第33話 二人は『朽ちた黒羽』

「が……はっっ?」


 首筋に一閃――ベリウスはばたりとその場に倒れ込む。

 ベリウスの背後に降り立った人影が誰なのかは言うまでもない。

 俺の相棒にして獣人少女のヒナタだ。


「よし。良いタイミングだったぞヒナタ」


 俺は親指を立てて相棒を迎える。


「ほんとっ!?」

「ああ。握手会の時のサクラといい、完璧な仕事だな」

「そうかな。まあコカゲ一人じゃなにもできないもんね。ヒナタがちゃんとフォローしてあげないと、どうしようもないもんね」

「だな。まったく頼りになる相棒で誇らしい限りだぜ」

「えへへ~♪ ヒナタすごいっ!」


 耳をぴこぴこ、シッポをブンブン振って得意げになる我が相棒。

 こいつは頭が獣だから、上手くできた時はちゃんと褒めてやらないといけない。

 まあ実際、なんだかんだで優秀だとは思う。

 頭が獣なせいで仕事を一度に三つまでしか覚えられないが、その三つについては意外にそつなくこなすからな。


 ちなみにサクラというのは『異界の叡智』――俺が前にいた世界における手法。

 イベントや商売において客に扮した身内が盛り上げるような演出をおこなうことで、正規の客の注目を集めて呼び込むというもの。先ほどの布教、つまり握手会ではイベントの流れとリリカの笑顔を実演形式で観衆に見せる必要があったから、ヒナタに最初の一人を演じてもらった。


「ねえねえ、ご褒美は? でっかいミンチカツかな?」

「おう。せっかく『フレスタの町でもうちょっとのんびりルート』を選んだんだ。焼きたてパンと山盛りのミンチカツに果実ソーダで乾杯といこうぜ」


 俺は相棒とのやりとりをそう締めくくると、床に倒れ伏す男に目を向ける。


「こいつを片付けた後でな」


 一級使徒ベリウス。

 聖翼教における最高位の肩書も、俺達には何の意味もない。


「ぐ……な、なんだ? なにが起こった……が、がああああ…………っ」


 ベリウスは床で悶えながら、苦しげに呻いている。

 俺は嘲るような口調で言ってやった。


「おっと。そいつの刃には毒が仕込んである。しばらくはまともに動けねえよ」

「う……毒、だと? 他に誰かいたのか? な、何者だ!? いつの間に……」

「最初は話し合いで穏便に済ますつもりだったんだけどよ。途中でめんどくさくなったんでやっちまった。悪いな」

「ぐうう……クズ君……君は一体……がああああ……っ!」


 ベリウスは状況の変化に頭が追い付いていないのだろう。

 しかし俺は、さらに追い打ちとなる言葉を告げる。


「俺達は『『朽ちた黒羽レイヴン』』だ」


 もはや素性を隠す必要もなかった。

 ベリウスの表情がみるみる驚愕へと変わる。


「『朽ちた黒羽レイヴン』? あの『闇組織イリーガル』の盗賊団だと! ば、馬鹿な!」

「さすが一級使徒。よくご存じで」


 一方、俺は嘲笑を浮かべながらベリウスを見下ろす。


「そう、神器や国宝級のレアアイテムのみを狙う、一人一人が一騎当千級の戦闘力を持つ最強の盗賊団だよ」

「とは言っても、ヒナタ達はまだまだ二人で半人前の下っ端だけどね~」


 ヒナタが陽だまりみたいな笑顔で付け加える。


「慈愛を司る天使の加護を受けし、聖翼教の第十三番目の『聖遺物』。一級使徒であるあんたなら、何のことかわかるよな。そう、あの幼い使徒のことだ」

「よくわからないけど、とにかくちょう激レアらしいよ! なんとあげたてのミンチカツを積み上げてお城にできるくらい買えるほどの価値があるんだって!」


 ヒナタが子供みたいにはしゃぎながら補足する。


「ヒナタ、お前は喋らなくていい。『慈愛の聖女』がこのフレスタ教会にいると知った俺はアルバイトとして標的に接近し、奪う機会をうかがっていたというわけだ」

「でもね、フレスタはパンがおいしいし、もう少しこの町でゆっくりしたくなったから、この教会を潰そうとしてるおじさんが邪魔ってことなんだあ」


 ヒナタがシッポをぴょこぴょこ揺らしながら心底楽しそうに口走る。


「おい、だから獣」


 俺はさすがにイラついてきた。


「空気読めよさっきから! ここは強い言葉を吐いて相手を威圧する場面だ」

「え?」


 ふにゃっと首を傾げるヒナタ。全然わかってない。

 俺はガリガリと頭をかきながら、


「あー、もういい。とりあえずこいつ運ぶぞ。ヒナタ、そっち持て」


 俺は倒れるベリウスの足側に回り、持ち上げようとする。


「なんで? ここでやっちゃわないの?」

「ベロベロベロベロベロ」

「一応、ここは教会だからな。いつ誰が来るかもわからんだろ?」

「ベロベロベロベロベロ」

「あっ。そっか。他の人に見られたらよくないよね。さすがコカゲ、慎重だね!」

「ベロベロベロベロベロ」

「お前が何も考えてなさすぎなだけで……うん?」


 さっきから、なんの音だ?

 音の方を見てみる。

 ベリウスだった。


「ベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロベロ」


 ベリウスは床に倒れたまま何かをベロベロしていた。

 いつの間に奪ったのか、ヒナタの短剣だった。「ふむ?」と首を小さくひねると、またベロベロと刃に舌を這わす。左右の手で短剣の柄と刃先を持ち、その刃の全身を入念に舐め回し続ける。


「……おい、なにしてんだよあんた。つうか、なんで普通に動いてんの?」

「ベロベロベロ……なるほどなるほど。この安物の茶葉をそのまま噛み締めたかのような苦みと、舌を荊で巻きつけたかのような刺激。間違いない。これはギゴール大陸南部に生息する毒蛇『アルベラドンナ』の毒を用いているだろう」

「は?」


 つい気の抜けた声を漏らしてしまう。

 それほどまでに理解の及ばないベリウスの挙動だった。


「もっとも、君達は知る由もないかな? 自分の武器に仕込まれた薬の成分など」


 ベリウスが寝起きのような動作でゆっくりと片腕をつき、上半身を起こす。

 そして全身を幽鬼のごとくゆらりと反らしながら立ち上がった。


「ひ、ひわあ。こ、コカゲえ、なにこのおじさん」

「……マジかよ」

「しかし僕は知っているよ。何度も舐めたからね……


 カランという無機質な音をたて、短剣が床に落ちる。

 そこにはまるで最初から何事もなかったかのように立つベリウスの姿があった。

 眼鏡の奥の瞳を喜悦に歪め、首をコキッと鳴らす。


「驚いたよ。クズ君があの悪名高き盗賊団『朽ちた黒羽レイヴン』の一員だったとはね」

「く……」


 なんだこれは。一体、どういうことだ。

 免疫? 毒が効かないというのか?


 まだ思考が追いつかない俺に構うことなく、ベリウスは平然と口を開く。


「転移者でもある君の事情や境遇は知る由もないが……一級使徒の立場としては、やはり罪を意識させ、懺悔を促さねばならないのかな?」


 そして懐から小さい筒を取り出した。

 先端には針があり、注射器のような形状になっている。

 筒の中は漆黒の液体で満たされている。


 ――なんだあれは。


 俺は尋常じゃない気配を感じるが、ベリウスはあくまで冷静だった。


 まさに女神の教えを説く聖職者のようなトーンで。

 ゆったりと語り始める。


「さて。あらゆる者を罪人とし、一方であらゆる罪を赦すという聖翼教の教え……それはとても素晴らしいものだとは思うがね。一つだけ致命的な欠点があるんだ。君達はそれがなにかわかるかい?」

「なんだと……?」


 唐突な問いかけ。

 警戒を強める俺達へと向けられたベリウスの瞳が――狂気に歪む。


 そして――ズプリと。


 針の先端を自らの首筋に突き刺した。


「なっ……!」

「あっあふうぅっ!」


 ベリウスの喘ぎと共に、筒を満たす毒々しい黒の液体が首筋へと注入されていく。

 針の突き刺さった場所に黒が混ざり始めると、それが体中へと広がっていく。


 まるで全身を闇が蝕むように。


「それハね」


 ――ベリウスを纏う空気が変わる。


「罪を懺悔しテしまえバ、極刑ニ処さレるべキ凶悪な者であろうトも簡単ニ赦されてしまウというこトダよ。たとエそレガ『闇組織イリーガル』の者ヤ、かつてアストラルドを支配していタ『魔王ウェギル・ロア』であってモね」


 ぼこ、ぼこ、と音をたて、膨れ上がるベリウスの肉体。

 同時に聞こえるメキメキという奇怪な音。

 骨格の形状までもが――変わろうとしている。


「だかラ聖翼教でハ、とある魔薬ノ研究がおこなわレた。人ヲ人ならざル者……聖翼教ニオけル罪ノ象徴デアり、つマリは救済とイう名ノ死ヲ与エルコトのデキる存在へト変えてシまう魔薬」


 そして、決定的な変化を見せたのが――頭部。

 目や口などのパーツが禍々しく変形していく。

 口は野獣のように左右に広がり、両目が闇のように黒くなる。


「ツマリ――人ヲ『ゴブリン』ヘト変エル魔薬ダ」


 ベリウスの変化が終わる。

 俺達の前に立つ、


 その姿は忘れるはずもない。

『ビラムの森』で俺達を襲撃した――『黒いゴブリン』そのものだった。

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