第9章 丁未の乱 決戦 その1 決戦の準備

厩戸王子は白膠木(ぬるで)の木を切り取ってくると、それを削って四天王像とした。


それから、場所を作って周りに自分の舎人を配置すると、中央に盛り土を施し、そこに榊や樒(しきみ)の葉を敷く。

その上に四天王像を安置すると、厩戸王子は厳かに膝を屈した。


何事かと一般の兵も集まってくるが、厩戸王子の舎人達が王子の邪魔にならぬように彼らを少し離れた位置に留める。


厩戸王子の振る舞いを聞きつけて、蘇我大臣も駆けつけて来た。

彼は舎人を押し分けて厩戸王子のそばに跪くと聞いた。


「これは、一体・・・・・?」


その問いに王子が口を開き、声は冴え冴えと澄み渡る。


「戦況はこの上なく苦しい。このままでは私たちはもしかすると敗れてしまうのかも知れない」


厩戸王子の言葉に蘇我大臣はぎょっとする。


慌てふためき「王子、それをここで・・・・・」と言いかける。


それを遮るように厩戸王子の声が凛と響く。


「今こそ御仏の守護神に祈る時。

誓願しなければ成功は覚束ないでしょう」


蘇我大臣は青ざめた。兵士達の前で何を言い出すのかと焦燥を隠せない。


そこへ厩戸王子の声が朗々と響き渡る。


「私たちを困難からお救い頂き、目の前の敵を排除し、敵に勝たせて頂くのであれば、護世四王のために寺院を建立しましょう」


言い終わると厩戸王子は目の前の四天王像に手を合わせて祈り始めた。


蘇我馬子は素早く周囲の兵士達の期待に感づく。


彼も四天王像に手を合わせた。


「諸天王よ、大神王よ、この蘇我大臣もここに誓おう。

我らを守り助け、この戦いに勝利をもたらして下さるのなら、必ず諸天王と大神王の為に寺院を建立し、大八洲に遍く御仏の教えを広め、三宝を広めましょう。

どうぞ、どうぞ、我らに勝利を!」


蘇我大臣の野太い声が響くと、兵達が一斉に声を上げた。


厩戸王子と蘇我大臣の誓願は瞬く間に朝廷軍の兵士に伝わり、それと供に鬨の声がそこかしこで挙げられた。

昨日までとは打って変わって兵達の士気が高まるのを感じ、蘇我大臣馬子は畏れ入って厩戸王子に頭を下げた。


「厩戸王子、お見事でございます。

この馬子の願い通りでございます」


「皆が聞きましたよ。

勝利の暁には、大臣殿も約束を果たさなければならなくなりました」


「そんなことは、お安い御用です。勝てさえすれば、何でも致しますよ」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


同じ頃、麻呂子と茜、拓磨の三人は二上山であくせくと力仕事をしていた。


麻呂子は掘り棒と踏み鋤を使って地面を掘り起こしていた。


作業は中々捗らず、強い日射しの中で額の汗を拭う。

その場所は巨大な足跡を見つけた高台から北東へ斜面を下ってきた低地であり、そのまま進んでいくと再び昇り斜面となり深い森に続いていく。

斜面と斜面の間の細長い窪地とでも言ったら良いだろうか。

おかげでもう少し日が傾くと麻呂子のいる場所は日陰になるはずだった。


すぐそばでは茜が蔓を撚り、縄を作っていた。


「私の方はもう少しで終わるから、そうしたら麻呂子を手伝うわ」


そういう彼女も日射しのせいで顔が真っ赤になっている。


「大丈夫か?こんな日当たりの中で作業を続けていて」


「いつも言うじゃない。私は深窓の御姫様じゃないし、柔な女とも違うって」


「いやいや、大の男にだって楽な仕事じゃない」


遠くから拓磨が倒木の一部を担いで運んでくるのが見えた。

拓磨にしても何度も荷物を降ろし、肩で息を整えながら進んできている。


作業自体よりも日中の温度上昇が体に堪えているのだ。


「拓磨があれをここまで運んできたら、日陰で一休みしよう」


「間に合うの?」


「暑さで倒れたら、もっと遅れる。

それに『まさにその時』にいてもらえないことになったら、元も子もない」


「麻呂子の言う通りね。無理をして良い事なんて何もない。

拓磨にも言って上げてよ」


「もちろんさ」


そうこうするうちに拓磨が戻って来たので、三人は木陰に腰を降ろし、汲み置いた水を飲みながら休憩を取った。


「こんな作業をしたって、相手は魑魅魍魎の類いだ。全く無駄かも知れない」と溜め息交じりに拓磨が疲れた声を吐き出した。


「まぁ、そう言うな、拓磨。

魑魅魍魎でも頑丈そうに見える鎧を纏っていると言うし、何よりも自分の重さでめり込んだ足跡だ。あれは実体があるということを意味する。なら、効果あるさ」


「本当か?」


「ああ、多分な」


「なんだ、多分かよ。その『多分』でこんなに苦労させられているんだぜ」と拓磨は上半身を後ろに倒して体を草むらの中に長々と伸ばした。


「でも、本当に効果がなかったらどうするつもりよ。

実体があっても、予想以上に惣鬼は頑強かも知れない。私たちの努力はかすり傷しか相手に負わせないかも知れない」


茜の質問に麻呂子は困った顔をした。茜と目が合うと、彼は寂しそうに首を振る。


「その時は逃げるしかない。逃げ切れなければ、私と拓磨が刃向かう間に茜だけでも逃げてくれ。事態を誰かが厩戸王子にお知らせしなくてはならない」


茜が目をそらすと下を向いてぽつりと堪えた。


「そんなの嫌だよ。

私はまた一人になってしまう・・・・・・・」


誰も返事は出来なかった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


休憩の後、麻呂子は穴を完成させ、茜は自分の作業が終わると別の麻呂子の作業を手伝った。


拓磨はさらに一抱えもある岩を運んできた。


最後の仕上げは三人で協力して、なんとか日が暮れる前に仕上げることが出来た。


葛城の村に一旦引き返すと、その日は一日中両軍とも動きがなかったということだった。


麻呂子が茜に向かって笑いかけながら片目をつむって見せた。


「それはそうさ。

これだけ二上山でも河内でもカンカン照りなのは、戦がなかった証拠さ。

恐らく惣鬼は戦で死んだ者の怨念や無念に引き寄せられ、そこで穴穂部の怨霊に衝き動かされて雨風を呼び起こすのだ。

或いは建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)の佩刀を手にして得た力かも知れない」


茜が意外そうに麻呂子の方を見つめ返す。


「麻呂子、明日はどんなことが起こると思うの?」


「おそらく、蘇我大臣様は明日こそ阿都の本拠地に総攻撃をかける腹づもり。

守る側の物部大連様だって、そんなことは重々承知。正に決着をつける大戦を仕掛ける気構えで、温存されていた全兵力を注ぎ込んでくる。もう後がない以上、死力を振り絞ってくるだろう。

被害も大きくなれば、惣鬼が引き寄せられないはずはない」


「惣鬼が二上山に現れるとは限らないじゃない」


「想像だけど、二上山は異界と現世を結ぶ場所なんじゃないのか?

異界の者がどこにでも現れる訳でなく、霊地と言われる場所でよく姿を見られるのは、その為なんじゃないかと思っているんだ。

童時分の『闇知らずの森』も、そういう異界に繋がる場所だったのだ、私たちが行くまでは」


「想像の通りならね」

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