第14章 弑逆事件 その2 三人の覚悟

大臣が厩戸王子にも声をかけて、豊浦宮に到着すると、既に膳氏や阿倍氏・平群氏・坂本氏・春日氏といった豪族が顔を揃えていた。


大伴糠手子連の驚いた顔を見ると大臣はにやりとした。


「大王が群臣会議を開かないものだから、入れ替わり立ち替わり、ああした連中が豊浦宮に顔を出しているのが現実だ。知らぬは大王の近習ばかりなり、だ」


糠手子は事態が自分の感じていることよりも遙かに進んだ段階にあることを、改めて悟った。

こうなれば、大王が排除されるしかないであろうことも察した。


大臣は小手子の手紙の内容を説明し、大王の様子を説明した。


「泊瀬部大王は錯乱しているのでしょうか」と額田部王女は尋ねた。


「さて、大王の心境は分かりませんが、兵と武器を集めた人間が我らを憎んでいることは危険このうえない事態と言えるでしょう。

既に人心は大王から離れてございます。だからこそ大王には焦りがあるのかも知れません。放っておけば暴発する可能性があります。暴発する者が最高権力者というのは厄介です。憎しみの対象には容赦なく、ありとあらゆる手段に訴えることができるのですから。

幸い、筑紫に兵を派遣しており、大王の元に集まった兵は多くありません。

追い詰められた大王の心中を察するに、あまり猶予はないかと」


額田部王女はその美しい顔を曇らせた。


「都の中での争乱は好ましくありませんね。

厩戸王子、何か良い考えはありませんか?」


名指しされて厩戸王子は不思議そうな顔をした。


「争乱になるもなにも、ここには倉梯柴垣宮の警備を統括されている大伴糠手子連様がいらしているではありませんか。大伴連様のご協力があれば、騒ぎを起こさずに済ますことは可能ではないのですか。

後は大臣殿の差配一つでございましょう」


その通りだ、と馬子は思った。

だが、そうあっさりと問題を済ませて欲しくないというのが馬子の本音だ。


「待ってください」と馬子は大きな声を出した。


「厩戸王子がおっしゃる意味は分かります。後々この件が問題になった場合も蘇我馬子にだけ汚名を被せ、額田部王女をお護りしたいのでしょう。

大王家は手を汚さない。そうすることが大王家を護ることとお考えなのでしょう。

ですが、それが今後の大王家にとって良いことなのかどうか、よくお考えください。

臣下に汚いことをさせて自分達は綺麗なまま、安全な場所にいることが、忠誠を誓う臣下にどのように思われるか、そこをお考えください。

ここで大王を討つならば、わしの手は血染めとなる。それはわしが勝手に犯した罪ではなく、王族も等しくその手を血で汚す所業のはず。その覚悟で大王家の人間が腹を括らないのであれば、事が成った後に内乱が起こりかねませんぞ。

大王家を護る気であるならば、そこまで踏み込んでいただきませんと、大業は成りません」


蘇我大臣馬子の気迫ある弁舌に厩戸王子は黙り込み、目を伏せた。


だが、額田部王女は立ち上がり、大臣の面前に膝を付いて答えた。


「大臣よ、よくぞ言って下さった。

この額田部王女はあなたの言う通りに、この国難に腹を決めました。

厩戸王子が大王家を大王弑逆の所業から切り離したい気持ちは理解できますが、それでは大王家は臣下に汚れ仕事をさせる卑劣な権力者に成り下がりましょう。

今後、また国難が訪れた際にその身を犠牲にして立ち向かう忠義の人間をためらわせてはいけません。

大臣殿、私は心を決めました。私はこの手を血で汚すとも、大王を討つことに賛同し、あなたに大任を命じましょう」


そう言って額田部王女は厩戸王子を招き寄せた。

それから蘇我大臣馬子と厩戸王子の手を取った。


「私たち三人共が、泊瀬部大王の血で等しく手を汚すのです。

国のため、民のため、政を正しくするために必要な罪と知って、それを侵すのです」


額田部王女の言葉に臨席した群臣は揃って平伏した。


蘇我大臣馬子はこの時初めて額田部王女の胆力を知る。


聡明な美女として誉れの高い額田部王女であったが、「こんな面もあったか」と馬子は今更ながら愕然とした。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


数日も経たないうちに東国で集めた調(律令制での現物納租税の一種)を朝廷に献上するための使いが倉梯柴垣宮を訪問した。


「今年の調の打ち明けはどんな具合だ」と泊瀬部大王はその内容に興味を示していた。


「何でも特に大王にお目に掛けたい格別の品があるとのこと。どうやら瑞兆の類いのようでございます」と近習の者が答えた。


「ほう、それは良い。わが治世の正統を示す証となるな」と大王は喜色満面で口上を聞いていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


その報せと共に大伴糠手子の家中の者が後宮の小手子の元にやって来ていた。


父の使者とは既に連絡を取り合っていたので、どうするか了解していたが、それでも小手子は身体が震えるのを抑えられなかった。

かねてから用意されていた旅装束を蜂子王子と錦代王女に着せると、使者と共に倉梯柴垣宮の裏口から外へ出た。


「どこへ行くのですか」と尋ねる息子に小手子は「遠くへ行くのですよ」とだけ答えた。


無事に倉梯柴垣宮から外に出るとしばらくは使者の後について進んでいたが、今度は小手子が使者に聞く。


「どこに連れて行く気ですか」


「大伴糠手子様のお屋敷へ」


「それはいけません」と小手子は首を振った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る