第27話 フレスタ教会の流儀

「そう。状況は変わらない、か」


 談話室での夕食後。

 俺から布教の状況を聞いたモニクさんは、表情を曇らせた。


「せめて私達も、布教の方に時間を回せたらいいんだけど……」


 まだ教会の運営が続いている以上、モニクさん達には別の業務がある。そのため、肝心の布教はリリカ任せにするしかない一日となった。ちなみにそのリリカはといえば、夕食を終えるとすぐに部屋に引きこもってしまっている。


「うひひひ。うちらに良いアイデアがあるんすよ」


 重苦しい空気の中、無邪気な声を挟んできたのはアギだ。


「炊き出しで売る聖翼サンドにうちら秘伝の『【幻想媚薬】ヴィーナススマイル』を仕込むっす」


 幻想媚薬ヴィーナススマイル。

 意味はわからないが、なんとも不穏な響きではある。

 これについては双子の片割れであるラギが説明した。引きこもり気質であるこの子も、流行病が解決してからは時おりみんなの前に姿を見せるようになった。


「くふふふ。これを摂取すると自我が崩壊し、心の内に自らの理想とする『女神ラナンシア』の虚像を作りだすです。やがて虚像である女神に心酔し、女神に従うことを至上の喜びとする廃人へと堕ちてゆくです」

「で、女神の教えが書かれた『サムネの書』にその廃人達が群がるわけっす」


 なるほど。やや邪悪だが利には適っている。

 元魔女の二人としては、むしろこっちの手口の方が本来なのかもしれない。

 しかし、これはさすがに――


「その薬の開発はすぐにできるの? 即効性は? 確かに、フレスタ教会で唯一順調な炊き出しを利用しない手はないわね。訪れる客の全てをそのような状態にできるのであれば、あるいは……」


 あれ、モニクさんが食いつき始めてる。

 どうやら冷静な判断ができないくらいに追い詰められているらしい。


「くふふふ。この教会、人が全然来ないから居心地が良かったです。信徒の多い町の教会に配属されたら、忙しくて部屋にこもってられなくなるです」

「うひひひ。聖翼サンドはフレスタのパンがあってのものっす。もっともっと、試したい新作サンドの構想もたくさんあるっす」

「そう。この教会を無くすわけにはいかないわ。そのためならば私はなんでもするつもりよ。女神ラナンシア様だって事後報告で許してくれるわ!」


 とにかく三人ともフレスタ教会を失いたくないのはよくわかった。


 とはいえ、炊き出しのパンに変な薬を混ぜるのはさすがに問題があるだろう。異物混入がこの世界でどれだけの事件として扱われるのかはともかく、たとえ成功したとしてもフレスタ教会が不気味な狂信者集団になってしまいかねない。


 なので、俺はそれを阻止すべく別の話題を振ってみることにした。


「そういえばモニクさん。レニィって人はどうしたんですか?」

「え? レニィ?」


 モニクさんがキョトンとする。

 いやいや。


「この教会にはもう一人、使徒がいるんですよね。確か流行病にかかったせいで休んでたとかいう……でも流行病を治す薬、もうできましたよね?」

「あ! 忘れてたわ!」

「普通、忘れます?」






 話が一段落すると、双子の使徒はお風呂へと向かった。

 談話室には俺とモニクさんだけが残される。


「せっかくアルバイトにも慣れてきた頃なのに……ごめんね、こんなことになっちゃって」

「まだこの教会が無くなると決まったわけじゃないんでしょう?」


 カップからはゆらゆらと湯気が立ちのぼり、香ばしい匂いが鼻孔をくすぐる。フレスタの名物である小麦から淹れた『小麦茶』だ。この教会で出る茶といえばいつもこれで、ほどよい甘味が心を落ち着かせてくれる。


 思えば、この味にも随分と馴染んだものだ。

 アイテム図鑑でのランクはせいぜいE程度。

 でも。多分。俺にとってはそれ以上の価値が生まれたように思う。


「それに、礼を言うのは俺の方です。転移者で冒険者なんていう、いかにも妖しい俺をアルバイトとして雇ってくれて……住むところまで与えてくれました」

「私はただフレスタ教会の流儀に従っただけよ?」


 モニクさんは困ったような微笑を浮かべながら言う。


「ルドフ司祭は、特殊な経歴を持つ者を積極的に受け入れてくれる人だったの。私もアギやラギも、今はいないレニィだって。事情は違えど、あなたと似たようなものだったんだから」

「……そうなんですか?」


 まあ俺の転移者って経歴は相当特殊にせよ、普通ではない過去を抱えた奴ってのはどこの世界にもいるもんだろう。モニクさんは元騎士として色々あったっぽいし、あの双子なんか片田舎に隠れ住んでいた魔女の末裔なんだよな。

 なお、レニィについてはおっぱいでかい以上の情報は持ち合わせてない。


「そしてリリカも……ね」


 モニクさんは視線をカップへと落とし、続けた。


「エルミ・リューメル。元二級使徒でありながら、今は女神に背いた大罪人として聖翼教の総本山である『聖地サイレリア』に幽閉されているわ。なんでも、天使にまつわる力の存在を知りながら、それを明かさず一人占めにしていたのだとか」

「た、大罪人? それに、リューメルって」


 確か、リリカの姓だ。

 そしてリリカは『ビラムの森』でこんなことを言っていた。

 自分は母親みたいな使徒になりたいのだと。


 つまりリリカの母親は使徒であり、その大罪人というのは――


「まだ十才であるあの子が、どれほどのものを背負っているのかはわからないわ。でも……ルドフ司祭にこの教会へ連れてこられた時のあの子は、氷のように冷たい目をしていた」

「…………」

「でも、そんなあの子も時を経るにつれて心を開いてくれるようになったのよ? 今もあまり口をきいてくれないし、笑ったところとかは見たことがないけど……みんな知っているわ。あの子は、本当はとても優しい子だって」

「……いやいや、それはさすがに言い過ぎでしょ」


 俺はついそこで口を挟む。


「大人しそうに見えて口は悪いし年上に対しても偉そうだし、俺にはただの生意気なガキンチョにしか見えませんけどね。ぶっちゃけモニクさん達だって、あいつの扱いには手を焼いてるでしょ?」

「うーん。まああの子はクズに一番懐いてるみたいね」

「えぇ……?」


 懐かれている。どこをどう見たらそんな感想が浮かんでくるんだろうか。

 ただ確かに、リリカは他の使徒には俺以上に素っ気ないというか、ほとんど話している場面を見ていない気がする。でも。


「それは俺が仕事で絡むことが多いからだし……あと、転移者だからです」

「転移者だから……?」

「あいつ、俺が転移者だからってやたら無茶ぶりしてくるんです。転移者がみんな英雄とか、本気で信じこんでるんですかね」

「ふふっ。そういえば最初に言ってたわね。転移者は家も金も食うものもない。常にその日暮らしの生活を強いられているんだっけ?」

「そうそう! そうなんですって!」


 懐かしい。モニクさんは俺の境遇について、本当に親身になって聞いてくれたものだ。あの時の俺は『朽ちた黒羽レイヴン』としての素性を隠していた。けど、転移者として抱えている苦労と苦悩については、決して嘘じゃなかった。


「聖翼教のサムネについては話したかしら?」

「サムネって。あの『サムネの書』のサムネですか?」

「ええ。そのサムネ」


 確か女神の言葉を残した人で、それが聖翼教の聖典になっているんだとか。

 とりあえず誰かの名前だってことは知っている。

 けど、なんで急に。

 今、それが関係あるんだろうか。


「サムネは女神ラナンシアや三人の天使と共に旅をしたとされる人ね。なんでも黒い髪をしていて、この世界には無い数々の知識や技能をつかって、たくさんの人を救うような活躍をしたんだって。世界を救った英雄として伝えられてもいるわ」

「え。それって、もしかして」

「この世界とは別の世界からの来訪者。つまり『転移者』だったとされているわ。リリカはまだ幼いし、聖翼教の教えの影響も強く受けてるから……転移者が英雄だっていう気持ちが強いんでしょうね」

「そう……だったんですね」


 転移者がこのアストラルドで英雄とされている理由。

 その謎が解けた瞬間なのかもしれなかった。

 だっておかしいと思っていたのだ。転移者とは言っても、俺は特に何の力も持ってないし。確かにこの世界にない知識は持ってるかもしれないけど、この世界でそれが役に立つかは全く別の話だ。


 信仰が薄れつつあるとはいえ、聖翼教はこの世界で最も深く根付いた宗教だ。聖翼教を知らない人たちにも伝承の一部、つまり転移者が英雄という部分だけが広まっていたとしても不思議ではない。俺が前にいた世界でも、例えば万人にとって有名な行事が実は宗教から発しているなんてのはよくあることだったし。


「さすがに幻滅させてしまったでしょうけど。その転移者が英雄どころか、その日暮らしで生きる冒険者だったんですから」

「そう? そういうのは関係なく、クズは十分に英雄してると思うわよ?」

「……は?」


 自嘲気味になる俺に対し、モニクさんは何でもないことのように言ってのけた。


(俺が……英雄?)


 いきなり何を言い出すんだ、この人は。

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