。
ここで会ったが百年目、いまこそ因縁に決着を付けようぞ!」
麻呂子は叫びながら周囲を窺う。
前には奥の窺い知れぬ森。
後ろも木の生い茂る斜面が続く。
見通しが悪く、射撃されるには適さぬ場所に思えた。
麻呂子は相手の脇を走り抜け、そこで向き合おうと考えた。
そこから土熊の攻撃を避けながら森を抜けて開けた谷間に出るのだ。
そんな麻呂子の考えを知るはずもないが、土熊は恐ろしい目つきで睨みつけてくる。
その眼力に気圧されそうになると、いつの間にか土熊の顔は泊瀬部大王の恨みの顔となっていた。
そのまま泊瀬部大王が片腕を振り上げる。
その腕を上げた周囲から真っ黒な空間が拡がり始め、周囲に稲妻が光り出す。
辺りには暗闇と土熊、それと稲光以外の何物もない。
正しく、闇知らずの森で目にした光景ではないか、と十五年ぶりの怖れが自分の心に甦ってくるような無力感に捕らわれかけた時、激しい犬の鳴き声が響き渡った。
「ちぃ」と土熊が舌打ちすると、そこは元の森の陰であった。
シロは激しく吠え続ける。
土熊は犬からもう一歩離れながら麻呂子を睨んだ。
「これでは術もかけられぬ。まぁ、目くらましなど有っても無くても結果は同じ。
この土熊の中の泊瀬部とやらの恨みがお前を捉えて放さないのだ。お前の中の大王家と蘇我家の血が、憎しみを掻き立てて止まぬようだぞ」
そう言いながらも犬が吠え立てると土熊の体がビクリと震えるように見える。
どうやら土熊は犬の荒々しい吠え声が苦手らしい。
「仲間の惣鬼も迦楼夜叉もお前に殺られたのだな。
まぁ、そんなことはいい。
お前に勇気を与えているのは、その手の中にある建御雷之男神の剣かも知れないが、我が身に纏いしは泊瀬部大王の鎧である。天孫の鎧に対しては布都御魂剣であっても無力であるぞ」
その不遜な言葉に「今だ」とばかりに麻呂子は剣を薙ぎ振りながら、土熊の脇を走り抜けた。
天羽々斬剣は鎧に当たると、金属音と共にその合わせ板を数枚吹き飛ばした。
土熊はその鎧の傷を驚きの目で見下ろす。
目論見通りに土熊の脇をすり抜けた麻呂子は笑ってみせた。
「この剣はその名を『天羽々斬剣』という。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の佩刀は、天孫の鎧になど遠慮しないと思うぞ!」
麻呂子の言葉は土熊には意外であったようだ。
「そうか、確かに建御雷之男神の剣であるならば、その持ち主が入山した時に俺が気づかぬはずはなかったか」
そう叫びながら土熊は振り上げた棍棒を振り下ろすようにして向かってくる。
それを間一髪でかわし、後ろに飛ぶようにして下がってみせる。
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