第4章 穴穂部王子 その3 前王后

程なくして、二十名ほどの兵を引き連れた集団が殯の宮の前に到着した。


馬上の穴穂部は門衛が二名だけなのを見て不敵な笑みを浮かべた。


門衛は前に進み出て声をかける。


「そこの者、止まれ!

ここは前の大王の殯宮なるぞ。早々に立ち去られよ」


「無礼であろう!

我は訳語田大王の弟、穴穂部王子なるぞ!

今宵は炊屋妃に申し述べることがあって参上した次第。早速開門を願いたい!」


「下がられよ。大王の殯の宮である。馬に乗ったままの口上は許されぬ。

許しを得ていないのであれば早々に立ち去られよ」


穴穂部王子はこの時になってようやく宅部王子の姿が見えないことに不審を感じ始めた。


「私よりも先に訪れた者があるであろう。彼から話があったはず!」


「誰のことを申しておる?」


「・・・・・・宅部王子と言う者だ」


「そのような者は来ておらぬ」


穴穂部王子は馬を降りて門衛に詰め寄った。


「そんなはずはない。もう一度、確かめよ!」


「確かめるも何も、昼過ぎより今の今まで、宅部と名乗る者は姿を見ておらぬ!」


門衛を押しのけながら、穴穂部は後ろを振り返り叫んだ。


「手を貸せ!」


穴穂部王子の引き連れて来た兵達が近づこうとした時、周囲で次々と松明が灯され、彼らは殯宮の衛兵達に取り囲まれていることに気づかされる。


穴穂部が予期せぬ事態に驚きながらも問う。


「誰がここにいるのだ?」


「三輪君逆様がいらっしゃいます」


意外な名前に穴穂部は憤った。

門衛に身体を押さえられながらも叫んだ「下臣の分際で俺の命令に従わぬ気か!門を開けよ!」


門衛と揉み合いながら叫ぶこと七度、遂に門が開けられることはなかった。


穴穂部は門から一旦引き下がりながら、兵を使って何とか出来ないかと思案していると、若い武者が近寄ってきた。


「若造、何か用か」


「穴穂部王子、このままお引き取り下さい。

大王の命にございます」


「何を!

大王の名を出すとは、お前、何者だ」


「私は麻呂子、橘豊日大王の第三王子にございます」


穴穂部王子は麻呂子の名乗りに身体をビクリと震わせた。


「大王に知られたということか・・・・・・」と穴穂部は唇を噛むと、仕掛け人形のように素早い身のこなしで馬に飛び乗り「引き上げるぞ」と命じて、兵達と供に引き返し始めた。


彼らが引き上げていくのを見守りながらも、麻呂子は警戒を緩めずに立っていた。

と、扉が開いて出てくる者があった。


三輪君が先導し、何人かの女官に囲まれて出て来たのは炊屋妃であった。


彼女は門のところにいる麻呂子を認めると、急ぎ足で近づいてきた。


「麻呂子や、麻呂子、再会するのがこんな場所でこんな時になるなんて・・・・」


先ほどは慌ただしくて麻呂子は気にも留めなかったのだが、松明の明かりの中でも空気が変わるほどの美女の出現に、麻呂子は目の覚める思いであった。

彼女はまだ若々しく、既に王子や王女を何人か産んでいるはずだというのに、溌剌とした活気を周囲にほとばしらせている。

背丈も麻呂子と同じくらいに高く、そうでなくても人目を引くというのに、際だった輝きを放って見えるのだ。


「あなたは覚えていないでしょうけど、兄の橘豊日はあなたの生まれた時に、それは大喜びで・・・・・・・」


「それは・・・・・兄の厩戸王子とお間違えでは?」


麻呂子の言葉に炊屋妃はオホホと声を上げて笑った。


「いいえ。確かに麻呂子と厩戸が生まれた時期は近いけれど、『もう一人王子を授かった』と大喜びだったの。間違えるはずがないわ。

兄が自慢げにあなたを見せてくれたのを昨日のように思い出せます」


こういう時、麻呂子は困ってしまうのだ。

自分が何かをした訳でなく、誉められても面映ゆいというか恥ずかしいというか・・・・・・


「そんな麻呂子に、今夜こうして助けられるなんて!」


「御無事で何より」


麻呂子の大人ぶった返事に、炊屋妃は堪えきれずに吹き出してしまった。


「ごめんなさい。あんまり大人ぶって澄まし込むものだから可笑しくて」


ますます麻呂子は困惑する。そんな様子に気づいた炊屋妃が慌てて付け足す。


「ごめんなさい。今夜の英雄をからかってはいけないわね。

あなたは厩戸とは別の形で将来の大役を担うことになる人だわ」


「私の母は磐井直村の娘・広子です。私が表立って役目を果たすことはないでしょう」


「まぁ、若いくせに悟りきったような口を利きますね」


「悟りも何も、間近に厩戸王子を見ていれば、他の将来は思いつきません」


「あなた、嫌なことを言うのね。

私にも竹田王子がいるのに、望みはないというの」


麻呂子は恐縮して頭を下げた。


「葛城の田舎育ちの不調法者ゆえ、お許し下さい」


オホホと炊屋妃は鈴を鳴らすような笑い声を立てた。

その笑い声は周囲の空気を和らげる威力を秘めているようであり、その笑いが響くと麻呂子は焦りと恥ずかしさが和らぐのを感じた。


その様子を見て、ふと炊屋妃は妙な予感めいた物を覚える。


(もしかすると、この子の担う大役というのは、その務めを人知れず果たすことになるかも知れないわ、今夜のように)


その予感の奇妙さに、炊屋妃は自分が何を考えていることか、と呆れ返る。


「気を遣わせてしまったわね。感謝しても仕切れないくらいの恩があるというのに」


「こちらこそ、炊屋妃様に失礼を」


その麻呂子の姿に見惚れるかのように炊屋妃は黙り込んだが、ややあって「頼もしいわね」と言うと、三輪君逆に向き直り「三輪もよくぞ来てくれました」


「とんでもございません。これも全ては太后様の身の安全のためでございます」


「もう、大丈夫なのでしょう?」


三輪が返事しかけるのを制して麻呂子は言った。


「いえ、もしかするとこちらが警戒を緩めるのを待って引き返してこないとも限りません」


この麻呂子の注意に炊屋妃は青くなった。

すかさず三輪が進み出る。


「王子、ここは私が指揮を引き受けますゆえ、太后様とともに奥でお休み下さい」


麻呂子は拓磨に三輪をそっと指し示し「せっかく張り切ってくれているのだから、華を持たせてやってくれ。十分面倒見てあげてくれよ」とそっと囁き、殯の宮へ入っていった。


そんな言葉を知ってか知らずか、三輪君逆は衛兵達に命令を下すと、殯の宮の正門前に立ち尽くす・・・・・・

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