第13章 嵐の前ぶれ その3 遠征計画
十一月になると大王は紀男麻呂宿禰、巨勢猿臣、大伴嚙連、葛城烏奈良のそれぞれを別個に呼び出し、大将軍に任命すると、各氏で更に兵を集めるようにと改めて命じた。
大王直々の命令であるから、厩戸王子や大臣達の見立てとは違い、各氏が張り切って集めた兵はおおよそ二万にまで膨れ上がった。
これほどの規模の兵が集まるのを目にすると、大王はご満悦で「大将軍は任那復興の先鞭である。筑紫に赴き、そこから加羅の情勢を探るように」と勅を下した。
各氏は家名の誉れと喜び勇んで出立して行った。
筑紫からは、吉士金(きしのかね)が新羅へ、吉士木蓮子(きしのいたび)が任那へと派遣された。
二万の兵を後ろに控えさせているのだから、居丈高に任那について問責するようになったのも、外交に慣れた者のいない使節では止むを得ないところであった。
むしろ大王は自分だけで偉業を成し遂げられるという夢想に取り憑かれていた。
なぜ、今まで遺命を果たすことが延び延びになっていたのかについては少しも考慮しなかった。
「考えてみれば馬子が病に伏しているのは好都合。
群臣会議に諮らずに決定したことに異議を申し立てる者もいないじゃないか」
額田部王女が文句を言いそうなところだが、娘のことを口にしてから何も言ってこなくなった。
そのことは大王がそれほどまでに額田部王女に嫌われていると言うことだが、それも都合良く解釈していた。
しばらくして、堪忍袋の緒を斬らした蘇我大臣が、病気快癒の報告を大義名分に参内し、群臣会議を招集しないことで大王に抗議した。
「何を今更」と大王は真剣に取り合わない。
「志帰嶋大王以来、国事を決するに当たって群臣会議に諮らぬことはありませんでした。大王の独断専行で物事を進めていっては、失政の際には大王御自身が責任を取らねばならなくなりますぞ」
「ほう、大臣はわしの父君の遺命を軽々に扱っていたのに、今度は伝統を守れと言うのか。随分勝手じゃのう。であるならば、成功はわしだけの手柄ということじゃな。
大王が破格の手柄を成し遂げたなら、それに対する報酬はあるのか」
「あるはずがございません。朝廷の頂点に君臨される御身に、誰が褒美をお与えになれるというのですか。
最高位にあるとはそういうことでございます。失敗の責任だけが降りかかります。
だからこそ何事も群臣会議に諮り、最高位の方は評定する立場にいるべきなのです」
「ならば聞こう。失敗した時に、最高位にある者にどのような咎が課されるというのだ。誰もそのような処遇を決めることは出来ぬのではないのか。
どうだ?」
馬子は黙った。
答えられなかったからではない。
そのようなことを平気で臣下の口にさせようとする泊瀬部大王の蒙昧に呆れたのである。
最高責任者である大王が失敗を犯した時の責任の取り方は退位であろう。
だがこの時代、大王が退位するのは死が訪れた時だけである――つまりはそういうことになる。
「そんな大それたことを、このわしに思いつかせるなよ」と内心で馬子は畏れながらも、その考えを消し去ることが出来ない。
無言でいる馬子を見て、泊瀬部大王は大臣をやり込めたと勘違いしてご満悦である。
だが、この時に泊瀬部大王を巡る歴史の歯車が大きく動き出したのだ。
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時が経つにつれて、大王は群臣会議を開けば文句が出て、自分が独断で決められることも決まらぬままになっていくことが不愉快で堪らなく感じられるようになった。
何かと言えば馬子がそのことで抗議にやって来るのも煩わしかった。
いっそ、このまま群臣会議などなくしてしまえば・・・・・・・
「そうだ、このまま邪魔者達には黙っていてもらおうか・・・・・・」
そう思いつくと早速、大王は大伴糠手子に命じて武器と人員を隠密に集めるように命じた。
「大王、何をなさろうと」
「お前は黙って言うことを聞け。そうすれば悪いようにはしない。
お前の孫の蜂子王子が可愛いのなら、黙ってわしの言うことを聞いておけ」
大王の凄味を効かせた物言いに糠手子は震え上がった。
「ですが、目的が分かりませんと、必要な人数や武器の数の見当も付きません」
「全部言わないとお前には分からないのか?」と大王は声を荒げた。
大王の剣幕に大伴糠手子はただ青ざめるのみだった。
「このわしに全部言わせるなよ。それで通じぬようであれば、お前も小手子もわしには必要なくなるぞ。代わりは幾らでもいることを忘れるな。
意味は分かるな?」
大王のこの様な面を見せられて、大伴糠手子は茫然自失の体であった。
「ちっ!なんだ、不甲斐ない」
大王の舌打ちに糠手子は恐れおののきながら平伏した。
「この大伴糠手子、全身全霊で務めて見せまする」
「ただし、隠密に、迅速に、だ」
「ははあ」と額を床にこすり付かせんばかりの勢いである。
それを嘲るように見下しながら泊瀬部大王が部屋の外に出ると、女が慌てるようにして立ち去ろうとしていた。
その女の髪を大王は引っ掴むなり引きずり倒し、無理矢理引っ張って行く。
大王の憤怒の表情を見ると誰も止め立てしようという者はいない。
泊瀬部大王は倉梯柴垣宮の中の奥まった部屋に彼女を連れ込んだ。
「女!話を盗み聞きしていたな」
「滅相もございません。ただ、大伴糠手子様がお見えと聞き及び、御用事が終わったなら小手子様の元に顔をお出しくださるようにお声かけに参ったのです」
「小手子の?お前、名前を何と言う」
「志古と申します」
「ああ、思い出したぞ。小手子のそばで働いていたな。それで小手子の名前を出せば見逃してもらえると思ったのか。
糠手子に用事があって来たというのに、わしが出て来て逃げ出すとはどういう訳だ」
「・・・・・・・・・・」
「だんまりか。確かに強情そうな顔をしておる。
いいぞ、女がどこまで黙っていられるか、試してみたいと思っていたところだ」
「何もやましいことがないのですから、申し開きする言葉もございません。どうかお許しくださいませ」
「何もないのかどうか、その身体に聞いてみようではないか」
大王は誰もいない部屋で残忍な笑顔を浮かべると、志古媛の服を引き裂き、自らの帯で彼女の手足を縛り上げた。
「白状するなら今のうちだぞ。ここから先は苦痛に耐えねばならなくなるぞ」
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一刻も過ぎたであろうか「志古媛!志古媛、どこにいるの」と小手子が叫びながら足音もけたたましく近づいてくるのが聞こえてきた。
「ちっ、うるさいのが!」と大王が立ち上がるのと部屋の戸が開くのとが同時であった。
大王が半裸で立ち上がり振り返った姿に、小手子は悲鳴を上げた。
「何を騒いでおる」
「だって、その姿・・・・・・」と絶句し、小手子は顔を伏せた。
大王の顔には残忍な喜悦とでも言ったら良いのだろうか、小手子には恐ろしいものが浮かんで見えたのだ。
「ちと夢中になりすぎた」
その言葉に、小手子はそっと部屋の奥を覗いた。
そこにはあられもない姿で縛り上げられ、倒れたままの女が少しも動くことなく倒れていた。
小手子は恐ろしさに目を閉じ、震えながら涙声で聞いた。
「大王、何をなさっていたのですか」
「ああ、蘇我の手の者の口を割ろうと責めていたのだが、何をしても白状しないので手加減が利かなくなったのだ。まぁ、ここらで勘弁してやるか」
それだけ言って、泊瀬部大王は立ち去った。
あまりのことに暫く目を開けることも出来ずに立ち尽くしていたが、小手子は勇気を奮い起こして目を開き、白い身体を晒して横たわる女に近づいた。
「あ、・・・・・」
探し求めていた侍女と気づき、小手子は駆け寄った。
「志古媛、志古媛、あなた・・・・・・」
小手子が幾ら呼びかけてみても、娘は既に事切れていた。
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