第三章(上) 英雄と聖遺物
第26話 廃れゆく信仰
「いえーい! 君、かわいいね! もしかしてヒマしてる?」
噴水広場のベンチに腰掛けるリリカに誰かが近づいていく。
金色の髪をした、見るからに軽そうな青年だ。
「よかったらさ、俺と一緒にパンでも食べない? 俺、いい店知ってるんだよね!」
「……ふう」
パンの町フレスタ住民特有(?)の口説き文句を前に、深いため息をつくリリカ。
銀色の髪に細い指を絡めながら、
「ごめんなさい。あいにく、待ち合わせ中ですので」
妙に手慣れた感じでナンパ(?)へと対応した。本当に幼女かこいつ。
そしてパン露店の一つを指差して言う。
「そんなにヒマでパンが食べたいのなら、あの行列に並ぶといいです。とても人気のあるお店で、中でも『雪解けとろふわチーズサンド』がオススメです」
「そうなの? 確かにすげえ並んでるね。あの感じだと、買えるまで十分はかかりそうだけど……うん。そこまで人気のあるパンなら、俺も食べてみようかな?」
「そして、その十分の間にあなたはこのように考えるはずです」
「えっ」
「どうして自分はこの行列に並んでいるのか。ここまで長い時間を浪費してまで、この店のパンを食べる意味があるのか。そもそも自分はなんのために生きているのか」
「いやいや」
「本当に自分はこの世界に生まれてきてもよかったのだろうか」
「おおい!? たかがパンごときでそこまで悲観的にはならねえよ!」
「パンごとき? 自分の立場をわきまえて、せめてパン様と呼んでください」
「パン様! 何故に! 俺の存在がパン以下だとでも!!」
「逆に聞きます。どうしてわたしに声をかけたのですか。どうしてわたしに言われたくらいで行列に並ぼうとするのですか。軽々しく行動してしまう自分に何の疑問をもたないのですか。あなたの行動原理は肥溜にたかるハエそのものです。頭もパンより軽そうですね」
「なんなんだこの幼女は! 失礼だな!」
「並んでいる間にこの『サムネの書』を読むといいです。そうすれば、あなたの羽虫同然の人生において唯一意味のある十分に――」
「いらんわ!」
そう叫びながら、軽そうな青年は去って行った。
――さて。
なんか酷いものを見てしまった気がするけども。
「ほらよ」
そこでリリカの元に戻った俺は『雪解けとろふわチーズサンド』を手にしていた。「俺に何かできることはないか」と言ったら「じゃああれ並んで買ってきてください」と言われたから三十分並んで買ってきたのだ。
パシリだと思ってはいけない。
あくまでアルバイトであり、これも立派な布教の手伝いだ。
もそもそと、不機嫌そうな顔でサンドを食するリリカ。
せっかく買ってきてやったんだから、もっとおいしそうに食べろと思う。
サンドの方はやたらウマそうなのに。
『雪解けとろふわチーズサンド』
レア度:E+ 区分:食料 価格:3
フレスタ十二パンの一つ。ノースエリア産のチーズとパターをふんだんに使っており、パンごととろけるような味わいが広がる。早朝に雪原のごとく焼かれた大量のパンは昼前には全て売れ切れ、雪解けのように胃の中へと消えてなくなるだろう。
だからフレスタ十二パンってなんだよ。
「それにしても、急な話だよな」
リリカはまだサンドを食しているが、俺は話を切り出した。
「フレスタ教会が、もうすぐ無くなってしまうなんてよ」
今朝、一級使徒のベリウスから説明を受けたことだ。
かつてアストラルドを支配していた魔王がいなくなってからの三十年。
聖翼教の信徒の数は減少の一途をたどった。やはり魔王がいた頃のような過酷な状況下でこそ、人は拠り所を求めるものなのかもしれない。
合わせて、聖翼教は二つの問題に直面することになった。
信徒の数に比例するように減少した寄付金、つまり資金面での問題。
そして、ベテラン使徒の高齢による大量退職を始めとした人材面での問題。
教会の数そのものを減らそうという発想になるのは仕方のないことだった。
「まあ、時代の流れってやつだな」
「……地方の町にある教会はなくし、大都市の教会へ一本化しようという話は以前からあったようですが」
「フレスタは、まさにその地方の町に該当するわけか」
「さらに司祭の不在が続いていましたし……教会の建物も、古くてボロいですし。妥当な判断です」
つまり司祭の復帰を待つまでもない。
それもフレスタ教会が整理の候補に挙がった理由の一つらしい。
あと確かに教会自体もボロい。俺なんか最初に椅子のササクレで怪我したしな。だからといって、この教会に補修する金を充てるほどの余裕もないんだろう。
「でも、あくまで教会の一本化という話だし、別にこの町と聖翼教が関係を断つわけじゃないんだろ?」
「そうですね」
「いいじゃねえか。フレスタの使徒も、ちゃんと他の教会で働けるみたいだし。まあ俺はただのアルバイトだから、さすがにお役御免になるだろうけど……」
「わたしも、どうなるかはわからないですけどね」
「うん?」
リリカはぼそりと漏らす。
「わたしは普通の使徒とは、少し違いますから」
「…………ああ」
その言葉の意味は、なんとなくわかった。
こいつは聖翼教の使徒であると同時に、別のものを抱えてもいる。
「なあ、リリカ。今さらだが聞いてもいいか」
「なんですか」
「お前みたいな奴が、普通の使徒としてフレスタなんかにいる理由」
「…………」
リリカはしばらく何も言わず、ただ町の風景を見ていた。
町の中央できらきらと輝く噴水。
通りを行き交う楽しそうな人々。
しかしその青く澄んだ瞳には、何も映されていないように感じた。
やがて平和な町の喧噪に、リリカの幼くもはっきりした声が混ざる。
「身体から癒しの聖水を生みだす者。それは聖翼教において慈愛を象徴する天使の加護を受けた者であるとされ、『慈愛の聖女』という名の『聖遺物』として扱われるようになりました。人が『聖遺物』となったのは、かつて魔王ウェギル・ロアを倒すために勇者と共に戦った聖翼教の使徒『祝福の聖女』エリシア以来のことだとか」
それは、まさに一つの『聖遺物』の話だった。
どこか他人事のように、リリカは淡々と語っている。
「へえ。十才で聖女扱いかよ。つうかまだ生きてるどころか絶賛成長中なのに『聖遺物』ってのも変な話だよな」
「はい。人が『聖遺物』となる例は珍しいことです。だからこそ、その処遇については意見が分かれたようです。他の『聖遺物』と同じように厳重な管理の下に置くべきなのか、あるいは人としての自由や尊厳をある程度は保障してやるべきなのか」
ようは「人」して扱うのか「モノ」として扱うのか。
つまり、そういうことなんだろう。
「結局のところ、当事者が『聖遺物』である事実を隠しながら、一人の使徒として扱うことになりました。その立場を支持していた一級使徒が、その使徒の身元を引き受けるという形をとることで」
「なるほどな……」
当面、リリカは『聖遺物』である事実を隠され、一人の使徒として扱われている。
しかしそれでも『聖遺物』でもあるリリカの立場は、常に不安定なもの。
「お前の身元を引き受けた一級使徒……つまりルドフ司祭は既にいない。ここからさらに所属する教会まで無くなってしまうようなことがあれば、お前の扱いもまた白紙に戻りかねないってことか」
「何も問題はないですが」
俺の言葉に、しかしリリカは毅然と言い放った。
「布教をして、この町の信徒を増やせばいいだけのことです」
そう。
フレスタ教会が消滅を免れるための方法が、全く無いわけではなかった。
ベリウスは教会が無くなるという話の最後に、こうも付け加えたのだ。
――女神ラナンシア様の教えに理解を示し、この教会を訪れる者が多くなるようであれば、フレスタから教会を無くすわけにはいかなくなるかもしれない。
――今月中にノルマとして残されたサムネの書を全て捌ききることができれば、この教会を残す方向で上にかけあってみせよう。
サンドを食べ終えたリリカは、すくっと立ち上がった。
休憩を終え、これから布教を再開するつもりなんだろう。
「できるのかよ」
しかし、俺は小さい背中にそんな言葉を投げかけていた。
「これまでも、お前はずっと布教を続けてきた。けど、全く成果がないのが現実だ」
ベンチには山積みになった『サムネの書』。
もちろんこれで全てじゃない。
「期日である今月は残る十二日。教会には、捌き切れずに残ったノルマ三ヶ月分……全部で三百冊もの『サムネの書』がまだ残ってるんだぞ?」
「そうですね」
リリカは青い瞳を町の住人達へと向ける。
宝石のようだった瞳はしかしどこか無機質で、冷え切っている。
「確かに、この町の方々には女神ラナンシア様の教えを理解するのは少し難しいのかもしれません。ただ能天気に平和な町の日常を生きるだけで、その平和が誰のおかげでもたらされたのかを考えようともしない。本当に救いようがないほど頭の悪い人ばかりのようですから」
「はっ。なんだよそれ」
「…………、」
俺の呆れた声に、リリカの表情が険しくなる。
「お前、布教をしようとする相手のこと、本気でそんな風に見てるのかよ」
「な、なんですか。それは、どういう……」
「別に」
俺は首を振り、続ける。
「ただよ。たとえ女神ラナンシア様とやらの言葉がどれだけ優しく正しかろうが、その教えをお前がどれだけ熱心に何時間かけて説こうが、相手からの理解や共感を得られるかは全く別の話ってことだ。相手がお前の言うような連中なら、なおさらな」
「……な、何が言いたいのですか」
俺は真剣な顔つきで告げる。
「使徒の減少は時代の流れによるものなんだろ? だったら使徒を集めるのも時代に合った方法が必要だと考えるべきだ」
「それは……?」
「だから、例えば俺が前にやった『ティッシュ配り』みたいな要領でうべあっ!?」
『サムネの書』で顔を殴られた。
結局この日もいつも通りの方法で布教をおこない、いつも通り『サムネの書』は一冊も減らなかった。
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