第9章 丁未の乱 決戦 その4 地上の戦端

守屋はその豪傑に作戦を説明する。

「良いか、万(よろず)。お前は正面で敵の攻撃を持ちこたえるのだ。敵の攻撃を引き寄せ、ひたすら耐えるのだ。

お前が正面で頑張っている限り、我が兵達も踏み止まって戦い続けるであろう。

我が息子どもが敵の後方に展開するまでの辛抱。

包囲網が完成したならば、このわしが朴から一斉攻撃の号令を掛ける。逃げ場を失ったことを知った朝廷軍は、どうすることも出来ずに我が軍に蹂躙されることであろう。

その時になったなら存分に自慢の腕を揮え。

未曾有の勝利と供に、物部守屋と捕鳥部万の名前が燦然と歴史に刻まれることになるのじゃ」


捕鳥部万は恭しく跪き、深々と頭を下げた。


「朝廷軍は脆い。こんな相手ならお前だけで蹂躙できると感じるに違いない。

だが、突出してはいかん。数の上では向こうが圧倒的なのだ。突出すれば我が兵達は包囲されてしまうであろう。背後を断たれた軍は呆気なく崩壊する。

お前は敵の攻撃をひたすら耐えて、包囲網が完成した時に、そのこと証明して見せるのじゃ。

良いな、わしが合図するまでは耐え続けるのじゃ」


物部守屋は捕鳥部万の豪勇を信じればこそ、念には念を押した。


それから、太鼓と拍子木を懐に入れて、そばに生える朴にするすると登り始めた。


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朝廷軍は阿都の居館の前面に展開する物部軍を確認すると、一旦その行軍を止めた。

矢が届かない十分な距離がまだあった。


物見から物部軍の指揮を執っているのが捕鳥部万であるとの報告が入った。


朝廷側の指揮官は捕鳥部万の名前を聞くと意気消沈した。

まさに一騎当千の武将として朝廷側では彼を認識していたのだ。


「これは手強いぞ」と指揮官達は顔を見合わせた。


作戦の打ち合わせに集まった幕舎では、泊瀬部王子のそばに控えた蘇我大臣馬子がそんな空気を読めずに聞いた。


「さぁ、ここまで来たぞ。どう攻める?」


大伴嚙(おおとものくい)が慎重な口調で答える。


「敵が館にこもるなら、攻め方もいろいろありましょうが、討って出てきた以上、力押しに攻めるしかありません」


阿倍人(あべのひと)が続ける。


「我が軍は物部軍の倍近い人数です。密集隊形で隊列を崩さずに攻め込めば、勝利は間違いないでしょう」


「よし、差配は任せたぞ」と了承しつつ、馬子は妙だぞと感じ始めた。


彼らの言うとおりなら、勝利に気負い込んだ空気が出て来て良いはずだ。

実際に兵達は厩戸王子の四天王への誓願もあって士気が盛んである。


なのに、指揮官達はいやに冷静ではないか。

こういう雰囲気は上役に失敗を取り繕う時に醸し出される空気のそれではないのか、と。


その時、秦河勝(はたのかわかつ)が馬子のそばにやって来た。


「大臣様、浮かぬ顔をされていますな」


「うむ、指揮官どもが何か隠し事をしているようなのだ」


すぐに秦河勝の顔に妙な表情が浮かんだ。


「秦河勝には何か思い当たることがあるようだな」


「敵軍の指揮官が捕鳥部万なのです。彼は物部に在ってその人ありと謳われる豪傑。その姿に指揮官達は怯えているのでしょう」


「何じゃ、下らないなぁ。如何に手練れとは言え、一介の人間だろう。大勢の兵で攻めかかれば、猪や熊だとて虜にすることが可能だろうに」


秦河勝はしばし考え深げにしていたが「まぁ、例え一騎当千の勇者と言えども合戦では縦横に働ける訳ではないですし、案ずるほどでもないかも知れませんね」と馬子に告げて持ち場へ去って行った。


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「進め」という大伴嚙の号令で朝廷軍の進撃が始まった。


空はどんよりと曇っている。


「暑さの中の攻撃よりか、陰ってくれた方がずっとましだ」と馬子は軍の動きを眺めながら思う。


朝廷側は兵を密集させながらも同時に左右に軍を展開していった。


自軍の方が数の点で勝るので厚く広く相手を押しつぶそうという構えだった。


捕鳥部万がどこかを狙って集中して突撃してくるようなら、手の空いた部隊を動かして包囲してしまおう、と指揮官達は考えていた。

だが、訓練不足の軍でそのような器用な運動が出来るのかについては誰も自信を持っていなかった。


太鼓の音が聞こえ、やがて拍子木の打ち鳴らされる音が聞こえてきた。


「なんじゃ、あれは?」と泊瀬部王子がそばにいる馬子に問う。


「さて、何かの合図でしょうね。どこから鳴らしていることやら」


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朴の上から眼下を眺め渡し、思い通りに自軍が展開していくのを物部守屋は心地よく感じていた。


「このまま一雨来ようものなら、息子達の展開は気づかれることなく成功するぞ」と空を見上げてほくそ笑む。


朝廷側の軍が密集隊形で進んでくる。

そのまま矢の届く距離に、不用意に入ったのが分かる。


「矢を放てぇ!」と守屋は号令を掛けた。


自軍が一斉に矢を放つ。

面白いように朝廷側の兵が倒れていく。


慌てて彼らが引き下がり、矢を構えた兵が進み出てきて矢を放つが、物部側は楯板を並べていて、矢はいたずらに板に突き刺さるばかりである。


「馬鹿め。訓練不足の兵などで精強なる我が軍を打ち破ることなんぞ無理じゃぞ」


守屋は勝利を確信する。


「天は物部に味方するか」と空を見上げると、空を覆うかに見えていた雲は薄くなり始め、日射しが強くなりそうに見えた。


「そこまでは都合良くいかんな」と物部守屋は笑った。


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その頃、厩戸王子は朝廷軍の後方で待機していた。


泊瀬部王子こそ、中央の幕舎に鎮座していたが、他の王子達は前線から離れた後方に控えていたのだ。


軍が動き出したのは辺りに溢れ出した只ならぬ殺気から感じ取れた。

自分のした行動が兵士達への鼓舞になっていることは、今日の激戦の予感にも成っており、果たして正しいことなのかどうか自信はなかった。


ただ、王子として戦いの行く末を見守る義務があることだけは、なんとなく分かっていた。

もう、戦いは自分の手を離れ、戦局に関わることはないのだろうが、兵達の昂揚に幾分かの責任があると思うと、肩の荷が軽くなった気は全くしなかった。


空が晴れ渡ると、周囲は明るくなってきた。


その時、厩戸王子は自分の視界の左手で何かが動いているのに気がついた。


「敵だ!」


間違いなく物部の兵達だった。


厩戸王子は周囲を見渡すが、近くには王子達の護衛のための兵と舎人達がいるだけであった。


厩戸王子は直ちに決心する。

舎人と近くにいた兵に号令を掛けると、自らも剣を持ち、額に四天王像を挟んで布を巻き締めた。


「急げ、すぐに出撃するぞ」


厩戸王子の集めた兵は百名足らず。

物部辰孤が率いる部隊は三百名ほどであった。


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朴の物部守屋はこの遭遇戦に気づいていた。


「小癪な。それぱっかりの手勢で辰孤を止められるものか」と拍子木を叩き、攻撃を命じた。

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