第1章 「闇知らずの森」と「御仏の教え」 その2 森の中
大人達に見咎められないようにと、彼らはばらばらに出向き、森の南側で落ち合った。
ところが、一人になってここまで歩いてきたせいでそれぞれには冷静になる時間があったから、森の前に集まるまでに多くの者は親達の脅しを思い出し、その恐怖に萎縮してしまっていた。
「やっぱりやめようぜ」
「何かあったら、大目玉だぞ」
先ほどまでためらう麻呂子に有無を言わせなかった期待と興奮は、既に跡形もなかった。
「心配なら帰っていいぞ」と麻呂子が声をかけると、「じゃあ俺は」などと言いながら一人・二人と帰り始める。
結局、残ったのは麻呂子に対して競争意識を持つ拓磨だけであった。
拓磨は麻呂子と同い年ながら、麻呂子よりも背が高く、大人びた風貌をしている。
「なんだ、あいつら口だけじゃないか。臆病風に吹かれやがって」
「そんなこと言うな、拓磨。お前だって無理しなくていいんだぞ」
「俺が帰ったら、麻呂子は一人で行くのか?」
「いや、行かないで帰るさ」
「なんだ、お前も臆病者か」
「そりゃ、大人達がそれだけ口を揃えて恐ろしがる場所だからな。恐くて当たり前だろう。不必要な危険を冒す必要はない」
「王子の心得か」という拓磨の言葉に麻呂子はカッと顔を朱に染めた。
それを見計らったかのように拓磨が言い放つ。
「だったら俺が一人で行く!」
「なんでそうなる?お前が行くのなら、一緒に行く」
「だって、麻呂子は行きたくないんだろう?」
「お前を一人で行かせたくない。友を一人にしたくないから」
「麻呂子っ」と拓磨は感極まったのか、今度は彼の方が頬を染めて目を赤くした。
ここで一息入れて、二人して帰れば万事問題なかったところであったが、一息ついた拓磨はそれでも「さあ、行くぞ」と宣言した。
麻呂子が男気を見せた分だけ、自分も退けないと感じたのだろうか。
つまらないと言えばつまらない意地であった。
麻呂子と拓磨は手を取り合って森に足を踏み入れた。
大人達の脅かしっぷりから想像するのとは異なり、こぢんまりとした森である。
二十間四方と言えば、現代の単位で言うところの約三十六メートル四方――約四百坪に過ぎない。
森の最奥部であっても、外から眺めて真っ暗とはなりそうにない。
間近に来てみればみるほど、拍子抜けするほどのこぢんまりした藪という印象なのだ。
麻呂子は「不思議なこともあるものだ」と改めて感じる。
そうして二人は森の中へ一歩・二歩・三歩と足を進め、更に一間ほども進んだだろうか、ただそれだけで周囲には何も見えなくなり、前も後ろも区別が付かないほどの闇に包まれてしまった。
麻呂子は振り返ったが、来たはずの道も森の外の明かりも、一切が見えなかった。まさに真の闇である。
「これは、のっぴきならないことになった」と思うのと同時に後悔の念が生じた。
「拓磨を止めなくてはいけなかったのだ」と。
「麻呂子」と心細げに囁く拓磨の声がすぐそばで聞こえた。
「どうした、お前の方こそ今頃になって臆病風に吹かれたか。このまま突き進むぞ」と麻呂子は拓磨の手を引いた。
と、周りから何物かが騒ぎ立てるような音がする。
それも一つだけではない。
幾つもの方角から騒がしく近づいてくるように聞こえてくるのだ。
二人は手を取り合い、駆け足で真っ直ぐに進む。
そうして十間ほども走っただろうか、そこから踏み出す先には地面がなく、二人は揃って転げ落ちた。
「ふぇ」と泣き声を上げそうになった拓磨の口を麻呂子は素早く塞いだ。
「拓磨、泣いている場合ではないぞ」
彼らが倒れた場所の先では、暗闇の中に灯る白い松明が僅かばかりの地面を弱々しく照らしていた。
距離にしておおよそ十間といったところである。
おかしいじゃないか、と麻呂子は恐ろしくなった。
森は縦横それぞれが二十間ほどのはずだった。
森に入って駆け進んだ十間と、ここから明かりまでの十間――合わせれば森を通り抜けられる距離になるではないか!
だというのに明かりは暗闇の中でぼんやりと灯っている。
目を凝らすと、その弱々しい光の中に鎧武者と思しき姿が腰を降ろしており、矛を地面に突き立てるようにして支え持っているのが見て取れた。
男は眠っているのか、目を閉じたまま微動だにせずにいる。
麻呂子と拓磨は薄明かりの中でお互いの姿を確認し、どちらかともなく「おい、このまま引き返そう」と囁いた。
「待て!」と二人の囁きが聞こえたものか、鎧武者が一声上げると、その目を開くのが見えた。
拓磨が腰を抜かして倒れそうになるのを麻呂子は支え起こした。
「ここまで人間が入ってくるのは珍しいな。
大抵は魑魅魍魎共に捕らえられて、餌食にされてしまうと言うのに」と鎧武者の男は見下ろすようにして二人を睨め付けた。
だが、そんな様子に少しも臆することなく麻呂子は言い返した。
「お前は何者だ」
「威勢が良いな」と、それまで厳めしかった表情が少し緩んだ。
「わしはな、長年に渡りこの大八洲に巣くう魑魅魍魎を退治してきたものじゃ。本来ならどこかに祠でも築いてもらって祀られても当然なのじゃが、なにせ我が力では退治しきれなかった悪鬼をこの森に封じておる。こうして我が矛を奴等の尻尾に突き立てて留めていなければ、奴等が再び野に放たれてしまうであろう」
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