第13章 嵐の前ぶれ その2 東漢直駒の報告
小手子の元に志古媛がやって来た。
「どうだったのです?」
「やはり大王は額田部王女の娘を嫁に欲したようですが、王女の怒りを買いました。とてもこの件は成就しないでしょう」
志古媛の言葉に小手子は浮かない顔をした。
自分の話に喜ぶかと思っていたので志古媛には意外な反応であった。
「小手子様、どうされました」
「ええ、あの方には蜂子王子は別に可愛いとか大切だとか言う気持ちがないのだと知らされたようで・・・・・・・ちょっとがっかりしたのです。
蜂子や錦代が可愛いばかりに無理な政策を推し進めているのではないか、と心配しながら同時に期待する気持ちもありました。でも、あの方には自分のことだけが大切なようですわ」
「おいたわしや、小手子様・・・・」と志古媛も思わずもらい泣きしてしまった。
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その翌日、蘇我大臣馬子は厩戸王子と共に豊浦宮を訪問した。
「どうやら大王との会見は物別れに終わったそうですね」と大臣は切り出した。
「全く、大臣の耳が早いのにはいつも驚かされます。つい昨日のことですよ。
倉梯柴垣宮にはあなたの手の者が入り込んでいるということかしら。あなたがいてもいなくても同じことですわね」
馬子は昨日起こった事を東漢直駒から知らされていた。
この駒こそ志古媛の実の父親であり、蘇我家では今や武門の中心的存在として名を知られていた。
実際は武ばかりではなく情報戦でも中心的存在だったのだ。
当然のように倉梯柴垣宮で起こった事は駒を通して既に大臣に知らされた。
「これは額田部王女、ずいぶんな御挨拶ですね。このわしが病を押して挨拶に参りましたのに」
「そうでした」と額田部王女は笑った。
「あなたは病身でしたわね。厩戸王子も聖人のような顔をして病人を連れ出すなんて・・・・・見かけによらぬ悪人ですわね」
「えーっ!私がですか?」と普段は見せぬ厩戸王子の焦り顔を見て、額田部王女はご満悦であった。
「まあま・・・・・他ならぬ額田部王女様のいらっしゃる豊浦宮ですから、わしの方から無理を頼んで参った訳でして」と馬子までもが言い添える。
「まったく・・・・・年寄りの悪ふざけほど、決まりの悪いものはありませんよ」と珍しく厩戸王子がむくれた。
そんな具合に挨拶がひとしきり終わると早速本題に入った。
「どうもわしのような大臣如きが病気になったくらいでは、あの大王には響かないようですな。むしろ、自分の思い通りに物事を進められると喜んでいる節もある」
「大伴氏の意向はどうなのですか」
「今の現役の大伴氏には大伴金村の汚名を雪ぐような義務感はないようだ。もっとも、確かめたのは大伴嚙連だけだから、個別には分からねえ。ただ、大伴糠手子がしていることには大伴氏の総意という雰囲気はないそうだ」
「群臣会議では善徳様が大臣御自身よりも遙かに活躍なされたそうで、当分は大王も群臣達に任那復興の議案を諮ることもないでしょう」
「なんだ、そりゃ!聞いていないぞ」
「あら、大臣殿はよその話はよくお聞きでも、ご自分のそばで起きていることはお知りでないようですわね」
厩戸王子は大臣の驚きっぷりに反応することなく、落ち着いた声で優しく言った。
「その話なら帰宅されてから善徳様によくお確かめになることをお薦めします。
ご自分の息子を見直して欲しい、と私が兼ねてから言っている意味が分かるかと。
さて、群臣会議に諮られないことは、安心材料の一つでしか過ぎません。
大伴氏の雰囲気は先ほどの大臣の話でおおよそ分かりますが、おそらくは巨勢氏や葛城氏などでも同じような感覚でしょう。祖先の軛などに囚われている者はおりますまい。
ただ、若い世代であるならば、大王の命令に逆らうことは出来ないでしょうし、むしろ手柄を立てる機会だと感じるかも知れません」
「厩戸王子、鋭いことを言う。わしもそう思うな。
群臣会議に諮ることもなく、大王が直接命令を出せば、派兵は可能と言うことだ」
「では、私たちがこうして話し合いを重ねても無駄と言うことですの?」
「いや、氏族が個別に兵を集められる数はたかが知れている。大規模な戦を始めることは防げるさ」
「ですが、むしろ手柄を立てたがっている私兵集団が半島に上陸することは却って危険を高めはしませんの?」
「その通りです。
泊瀬部大王は大した心構えもなく、大王にたまたま即位してしまった。
政治も仏教も学ぶことなく、為政者の心構えもありません。
即位したばかりの頃は幸運をもたらしてくれた額田部王女様や蘇我大臣殿の顔色を窺っていましたが、未だに政治の意味が分かっていない。自分に為政者が務まらないからこそ、誤りのないように助けられていることが分からない。
地位が人を作るとも言いますから、大王が政治を学ばれて、正しい政策を諮るようになれば、大臣殿や額田部王女も楽が出来るのだという発想がない。
ただ、己の欲望と満足のみを求めているのです。
大王の好きにさせては、半島での戦争が本格化し、遂には隋帝国の干渉を招きかねません。それが私の最も憂うところです」
厩戸王子の嘆くような発言に、額田部王女も蘇我大臣馬子も事態の深刻さを改めて悟り、知らず知らずの内に身震いしていた。
「では、どうしたら良いのだ」
「大臣殿の病気欠席だけでは、あの大王を止めることは出来ません。
他の群臣に我々の意志を浸透させていくことで、大王に分かっていただけるように働きかけるしかないでしょう」
「それはちっと・・・・・・・手ぬるくないか」
「ですが、我々には大王を力尽くで押さえ込むことは出来ません。
今となっては手遅れですが、やはり人選を間違えましたね」
ううむ、と馬子は内心で歯ぎしりしていた。
無理矢理でも厩戸王子を即位させなければならなかった、と。
額田部王女が息子を即位させたい意向を持つのに慮って、人畜無害を即位させたはずが、こうも裏目・裏目に出るとは・・・・・・と。
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