第12章 大王と大臣 その2 反抗期
大臣の整然とした説明に群臣一同は安堵したようであった。
大王もこれで納得するであろう、と・・・・・・
だが、次の瞬間、大王は憤怒の表情で立ち上がった。
「馬子!おまえはうぬの一族の恩人である我が父・志帰嶋大王の遺命を屁理屈で覆そうというのか!
そのような口舌の徒によって先祖の遺命をないがしろにし、朝廷の大方針を勝手に変えることが許されるか!
それこそが、分をわきまえぬ増長と心得よ!」
それだけまくし立てると、大王はさっさと奥に引き返して行ってしまった。
その姿を呆然と見送っていた群臣達であったが、衝撃がおさまると慌ただしく馬子をねぎらう言葉を口にしたり、大王を取りなすには任那日本府再興について計画を練らねばならないのではないかと口にしたりする者も出始めた。
馬子はそんな周囲の喧噪を暫く黙って聞いていたが、やがて席を立つとこちらも朝議の場を後にして自分の屋敷に引き返した。
こんな具合に大王と大臣が突然の対立をあらわにして朝議が終わったのだった。
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その日の昼過ぎ、豊浦宮へ厩戸王子を伴って蘇我大臣馬子が訪れた。
「これは、これは、大臣殿、大王に叱られたそうですわね。
朝廷一の実力者である大臣を公然と批判するとは気骨のある大王ではありませんか、と評判だそうですわ」
額田部王女から笑いながら教えられると「もう噂になっているんですかい」と馬子は顔を険しくしてうつむいた。
「大臣殿、そのように気になさる必要はありません。
一時の気まぐれで政治を語るような大王の叱責など、政局に関係しません。
勿論、大臣の権勢に嫉妬する者は大勢いらっしゃいますから、こうした話は彼らにとっての一時的な鬱憤晴らしになるでしょう。でも、それだけの話です。そんなごまめの歯ぎしりに大臣殿が付き合う必要もありません。
彼らの気分転換によい材料を与えて下さったと、大王に感謝しておけば宜しいのです。
それに、大王をお諫めしようものなら、面子を潰されたと大臣をお恨みなさりましょう。
表立って逆らうことは何も良い結果をもたらさないことでしょう」
「だが、放っておけば、半島に争乱を起こすことになってしまいましょう。それでは今までの我らの努力が水の泡とも成りかねません」
「大王の体面を損なわずに考えを改めさせれば良いのですが、そのようなことが出来る人間と言えば・・・・・」
「間人妃様か、或いは額田部王女様か」と蘇我馬子が呻くように言った。
「あら、私も入りますの?」
「間人妃様の助言を聞き入れて下さるのが、大王としては面子に関係なく受け入れやすいのでしょうが・・・・・・・」と言ったところで大臣が言い淀む。
「大臣殿、遠慮されずに申されよ」
「ただ、間人妃様が政治的なことを話すのを聞いたことがありません。それをわざわざこの件に関して助言するようなことがあれば、厩戸王子の存在を感じさせてしまわぬかと」
かつて穴穂部王子と泊瀬部王子、間人妃の三人での政治的な話し合いがあったのを、この場にいる者の中では厩戸王子以外は知らない。
そのため厩戸王子以外には蘇我馬子の意見はもっともらしく聞こえた。
だが当の厩戸王子自身にしても、母である間人妃の言うことなど大王が受け入れるはずもないことは重々承知していた。
そうでなくとも、大臣の言う通りに間人妃の言説の背後に厩戸王子の姿を邪推して反発を招くだけであろうと考えていた。
「大臣殿のご意見はもっともです。
やはり、ここは額田部王女様に忠告していただくのがもっとも良さそうですね」
「え、わたし?」と額田部王女は驚きの声を上げた。
「ここは額田部王女様に頼るしかありません」と厩戸王子は重ねて述べると額田部王女は困惑の表情を浮かべる。
「私は本当のところは泊瀬部が苦手なのですよ。
大王に即位して少しは自覚が出てくるかと思っていましたが、何も変わらないまま四年が過ぎてしまいました。
穴穂部は野心があって怖かったのですが、あのように何も準備をしていなかった者を即位させたのは失敗だったような。
自分の体面や面子ばかりを重んじて、そのくせ享楽に耽るばかり。あんな大王を、本当に尊敬している者なんているのかしら」
「腹心の部下や寵臣はいないようですが、王子を産んだ小手子の父・大伴糠手子(おおとものぬかてこ)は、王子が王位に近づくためなら労を惜しまぬでしょう」
「だとすれば、大伴氏は大王の無理難題も引き受けてしまうということですね」
額田部王女の指摘に蘇我大臣馬子は「うむむ」と声もなく唸ってしまった。
「お飾り、形だけの大王で納得して即位したはずなのに、一体どうしてこんなことになったんだ?」と誰に問い掛けるでもなく、馬子は愚痴った。
その問いに厩戸王子は落ち着いた声で答えた。
「恐らくは飾り物に過ぎない大王でいることに早くも飽きてきたのでしょう。
人間とはそうした堪え性のないところが本質ですから、致し方のないところでしょうか。
本当の問題は、泊瀬部大王自身がこれまでに大王になるという期待を抱いたことがなく、そのような覚悟とは無縁で生きてきた王子だということです。
覚悟も準備もないままに、予想外に大きな玩具を手にした子供と同じです。
手に入れた最初こそ、周囲からの注意の通りに扱いますが、段々とそれだけでは不満になるのです。
御自身の妃や王子の手前、賞賛されたいという欲も出てくるでしょう。それならば大臣殿や額田部王女様にご相談になれば宜しいのですが、言われた通りにやるのでは最高権力者の自尊心に傷が付く。自分の思うままに力を揮ってこそ尊敬を勝ち取れると信じ込んでおられるのでしょう。だと言うのに、手綱を額田部王女と大臣殿にがっちりと掴まれていては不都合。
そんな障壁を打ち壊す道具として選ばれたのが『亡き大王の遺命』といったところでしょうか。本質はどうであれ、あからさまに建前は否定しにくい。
その着眼点は良いのですが、国の進路を誤らせる重大さを理解していない。
大王御自身も持て余すことになる危険な玩具です。
思い通りにならない玩具に、そのうち癇癪を起こすかも知れません。
大臣殿、くれぐれも相手を侮ってはいけません」
厩戸王子の説明を聞くうちに蘇我大臣馬子だけでなく、額田部王女も事態の深刻さを悟ったようだった。
馬子はしばし絶句した後、絞り出すように問うた。
「では、この私はどうしたら良いでしょうか?」
「ご病気になられてはいかがでしょう?」
馬子は厩戸王子の返事に驚いて思わず腰を浮かせた。
それに構わず厩戸王子は続けた。
「名代として、ご子息の善徳様にでも朝参を任せられては」
「あんな唐変木に?」
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