第34話 謀略する『闇組織』

「ツマリ――人ヲ『ゴブリン』ヘト変エル魔薬ダ」


 重く低い声が、静謐なる礼拝堂を寒々しく震わせる。

 そこには人としてのベリウスの姿はなかった。

 代わりに現れたのは――黒い肉体を持つゴブリン。


「フフ……フハハハハハハハ……!」


 目の前で見せられた以上、もはや疑いようがない。

 あのベリウスが、ゴブリンへと変貌を遂げたのだ。


 ひとしきり哄笑すると、黒いゴブリンはベロリと舌舐めずりをする。

 そして俺とヒナタを順番に見回しながら、


「サスガニ驚カセテシマッタカネ? コノ僕ガ、ゴブリンニ変化――」



「へえ、こうやって変身するのか」

「ね? ね? すごいでしょっ!」



「――エッ」


 俺達二人のやりとりを聞いて言葉を詰まらせた。


「……意外ト冷静ダネ」

「ん? ああ」


 俺は言った。


「お前がゴブリンに変身するの知ってたからな」

「ナッ! ドウシテ知ッテイル?」


 黒いゴブリンの姿で驚きの声をあげるベリウス。

 俺は横にいる相棒を親指で示しながら教えてやった。


「こいつが『ビラムの森』でお前がゴブリンに変身するところを見てたんだよ」

「ナン……ダト……?」


 ――俺とリリカが『ビラムの森』を訪れた時のこと。

 事前に申し合わせをしていたとおり、ヒナタは俺達より一足早く森の中に潜入していた。俺からの合図によりヒナタが登場し、標的である『慈愛の聖女』を一緒に連れ去るためだ。


 こいつは知能こそ獣だが、腐っても『朽ちた黒羽レイヴン』の一員。

 一度に三つまでという制限さえ除けば、与えられた仕事は確実にこなすだけの訓練と教育を受けている。


 俺が合図をしても出てこなかったのは、ボーっとしてたせいで俺からの合図に気付かなかったわけでもなければ、森の果実を食べ過ぎたせいでお腹がいっぱいになって寝てしまったからでもない。


 ――出てこられないだけの理由があったからだ。


 最初に三体のゴブリンと遭遇した際に合図を送っても出てこなかったのは、遅れて俺達の後を追っていたモニクさんの存在を警戒してのものだと思っていた。モニクさんがいたんじゃあ、リリカを連れて逃げるなんてできなかっただろうからな。


 しかしモニクさんと別れてからも、ヒナタは出てこなかった。

 その理由は至って単純なもの。


「まあ、ってのは驚いたけどな……」


 つまりモニクさん以外にもいた、もう一人の追跡者の存在。

 そいつこそがベリウスだ。


 ヒナタは森を歩く俺達の後をベリウスがコソコソと付け回していたことに気付いていた。そして俺達が『リネン草』を見つけた頃――ベリウスは先ほどのように注射器のようなものを用いてゴブリンへと変化した。


 そんな光景の全てを、ヒナタはその網膜にキッチリと焼き付けていたのだ。


「つまり『ビラムの森』で俺達を襲った黒いゴブリンは、あんただったってわけだ」

「ム……ウゥ……」

「確かにあのゴブリンには、なにかと不審な点が多かったからな」


 ゴブリンにしては計算高く、その行動にはどこか知性が感じられたこと。

 黒い肉体と、他のゴブリンとは明らかに常軌を逸する強さをもっていたこと。

 そして全てのゴブリンの情報を網羅しているという『ゴブリン図鑑』にも登録されていなかったこと。


「あれが純粋なゴブリンじゃない……人が変身したものだとすれば辻褄は合う。ああ、ついでに言うなら」

「……ヌ?」

「そんな常識外を考慮すれば、フレスタ教会で前に司祭やってたルドフさんだっけ?一級使徒ほどの人がこんな平和な地方でゴブリンに襲われて重傷を負わされるなんて現象にも説明がつきそうだよな」

「…………、」


 ベリウスからの反応はない。

 それを確かめると、俺はさらに一つの見解を付け加える。


「で、これも聞いた話なんだけどよ。どれだけ薬学に精通した奴でも、たった一日で……それこそ症状を見ただけで病気を治す薬の素材を割り出すなんてのは、相当難しいらしいな。『エンデリベウの魔女』の長老衆でも無理な芸当なんだとか」


『ビラムの森』に出発する前、ラギがこんなことを言っていた。


 ――病の症状を見ただけで必要な素材を導き出す一級使徒は神か詐欺師の域で参考に値しないですが。


 それこそ女神ラナンシアのような超越的な存在か。

 もしくは詐欺師――つまりは。


「流行病の原因となるウイルスをお前自身が作りだしたのでもない限りは、な」

「コレハ……本当ニ驚オタヨ」


 そこでようやくベリウスが感心したような言葉を漏らす。


「薬学ニ疎イモニク君ト五級使徒バカリノ教会ダカラト軽ク見テイタヨウダ。ソコニ気付イタトイウ君ノ知リ合イノ魔女……アギ君カナ?」

「残念ながら違う」


 その双子だ。

 確かにこいつが感心していた聖翼サンドのソースは、アギの魔女としての研究から来てるみたいだけどな。


「さて。これまでの話をまとめるとよ。司祭の喪失。流行病。立て続けに起こったフレスタ教会の危機」

「…………」

「全ての元凶はあんただってことでいいんだよな」

「フフ……フハハハハ! ソノ通リダヨ!」


 ベリウスは今度こそ俺の言葉を肯定した。

 何一つ言い逃れをすることなく――あっさりと、肯定しやがった。


「まったくよ……聖翼教の一級使徒ともあろうお方が、ここまでぶっとんだことをするなんてな。さすがの『朽ちた黒羽レイヴン』でもドン引きだぜ?」


 むしろ一級使徒という立場でおこなうには、あまりにもリスクが大きすぎる。


 リスク以上の大いなる目的が存在するか。

 あるいは、


 だからこそ、最後にもう一つだけ確認するべきことがあった。


「あんた、『ゴブリン化の魔薬』はどこで手に入れたんだ?」

「……ホウ。マサカソレモ知ッテイルトハネ」


 それを探しもとめていた双子によると、過去に聖翼教の中でそういう研究がされていたことは事実らしい。しかし結論から言えば、『ゴブリン化の魔薬』を二人が手にすることはなかった。

 その理由は――


「非人道的な過程が露見し、研究は凍結。教会内でも『禁忌』として扱われ、その存在そのものが闇に葬られたって聞いたんだけどよ」

「ナニ、ソレホドノ研究ヲ眠ラセタママニシテオクノハ、アマリニモ忍ビナクテネ。同士ト共ニ、ソノ成果ヲ引キ継ギ、完成ニ至ラセタノダヨ」

「同志ねえ……聖翼教の中に、あんたと同じ考えの奴がいたってのか?」

「違ウ」


 ベリウスはゴブリンの首を小さく振ると。

 いよいよその名前を口にした。


「『死に至る福音タナトス』ダ」


「ああ、やっぱそうくるかよ……!」


 うすうす感じてはいた。

 フレスタの教会を救うのではなく、潰してしまおうとする理由。

 それがなのだとすれば。


「コカゲ。たなとすって……」


 さっきから退屈そうにしてたヒナタが首を捻る。

 俺は黒いゴブリンに目を向けたまま教えてやった。


「禁忌とされる魔薬の研究を行う、魔女や錬金術師による『闇組織イリーガル』だ。日夜を問わず怪しい実験をしているだとか、各地で発生する原因不明の病は全て奴等の仕業だとも言われている。その技術や気の狂いようも含めてな」

「へえ。なんかよくわからないけど『朽ちた黒羽レイヴン』より悪そうだね?」

「ああ。俺も全く同じ感想だ」


 そしてベリウスの表の顔は、あくまで聖翼教の一級使徒だ。

死に至る福音タナトス』としての顔を用いて教会を追い込みつつ、今度は自分が起こした流行病の解決を口実に、薬師にして一級使徒の立場でフレスタを訪れる。流行病を治して実績と信頼を得ると共に、フレスタにおける教会に終止符を打つ。


 回りくどくて大変なようだが、そこは『朽ちた黒羽レイヴン』の素性を隠していた俺も似たようなもの。そう。『死に至る福音タナトス』と言えば、俺達と同じ標的を狙う『闇組織イリーガル』の一つとしても警戒していた。


「あんたの目的も俺達と同じ……『慈愛の聖女』だな」

「アア。ソレモ否定シナイ。マサニソノ通リダヨ」


『ビラムの森』において、黒いゴブリンはリリカだけは狙おうとしなかった。

 思えば流行病を治す素材が必要だからと俺とリリカを『ビラムの森』に行くよう仕向けたのも、他ならぬベリウスだ。モニクさん達の急な流行病だって、こいつの手によるものかもしれない。


 リリカが行かざるを得ない状況を演出し、黒いゴブリンに変化して襲撃。

 表向きは遭難による行方不明という形で処理させつつ、リリカを我が物にしようとしていたんだろう。

 そのために邪魔な俺と――流行病にも構わず『ビラムの森』に来たモニクさんすらも亡き者にして。


「薬師にして『死に至る福音タナトス』のあんたが『慈愛の聖女』をどうするつもりなのかは知らんが……引き下がってはくれなさそうだな」


 あの悪夢のような強さを誇る黒いゴブリンが、また俺達の前に立っている。

 どうでもいい腹の探り合いも、このあたりが限界だろう。


 俺は懐から二本の短剣――『玄武』を抜き放つ。


「ホウ? マサカ戦ウツモリカネ? ココニハ、モニク君モイナイノダゾ?」

「さて、な」


 俺は不敵な笑みを浮かべ、左右の手で『玄武』を構える。

 その隣ではヒナタが上体を伏せ、四足歩行の獣のように両手をだらりと下げていた。


「いくぞ、ヒナタ」

「うん」



 そして――クルッと反転。



 ダッシュで逃げた。


「ナッ……!?」

「もちろん戦わねえよ! 邪悪なモンスターをブッ倒す英雄様じゃないんでな!」


 ベリウスの驚きの声を背に、俺達は礼拝堂中央の通路を突っ走る。

 外に出る扉に向かって、一直線に。


 ベリウスが追って来る気配はない。いいぞ、よし。『ビラムの森』の時とは違い、ここは町中だ。教会の外には人の目というものがあるからな。


 俺達の正体がベリウスに知られたわけだが、それはお互い様だ。

 俺も奴の素性をはっきりと確認できた。ならば、別にやりようはある。

 この場は逃げて……ひとまず仕切り直しだな。


「『祝福ノ天使』ヨ」


 背後から何かが聞こえたような気がした。


「ココハ無知蒙昧ナル人ガ神聖ナル女神ヲ賛美セシ所。天使ノ務メニ従イ、咎ニマミレシ邪悪ヲ退ケシ境界ヲ築き給エ」


 ベリウスの声――なんだ?

 嫌な予感が急速に全身を駆け巡る。


「急げヒナタ!」


 前傾姿勢で走るヒナタが先に扉へと到着し、取っ手をひっつかむ。

 あとはこのまま外に――


「『排魔の聖域ディスシナーズ』!」


 瞬間、白い光が教会中を眩く染める。

 光が収まると、次に見えたのはヒナタが「あれ?」と首を傾げる姿だった。


「こ、コカゲえ。この扉、すごく重いよ? 鍵でもかかってるの?」

「……は? んなわけねえだろうが。なにしてんだよ、さっさとしろって」


 俺も扉の取っ手を掴み、体重をかけるようにして押す。

 二人がかりで必死に押すも、しかし扉はビクともしなかった――え、なんで?


 背後から、嘲りの含まれたベリウスの声が響く。


「無駄ダヨ。君達ハ、コノ教会カラ出ラレナイ」


 まさか、さっきベリウスが呟いていた何か。

 魔術の詠唱――一級使徒による『女神の奇跡』か?


 またしても想定外な事態だ。

 さて――ここをどう切り抜ける?

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