第13章 嵐の前ぶれ その4 恐ろしい考え

密かに大王が兵と武器を集め出したことは、志古媛とは別の経路から、まもなく蘇我馬子の耳に入った。


二万もの兵を筑紫に送り出した後では、思うように兵は集まらないようであった。


だからと言って放っておいていい問題でもないのは明らかだった。


蘇我大臣馬子が自邸で一人思い悩んでいると、部屋の外に立つ男の姿を認めた。


「東漢直駒か、こんな時分にどうした」


駒は悪びれた様子もなく上がり込み、大臣の前に腰を降ろした。


「敵が邪魔者を残らず消してしまおうと計画を練っているのに、そんな場所で思い悩んでいるとは大臣様も悠長なことだ」


「普通の相手ならば、こんなに悩むことがあるか。

相手が相手なればこそ、こうして頭を悩ませているのだ」


「大臣様、俺に一声掛けてくだされば、全て解決してみせますよ」


「恐ろしいことを言うな。そんな物騒なことを軽々しく命じる訳にもいかないんだよ」


「あいつの兄の時には命令を下しただろう」


「穴穂部は王子に過ぎなかったからな」


「何の変わりもない」


「お前には変わりなくても、こっちには大ありでな。逆臣の汚名は子々孫々にまで累を及ぼす。歴史に大悪党の名を残したくはない。そうだろう?」


慎重な馬子の返事を駒は信じようとしない。


「歴史って言うのは勝者が書き記すもの。勝てば、そんな物はどうにでも取り繕えよう。だが、消されちまえば、あんたらの方こそ三悪人として記されるだけよ」


東漢直駒の直截な言葉にさすがの大臣も考え込んでしまった。


「確かにお前の言う通りだが、・・・・・・だがしかし、一人で話を進めた時に、わしだけが悪党にされるのは割に合わぬ。全員からの同意か、さもなくば黙認を取り付ける必要がある」


「そんな面倒なら、大王とあんたの仲間もみんな始末しちまおうか」


「馬鹿者!

駒、お前、おかしいぞ。そんな自暴自棄なことを口にするような男じゃなかっただろう」と言うなり、馬子は駒の襟首を鷲掴みにしてその顔を目の前に近づけると問うた。


「もしも平気でそんなことを口にするような男なら、蘇我家の衛兵から間者の頭目までを任せておく訳にはいかないぞ。駒、正気か」と駒の目を覗き込む。

その時、馬子はハッとした。


「おい、お前、何かあったな」


気づかれた、と悟った瞬間、駒の全身の力がぐにゃりと抜けるのが感じ取れた。

馬子は襟首を捉えていた手を放した。


駒は力なくうなだれた。


「大臣様、俺の娘が・・・・・・・志古媛が・・・・・・・大王にいたぶられた上で殺された」


「なに!あの志古媛が、か!」と馬子は驚いてへたりこんだ。


蘇我家の武門の長の愛娘は、馬子にとっても顔なじみであったのだ。


「小手子様に依れば、間者と疑われて口を割らせようと凌辱され拷問されたと言う。あれは最期まで容疑を否認したまま殺されてしまった。

確かに、おれがあいつを送り込んだせいだ。娘にそんなことを強いたおれは地獄行きだが、大王も道連れにしてやらねば気が済まぬ。

おれは大王が憎い。この世の誰よりも憎い。

例え、おれ自身は荊軻(けいか=秦の始皇帝を暗殺しようとした者)となろうとも、必ず大王の命を奪わずにはいられない。

他の人間にやられる前に、おれにやらせてくれ」


気がつけば駒は滂沱のまま、馬子に頭を下げて懇願している。

豪傑の涙に馬子も思わずもらい泣きし、その手を取った。


「駒、お前のその憎しみと覚悟をこの馬子は決して忘れないぞ。

だが、荊軻のように失敗してしまっては意味がない。やるからには成功しなくては、志古媛の犠牲が無駄になろう。お前も仇を討てなければ死んでも死に切れまい。

だが相手は大王、無闇に実行するだけでは、いかに駒が手練れであっても、返り討ちに遭う公算が高いことも分かろう。

仇討ちに執着して周囲が見えなくなれば、出来ることも機会を逃すことになりかねない。お前ほどの豪傑ならそこのところはわしよりも心得ているはず」


「だが、今仇を討ちに行かないのでは、俺の気が済まない。すぐにでも行かせてくれないか」


「いかん!大志を果たさずにお前を死なせはしない。

必ずお前に娘の敵は討たせてやる。その機会を必ず作るから、お前はその時まで研鑽怠りなく、待つのだ」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


筑紫に二万の兵を擁することで、その軍事力を後ろ盾にして任那に再び大王家の直轄地を確保しようという交渉は、半島内に新たな緊張を生じさせていた。


百済からの僧も高句麗からの僧も、額田部王女を交渉窓口として懸念が伝えられてきていた。


夏が過ぎても任那の実効支配が形にならないのが確かになると、筑紫から兵の一部が海を渡り加羅に上陸した。


高句麗王の使者が伝えてきた。


「まだ兵の数は少ないと言っても、新羅からすれば侵略と見えないこともない。

新羅王は吉士金と折衝中だと言うのに傍若無人な大和兵の上陸にお怒りだという。ただ兵を送らないのは、自軍の兵が減ると高句麗から攻撃を受けるのではないかと不安があるからだ。

大和の振る舞いは朝鮮半島の勢力均衡を崩しかねない。

御自重を願いたい」

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