第7章 丁未の乱 一進一退 その2 惣鬼(そうき)
あまりな話に麻呂子もまた冷や汗をかいていた。
隣の茜も深刻な面持ちで座っていたが、彼女の驚きと自分のものとでは程度は違うことは分かっていた。
茜には後で話すか、と麻呂子が思ったところで斎宮の声が響く。
「今、話してもらいたいのです」
思わず麻呂子は目を上げた。
まるで心の中を見透かすようではないか、と。
「神のお告げがあったのです。
『この国の運命を左右する災いが降りかかる』と。
それと同時に『訳を知る者が来る』と告げられました。『その者が災いを振り払う役を担い、剣を持ち帰る役を引き受けることになる』とも。
だから、こうしてお目にかかる気になったのです。麻呂子様、あなたが訳を知り、災いを収める者ではないのですか。
先ほど、麻呂子様は惣鬼の名前に反応しましたね。それで私は確信しました」
麻呂子は一つ大きく溜め息をつくと答えた。
「惣鬼、迦楼夜叉、土熊、この三人の化け物の話なのです。
そもそもが、私がほんの童時分のいたずらに始まったことなのです」
続けて一気に葛城にあった「闇知らずの森」での拓磨との冒険譚を話した。
「それで拓磨とは親友なのね」とは茜の漏らした感想であった。
一方の斎宮は暫く黙って考え込む風でいた。
ややあって口を開いた。
「宿命に絡め取られましたね。果たしてその宿命は解きほぐすことが出来るものなのかは誰にも分かりません。
ただ、惣鬼を倒せば終わりというものではなさそうです」
「三人を倒せ、と言われますので?」
麻呂子の問いに斎宮は悩ましい表情を浮かべた。
「そこが難しいところなのです。
そもそも魂とか霊とかさえ人知の及ばざるところ。それを鬼や化け物の類いも同時に論じることは無理な話なのです。
でも、惣鬼とやらの話から推し測ることは出来ます。
人が死ぬと肉体から霊魂が離れて去って行ってしまう、それを死と感じるのが人の通念でしょう。ですが、霊魂もまた器とでも言うべき魂と、その活動の源を生じる霊に分けられるという考えがあります。穴穂部王子らしき化け物の言うことはその考えに沿ったもののようです。
惣鬼の魂は既に空の器と同じ状態だった。その空っぽの器の如き魂に、穴穂部の怨念から生じた霊が納まったといえば近いでしょうか。
『闇知らずの森』に居た神が何ものかは分かりかねますが、霊魂を縛り付け続けた結果、霊は朽ち果てかけていたか、或いは麻呂子王子が目にした最後の戦いで力を失ったか。それでも神の呪縛から解かれて自由になることは出来た。霊の力が尽きてしまい、漂うのみだったのが、穴穂部王子の怨念という霊力を得て甦った・・・・・・そんな風に考えれば辻褄が合います」
「いや、霊魂なのに剣を奪うなどの振る舞いは実体があるかのようではありませんか」
「だから先ほど申したように、鬼や化け物を同列には説明しきれないのです。
私たちからすれば霊魂の話になりますが、鬼や化け物、魑魅魍魎は異界の住人です。人の理屈では説明しきれるものではないでしょう」
麻呂子には納得しかねたが、異界の話では誰しも説明しきれるものではないのだろう。
腑に落ちぬ顔で麻呂子はもう一度尋ねた。
「だとすれば、やはり三人の化け物を退治しなければならないということでしょう」
「いいえ、そうではありません。
化け物の魂に納まり、それだけの想念の強い霊――この度の穴穂部王子の死に際に抱いたような強い怨念、それこそが想念の強い霊が生まれる理由なのです。
平穏な生が営まれる穏やかな世になれば、魂は霊力を得る機会を逃し、滅びていくはずなのです」
斎宮の言葉に麻呂子は愕然とし、言葉を失う。
一方の茜は、斎宮の問い掛けに対して悲痛な声を発した。
「これから戦だと言う時に、斎宮様はそう仰いますか・・・・・・」
戦とも成れば、どちらが勝っても負けても、死者の亡霊は怨嗟の声を残し、怨念を生み出すであろう。
突然として斎宮はそれまでの凛とした態度を崩し、嘆きの声を漏らす。
「敗者には寛大に、被害の少ない内に早期の和議を・・・・・・・
物部の血を引く者が言っても、無理な話でしょうね」
茜がうやうやしく頭を垂れながらも率直に答えた。
「いいえ、私たちは蘇我の血を引く者ですが、それでも斎宮様の仰せになりたいことは良く分かります。残念ながら私共では大したお力にはなれませんが」
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夕刻、麻呂子と茜が揃って葛城に戻ると拓磨が待っていた。
昼間に餌香川の河原で朝廷軍と物部軍が戦い、損害を出しながらも朝廷側が勝利したという報告であった。
もっとも、物部側よりも朝廷側の方が損害は多く、勝利の意味は朝廷側主力軍が餌香川に留まることが出来たことを表すに過ぎない。
物部側からすれば、朝廷側を押し返すことは出来なかったが、餌香川から敵の進軍を許さず、味方は追撃されることなく整然と撤収したと勝利を喧伝することも可能だろう。
いや、麻呂子にすれば斎宮との面談を終えた今となっては、死者が多く出る戦自体を厭う気持ちに心を占められていた。
勝利を聞いても、とても喜ぶ心境ではない。
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翌十四日、朝廷側の主力軍は餌香川の河原に留まり、動き出すことはなかった。
数の損害以上に、激しい戦いによる精神的消耗が大きかったからだ。
特に初陣であった王子達の疲労と消耗が激しかった。
厭戦気分の王子達を無理矢理戦場奥深くに連れて行くことは、全軍の士気に悪い影響しか及ぼさないであろう。
それを理解する蘇我大臣が進軍を命じることはなかった。
同日、志紀に進出していた別働隊の第二軍は阿都への進撃路を確保しようと斥候を放ったが、敵が大がかりな陣地を構築しているのを見つけた。
とても第二軍だけでの突破は難しそうだった。
第二軍の指揮官達は、主力軍進出に合わせて陣地攻略することとして、そのまま志紀に留まった。
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十五日、昼前から気温が上がり、暑い一日になりそうであった。
朝廷側の主力軍は第二軍との合流を目指して志紀に行軍を始めた。
だが、正午になると空は俄に雲が掛かり激しい雨となった。
志紀に向かおうにも河原は辺り一面が川のようにぬかるみ始め、進めなくなった。
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