第3章 大王家 その2 新大王

その通りだ、と麻呂子は茜の言うことに同感であった。

自分も父に呼び出され、母を郷里に残して池辺双槻宮に出て来たのだ――と麻呂子は大げさに考えたが、葛城との距離は三里ほど。

麻呂子には大した距離と感じても、馬を使えば二刻とかからぬ距離である。


麻呂子はそれだけ自分の気持ちを茜に寄せて感じていた。

どこか彼女には惹かれるところがあった。


茜の眩しいような容姿だけではなく、真っ直ぐな茜の気性に新鮮な驚きを感じたせいであろうか。


「そう、王族に生まれて恵まれた分だけ背負うものも多いと言うことです」と厩戸王子は冷静に答えるとおもむろに立ち上がって「拓磨殿、麻呂子のことをよろしく頼みましたよ」とだけ言って、離れを立ち去って行った。


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翌日、麻呂子はようやく声をかけられて池辺双槻宮の本殿に参上した。

父・橘豊日王子との対面である。


父の隣には間人妃が控えており、近くには厩戸王子も座っていた。


「麻呂子、久しぶりであった。

しばらく見ないうちに大きくなったなぁ。厩戸よりも大分背も高いのではないか」


麻呂子が頭を下げると、橘豊日王子は相好を崩した。


「親子で何を遠慮する。もっと近くに来なさい。

その凜々しい姿をよく見たい。

広子からの便りでは、葛城の里で身体は一番大きいそうだし、それだけでなく武術の腕前でも群を抜くとか。

最後に会ったのは・・・・・・麻呂子が『闇知らずの森』から帰ってきたという騒ぎの後だったな。あれで勇敢なのは分かっていたが、ここまで立派になるとは・・・・・広子にも苦労をかけた」


「父上がそのように仰って下さり、きっと母も喜びます」


橘豊日王子は麻呂子の言葉に満足そうに頷く。


「これを機に厩戸とも仲良くして欲しい。兄弟が力を併せて王族を盛り立てていくことが、ひいては国のためであり、民のためにもなる。

厩戸も頼んだぞ」



「心得ております」

こんな具合に形式的な家族の対面が行われたが、まだ若い王子や王女が多かったせいか、和気藹々としたものであった。


舎人達は舎人達で別に顔合わせがあり、そこで拓磨は池辺双槻宮の舎人達とも挨拶を交わし親交を深めていた。


「これからは大王の王子の見回りをさせて頂くことになるから、苦労が増えるかも知れない」と話しているのを耳にして、拓磨は噂が本当になるのかと気持ちの昂ぶりを感じた。

だが、それは拓磨と麻呂子の間柄を変えてしまうのかも知れないと言う不安をも抱かせた。


拓磨と麻呂子は『闇知らずの森』での事件からはお互いに一番の友であったから、麻呂子の立場が変わることには不安を感じざるを得ないのだ。


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その日の正午過ぎに群臣会議の結論が出たことを伝えるために大臣(おおおみ)と大連(おおむらじ)が揃って池辺双槻宮を訪れた。


橘豊日王子の前で大臣・蘇我馬子と大連・物部守屋は揃って頭を下げて口上を述べた。


「正式に我ら一同揃いまして、橘豊日王子を大王に推戴致したいと結論しました。

是非とも大王へのご即位をお願い申し上げます」


橘豊日王子は口上の重みを噛み締めるように頷くと目を閉じ、何かを考え込むようであった。


しばらくあって橘豊日王子は慎重に口を開いた。


「謹んでお受けしよう。

大臣と大連がそのように並んで意見を一つにするのを見るのは久しくなかったこと。

私が大王の間は二人が意見を一つにして協力してくれることを願う。

衆生のために為政者が諍いをするのは好ましからざる事。一致協力して国と衆生のために力を尽くすように」


橘豊日・新大王の言葉に大臣と大連は平伏し、深々と頭を下げたまま「ははーっ」と答えたのだった。


遂に崇仏派の大王が誕生した瞬間であった。


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群臣代表としての大臣と大連が帰って行った後、池辺双槻宮は祝宴状態となった。

もちろん、この日に結論が出るであろう事が数日前に連絡があり、それに合わせて橘豊日大王の息子達が呼び集められていたのである。


しばらくすると公的使者の任を終えた蘇我馬子が改めて祝いに駆けつけてきた。


大臣は橘豊日大王の前に出ると改めて感極まったように顔をくしゃくしゃにして喜びにむせび泣いた。


「これ、大臣よ、いかにめでたいとは言え、そこまで追従する必要はないぞ」


「何を言われますか。

我が蘇我家は大王の御祖父の代から大臣としてお仕えし、遂に我が一族の血を引かれる橘豊日大王が即位されました。このことは父・稲目以来の一族の宿願でもありました。

それだけではありませんぞ。

何よりも御仏の教えに造詣の深い大王が即位されたのですから、これで我が国でも御仏の教えが広まり、大八洲は弥栄(いやさか)に栄えることになりましょう。

どうしてこの喜びを抑えることが出来ましょう」


「大臣は冷静で政治的にも損得に厳しい判断をされる者と思っていたが、存外に情熱的なところがあるのだな。

そのような面を知って私も嬉しいぞ」と大王はにこやかに返事をした。


「大王、恐れながら御仏の教えを広めることは私目にとっても宿願でございます。

大王のお許しがあるならばすぐにも新しく寺院を建立し、布教の総本山とすることに蘇我家は全力を挙げて取り組ませて頂く所存でございます。

遠慮無く、何でもこの馬子にお申しつけ下され」


「それについては、よくよく考えた上で頼りにさせてもらうぞ」


「ははーっ」と馬子は額をこすり付けんばかりにして大王に平伏した。


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祝宴の席で馬子は愚痴った。


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