第14章 弑逆事件 その3 駒の覚悟
大王が壇上で高みの見物をする中で朝庭には献上品が並べ立てられようとしていた。
毛皮や織物、乾物に木箱が運び込まれる。
勿論、事前に侍従が中を検めているである。
荷を運び込んだ人夫が下げられ、徴税役の官吏と地方の任官が前に出る。
責任者が前に出て、深々と頭を下げる。
続いて別の官吏が前に出て、献上品の目録を読み上げ始める。
しばらくすると泊瀬部大王は退屈し始めた。
気を紛らわすために女官に言いつけて酒を持ってこさせた。
使者の目の前で酒をたしなむのは異例中の異例であったが、大王の希望に意見をする者は最早いなかった。
泊瀬部大王が酒を飲みながら献上品の陳列されている様を眺め、更に周囲の様子にも目をやる。
いつもは何をしていてもそばに控えている衛兵の姿が見えない。
楽しみの最中にも姿を見せる連中を「無粋だ、興ざめだ」と文句を言っても大伴糠手子が「必要な警備でございます」と言って聞かなかったというのに妙なことだ、と感じた。
「遠江の沖で採れた赤珊瑚にございます」と口上の官吏が言うと、大柄でのっぺりとした顔の男が進み出て箱の蓋を開ける。
箱の周囲の留め金を外すと、四囲の板が開き、見事な大きさの赤珊瑚が姿を現した。
その美しさに見とれながら、青ぞり跡を残すほど髭を剃った顔が気になった。
なぜ調を運び込む使者が髭まで剃っているのか――それは見慣れた顔を誤魔化すため?
誰を誤魔化すのだ?
その男が巨大な赤珊瑚を他の男と二人がかりで持ち上げて箱からどけるのが見えた。
なぜ、あんなことをする?
その男は底板を持ち上げると、その中に手を入れ、長剣を取りだした。
「泊瀬部大王、お命頂戴する」
大王はほろ酔い気分も吹っ飛び、酒杯を投げ出すと、脇に立てられていた剣に飛びつく。
「狼藉者じゃ、出会え、出会え!」
大王の声は人気のない宮の中で虚しく響く。
震える手で剣の鞘を払うのと、剣を手にした男が壇上に飛び上がってくるのが同時であった。
「わしは大王じゃ!この不埒者め、自分の犯している罪の大きさを分かっているか!」
大王が叫んだ瞬間、横払いに薙いだ剣が大王の足を切りつけていた。
「承知の上だ。泊瀬部大王、俺が誰だか分かるか?」
大王は仰向けにひっくり返り、恐怖に満ちた眼差しで男の方を見るが震える唇からは何の声も発せられない。
「お前がいたぶって殺した志古媛を覚えているか。それとも下賤の娘の名など気にも留めていないか」
大王は娘には心当たりがあったが、男が誰なのか見当が付かない。
そう思いながらも相手の剣を受け止めようと剣を差し出したが、一撃で撥ね飛ばされた。
「俺は志古媛の父、東漢直駒だ」
その名前に泊瀬部大王はゾッとした。
蘇我大臣馬子の衛兵隊長として名を知られた豪傑である。
これから自分が試みようとする全ての抵抗が無意味であることが分かったのだ。
それでも猶、大王は叫ぶ。
「お前がすることの罪は分かっているのか。大王を弑逆する罪は計り知れないぞ」
「そんなことを気にする俺だと思うか。俺がそんな父だと思うのか!
この剣がお前の命を瞬く間に奪ってしまうことが口惜しい。志古媛の苦しみの万分の一もお前に与えられない我が力が悔しいぞ」
大王が剣戟を避けようと腕を差し上げたが、その腕に強く一太刀が加えられると、その腕は力を失った。
それでも大王は叫び続ける。
「大王はこの世で最も尊き者だ。それを殺す罪に慄くがいい」
「バカを言うな。俺が怖れるのはお前に恐怖と苦痛を与えずに死なせることのみだ」
「そんな・・・・・・わしは大王であるぞ。こんなところで、こんな輩に命を奪われていいはずがない。誰か助けよ。早く助けに来てくれ」
「大王よ、誰も助けに来ぬぞ。
お前は臣下達にも見捨てられたのだ。もはや名前だけの大王に過ぎぬわ!」
「そんなはずがあるか・・・・・・・
助けてくれ、助けてくれ、お前の望むものを何でも与えよう。だから命だけは助けてくれ」
「俺が望むものは、お前の命だけだ」
その後は阿鼻叫喚が虚しく倉梯柴垣宮の中に響き渡るだけであった。
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泊瀬部大王の絶命を確認すると、東漢駒は宮中の中を妃求めて探し回る。
河上娘のみを見つけたが、小手子の姿はどこにも見当たらなかった。
「大伴糠手子連に先を越されたか」と残念に思いながら、大臣馬子に指示された隠れ家へと急いだ。
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その頃、小手子の親子は馬に乗って先を急いでいた。
一方で大伴糠手子連の部下には、命令と違う小手子の希望に付き従うことに迷いがあった。
「小手子様、どこまで行かれるおつもりですか」
「近江までは休まずに進みたいのです」
「何を怖れなさっているのですか。糠手子様のお屋敷に逃げ込めば、何の問題もございませんでしょうに」
小手子はキッと供の者を振り返った。
「私は父の屋敷に逃げ込めば大丈夫でしょうが、この子達はそれでは無事には済みますまい。亡き大王の忘れ形見。この子達にその気がなくても、この先の情勢に不満を抱く者からすれば格好の大義名分です。そんな危険な存在を大臣様が見逃すはずがないでしょう。
父は見通しが甘いのです」
こうして人知れず小手子達は畿内から更に遠くへと落ち延びていくのであった・・・・・
伝説に依れば小手子は東へと下っていき、その地で養蚕を広めたと言われているが、真偽は分からない。
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泊瀬部大王が亡くなったのは十一月三日のことであったが、その日の内に葬られた。
夜半には馬子の軍勢が三輪山に向かい、夜明けにとある小屋を包囲した。
中に河上娘を捕らえていた東漢駒は兵のざわめきに目を覚まし、包囲されたことを知った。
兵の指揮を執っているのが馬子であることを認めると、眠っていた河上娘を起こした。
「おい、お前の父親が助けに来たぞ」
河上娘は目を覚ましたが、駒のいう意味が分からなかった。
「娘、俺が馬子に感謝していたことはちゃんと伝えるのだぞ。それから、こうなることは元より覚悟の上であることも忘れずに伝えてくれ。
それから、大王を殺めた後では既に小手子妃の姿がなかったことも伝えるのだ。忘れるでないぞ」
「私が?あなたが自分で伝えればいいではないですか」
「そうは出来ないから、お前に頼んでいるのだ。くれぐれも俺の言いつけを忘れるな」
あっけにとられている河上娘を残し、東漢駒は表に出た。
「遠巻きにしてどうした。中にいるのが東漢駒と知って尻込みしているのか。
そんな腰抜け揃いでは、大臣の御身を護ることなど叶わぬと知れ。今からそっちへ向かうから、攻めかかって参れ」
馬子が率いているのは、元はと言えば駒の部下達である。
駒の腕前を熟知した者達であるから、迂闊に立ち向かっていく者はいない。
遠巻きにしながら馬子の命令下、矢が放たれる。
数本の矢が突き刺さると、明らかに駒の動きが悪くなる。
そこへ切り込む者の姿があった。
「おお、お前か、里玖」とかつての部下に駒は声をかける。
それに対して里玖と呼ばれた部下は無言であった。
それもそのはず、その腕前をよく知る駒を前にして、里玖は完全に舞い上がっていたのだ。
「一番に斬り付けてきたお前の勇気に対し、俺の首を褒美にくれてやろう。恩賞を得て、立派な男になれよ」と言うなり駒は剣を振り上げることなく踏み込んだ。
里玖はと言えば、相手は名にし負う東漢駒であるから、相手の動きを見定める余裕もなく無我夢中で剣を突き出す。
こうしてあっけなく駒は討ち取られた。
救い出された河上娘から話を聞いた馬子は東漢駒の覚悟の程を思い知り、「惜しい男を失った」と涙した。
一方で既に小手子が脱出した後だったことも知らされて、慌てて大伴糠手子連の屋敷へと急いだ。
「糠手子の野郎、わしに無断で出し抜く気か」と腹を立てていた。
だが、大伴の屋敷で目にしたものは、馬子の予想を裏切る光景だった。
小手子を迎えに行った者までが戻って来ず、悲嘆に暮れる糠手子の姿があったのだ。
「立派な妃だったようじゃねぇか。
父ばかりか、この馬子まで出し抜いて、――我が子を護る――か。
天晴れな妃じゃないかよ。
その覚悟でいるのなら、都の陰謀に巻き込まれたり載せられたりすることなく、王子と王女を立派にお育てになるだろうよ。
糠手子、安心しな。俺は東国まで追っ手を掛けたりはしない。都に戻る気がないのならば、このまま見守るとしようじゃないか」
糠手子は感謝の言葉を口にした。
「よせ。わしは一族郎党を始末するなんていう仕事は好きじゃない。必要な時に仕方なしにやらざるを得ないだけでな。
ましてや部下どもに女子供にまで手を掛けさせるなんてうんざりなんだよ」
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