第3章 大王家 その1 初対面

「茜叔母上が明かりを取りに来たので、同い年の弟に会ってみたくなったのですよ。そうしたら、明かりを持って行くはずの叔母上が火を消したので、奇妙に思ってそのまま付いて来てしまいました。

おかげで母の兄弟の興味深い話が聞けました」


そう語る厩戸王子は澄ました顔で、平然としていた。窮地を脱して放心している三人とはずいぶんな違いだった。


「まぁ、厩戸王子まで盗み聞きなどなさって!」と茜は憤慨したような口調であったが、それでも麻呂子達と接する時よりか幾分の遠慮があるようだった。


「仕方ないではありませんか。

初対面の弟やその連れに恥をかかせる訳にはいかないでしょう。まして叔母上に恥ずかしい思いをさせる訳には参りませんからね」


「私のは不可抗力です。兄の息子に付き合わざるを得ない状況だったのですから」


「ですけど叔母上、先ほどの話に一番関係があるのは叔母上の兄弟姉妹ですから、興味深かったのでは?」


そう、茜は堅塩媛の娘である。

とすると彼女も小姉君の子供達から憎まれている?と麻呂子は気になった。


茜の方に麻呂子が目をやると、彼女は不本意そうに答えた。


「私は、あの人達から羨ましがれるような立場じゃないわ。

兄のおかげでこうして平穏に過ごしているけれど、兄の身に何かあれば間人妃が私のことに親身になってくれるとは期待していない。今の話を聞いて、それがますます実感されたわ・・・・・・厩戸王子のお母様のことを悪く言う気はないのよ」


「分かりますよ、叔母上」と微笑んだ厩戸王子が麻呂子の方に向き直った。


「初めてになりますよね。

父から話には聞いていましたが、同い年の弟があなたのような落ち着いた方で良かった」


麻呂子は慌てて居住まいを正すと、改まって深々と頭を下げた。


「申し遅れましたが、葛城磐井村は当麻倉日子の娘・葛城広子が長男、麻呂子にございます。田舎育ちゆえ、いろいろと不調法な面も多々あるかとは思いますが、ご指導・ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。

それと、こちらに控えるのは私の舎人にして友人の拓磨と申す者にございます。以後、お見知りおきを」


麻呂子が顔を上げると、苦笑いする厩戸王子の姿があった。


「そのような堅苦しい挨拶は抜きで行きましょうよ。既にあなたと私は盗み聞きの共犯者なのですから」


「そうは言いましても、秀才の誉れ高い兄にこうして直にお目に掛かるとなりますと、どうしても緊張します」


「兄と弟と言っても、同い年ではないですか。緊張させたり、かしこまったりする間柄ではないでしょう」


「そうは言っても、父の御嫡男と私目とでは、立場が違いすぎます」


「麻呂子はもっと面白い弟だと楽しみにしていたのに・・・・・

禁足の地であった『闇知らずの森』に友人とだけで出かけて行ってしまう男とはどんな人間かと期待していたのですよ」


麻呂子は思わず顔を赤らめた。


「それが、初対面早々から叔父達の話を盗み聞きする場面に出くわしましたし、噂に違わぬ大胆な弟だと感心しましたよ」


「恥ずかしいところをお目に掛けました。

その『闇知らずの森』に同行した友が、こちらに舎人として同行してもらった拓磨です。

二人とも普通と変わらぬ十三歳の子供に過ぎません」


麻呂子の言葉を聞いた厩戸王子は、今度は拓磨の方へ好奇の目を向けた。


「なんだ、二人の腕白が揃って来ていたのですか」


少し打ち解けてきたところで、麻呂子は付け加えるように言った。


「そう言えば、先ほどの盗み聞きの最中に、拓磨だけは壁越しで見えない人数を四人と言い当てました。

私には厩戸王子がそばに潜んでいるのは全く分からなかったと言うのに、拓磨は感づいたと思うと悔しいです」


「へえ、そうですか」と厩戸王子は俄に興味深そうな表情を浮かべると、拓磨と麻呂子を見比べる。それから束の間だけ思案すると口を開いた。


「敢えて言うほどのこともないと思っていましたが、そういうことなら教えておいた方が良いでしょう。

実はあの部屋には一言も言葉を発していないもう一人の人物がいたのですよ」


厩戸の言葉に麻呂子と拓磨だけではなく、茜も顔を上げて驚いた表情を浮かべた。


「特に秘密にする必要もないから教えますけれど、もう一人の人物は宅部王子でしたよ」


また、新しい人物である。


麻呂子が反応しかねていると、すぐに茜が教えてくれた。


「私や豊日お兄様には従兄弟に当たる方ね。檜隈高田大王(ひのくまのたかたおおきみ=宣化天皇)は父である志帰嶋大王のお兄様に当たるの。その檜隈高田大王の御子息のお一人だわ。あなたや厩戸王子には従伯父(じゅうはくふ)ということになるわね」


「なぜ、そのような方が小姉君の息子達と一緒に?」


「確か穴穂部王子と仲が良いらしくて、二人が一緒にいるのをよく見かけます。でも、こんな親族の話し合いにまで同席するなんて、どういうことかしら?」


「穴穂部叔父の護衛役なのですよ。

小姉君の息子達の中では最も大王に近い男ですから、自ら護衛役を買って出たのです。彼は腕自慢ですからね」


「母が違う兄弟同士でいがみ合っているのですか?」とは麻呂子の言葉。

 

まさか!」と思わず茜が声を漏らした。


その反応に対して厩戸王子はにこりと微笑んだ。

「茜叔母上の言う通り、と言いたいところですが現実は違うのです。

こういうのは勝った者は覚えがないのに、負けた側は執拗に覚えていたりするもの。嫉妬や恨みというのは恐ろしいものです」

そう言うと厩戸王子は茜の方に改まって向き直り「叔母上は人畜無害のようにしておられますが、相手の方はそうとは受け取っていない場合もございます。

やはりお気をつけに成られた方が良いでしょう」


「何に気をつけるというのです」


「そう改まられますと・・・・・・一人で出歩かれます折や、よく知らない者から出された食事や贈り物など、思い当たることは幾らでもありましょう」


「そんなことを言われたら、始終怯えながら暮らさねばならないではありませんか!

そんなのはまっぴらですわ」


「茜様、一人切りにならないことです」と口を挟んだのは麻呂子である。

「信頼の置ける侍女などをそばに置くようにしてはいかがですか」


「葛城から出て来たばかりの麻呂子王子までがそんなことを仰る・・・・・・・

大王が亡くなったばかりなのに自分の身の危険まで考えなくてはいけないなんて、王族に生まれるとは厭わしいことですね」


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