第28話 星のない夜空

 夕食後の談話室にて。

 なんかモニクさんが俺のことを英雄だと言い出した。


 その日暮らしの六流冒険者でしかない俺を。

闇組織イリーガル』にして『朽ちた黒羽レイヴン』の任務のためにこの町を訪れた、俺なんかを。


「だってクズが来てからのリリカは、どこか楽しそうなのよね。あんまり感情を見せる子じゃないけど、よく喋るようになったと思うわ」

「そう……なんですか?」

「私達は別の仕事で忙しかったとはいえ、リリカとちゃんと向き合える時間はほとんどなかったから……だからクズには本当に感謝してるのよ?」

「だからそれは、俺がリリカと仕事で一緒になることが多かったってだけで……」

「もちろん他にもあるわよ。クズが英雄だっていう、ちゃんとした理由」


 モニクさんは小麦茶のカップを両手で持ちながら、どこか楽しげに言う。


「『ビラムの森』で黒いゴブリンに襲われた時。クズは私を置いていこうとはしなかったでしょ?」

「えっ」

「それどころか危険を顧みず、身を呈して戦ってくれたわ。そのおかげでリリカも私も無事に帰ることができた」

「それは違います」


 これについてだけは、はっきりと否定することができた。


「モニクさんを置いていくのを、リリカが頑なに嫌がったんです。そうじゃなければ、俺は……」


 モニクさんは考えもしないだろうけど、あの時の俺は逃げるつもりだった。

 しかもモニクさんが命懸けで俺に託した『リネン草』をフレスタに持ち帰ることもせずリリカを連れ去るという、これ以上にない最悪な形でだ。


 リリカが抵抗さえしなければ。

 いや、もう少しモニクさんがあのゴブリンを足止めしてくれていたら、俺は無理にでもリリカを連れて逃げることができていた。任務もとっくに完了していた


「ふふっ。あの時のクズ、とてもカッコよかったわよ? 強そうな素振りを全然見せなかったのに、いざとなったらあのゴブリンの攻撃を一人で凌いで見せたんだから」


 それなのに、モニクさんの目には全く別のものが見えているらしい。

 一時的とはいえ俺がカッコいいとか……大丈夫か、この人。

 いや、ありえねえよ。マジで。ないない。


「あー、だから、別にあれくらい……結局あいつを退けたのはモニクさんだし……」

「もう、恥ずかしがらなくてもいいじゃない。あなたがどう思っていようとも、あなたが私達にとっての英雄であることは確かなんだからね?」

「~~~~~~~!」


 ああもう! クソが!

 これ以上はさすがにキツい。

 話を戻させてもらおう。


「そ、それで明日からはどうしますか? 正直、このままでは厳しいと思います。リリカの布教は……一生懸命なのは、見ててよくわかりますけど」

「そうね……」


 俺は言葉を濁したが、三百を超える『サムネの書』を全て配るのは厳しいどころか不可能だろう。たとえ布教にモニクさん達が加わったところで、それは変わらない。


 ただ単純に誰も興味を持っていないのだ。

 女神の教えや、聖翼教そのものに対して。


 ただ『サムネの書』を配るだけなら他の方法もあるのかもしれないが、少なくとも「ティッシュ配り」のような形はリリカが認めない。女神の教えに対する理解がなければ、本当の意味で聖翼教を広めることにはならないだろう。


 まさに八方塞がりだ。


「潮時……なのかもしれないわね」


 モニクさんが寂しそうに言う。

 もしかしたらモニクさんは、フレスタ教会の状況を正しく理解し、存続を諦めているのかもしれない。

 前向きな言い方をするならば、特殊な経歴を持つ身でありながらも、ルドフ司祭の庇護のない別の教会で生きていく覚悟を決めているのかもしれない。


 しかしリリカだけは――また事情が違う。

 もしモニクさんがリリカの背負う運命を知っていたなら、フレスタ教会のためにどんな行動を取っていただろう。


 そして、唯一それを知る俺は。


「……お茶、ごちそう様でした。リリカの様子を見がてら、俺も部屋に戻ります」

「ええ。今日はお疲れ様。明日もお願いね?」

「はい」


 談話室を出る。

 きっとモニクさんは、また優しく笑いながら俺のことを見送ってくれたんだろう。

 しかし俺は、モニクさんと顔を合わせることができなかった。






 部屋に戻らず教会を出た俺は、近くの川沿いに置かれたベンチで夜空を眺めていた。

 アストラルドには朝も夜も存在し、太陽のようなものもある。

 しかし俺がいた世界にあった月や星は、空のどこにも見えなかった。


 もしも星が存在するのなら、アストラルドと呼ばれるこの世界も、元の世界と同じ次元にある別の星という可能性も完全には否定できなかった。

 同じ空を見ているのであれば、たとえどれだけ離れていたとしても、生まれ育った故郷を思うことができたのかもしれない。


 しかし星の無い夜空は、むしろそれを完全に否定してしまう。

 ここが全く別の世界であることを思い知らされてしまう。


 ちなみに太陽が沈んだアストラルドの夜も、完全な闇に閉ざされるわけではない。

 その原因もまたアストラルド特有の現象であり、風や水、大地や木に宿るという精霊の力が仄かに光を帯びているから――らしいけど。


「さすがに本は読めないか……」


 そう一人呟きながら、開きかけた『サムネの書』をベンチに置いた。

 この聖典を残したサムネなる人物が転移者と聞き、読んでみようと思ったのだ。


 転移者の俺でもアストラルドの文字を理解できるとはいえ、なんか気分的に疲れる。だから今まで見ようとしなかっただけで、読書そのものは本来嫌いじゃない。


 元の世界でも、小説は読みまくっていた。

 高尚な文芸作品とかじゃなく、漫画の延長線上みたいなジャンルのやつだけど。


 そういえば『サムネの書』は女神の言葉を残したものであり、サムネという人物が女神と旅をする中で拾い上げたものだとモニクさんから聞いた。

 言い換えるならば、サムネや女神の旅の物語。

 もしかしたら、ファンタジー系のラノベに近かったりするのかもしれない。


「……『氷詠の魔術士』、最後まで読みたかったな」


 他にも『シックス・サタンズ・クレイモア』はちょうどいいところで終わってたし、『転生したら武器屋だったけど、スローライフしながら魔王軍相手に無双します。俺の仲間である伝説の勇者達が』だって、最初は敬遠してたけど読んでいるうちにだんだん楽しめるようになってきたところだった。


 いずれも特に好きだった小説のタイトルだ。

 異世界転移してしまった今、もう続きを読むことは二度とない。

 新しい物語に出会うこともない。そういえば元の世界では、今はおそらく二月頃。二月といえば、ラノベ最大手レーベルの受賞作が発売される月だ。


 小説の中みたいな、ファンタジーに溢れたこの世界。

 俺が好んで読んでいた小説の中には、現代社会に生きる少年少女がファンタジーの世界に転移するような作品も多かった。

 異世界に転移した主人公は、まさに英雄のような活躍をしていた。


 しかし、この世界は小説じゃない。

 世界観こそ小説みたいでも、これは紛れもない現実なのだ。

 俺が異世界から来た転移者だからといって、小説のような英雄にはなれない。


 ただ、この世界を生きるのが精一杯で。


「………悪いな、リリカ。モニクさん。アギ、ラギ」


 世話になったとは思う。

 不義理を感じていないわけではない。


 フレスタ教会の運営が回っておらず、アルバイトを募集していたこと。

 標的である少女の不思議な力を早々に見せてもらい、『慈愛の聖女』であることを確認できたこと。『慈愛の聖女』を狙う他の『闇組織イリーガル』との競合がなかったこと。


 何もかもが上手く回っていたのに、標的をさらうという最後の一手がなかなか届いてくれない。結果として、この教会にも長く世話になってしまった。

 それだけは想定外だった。


「俺が英雄とか……純粋すぎるんだよなあ」


 結局のところ、リリカも――モニクさんだって、この『サムネの書』に毒されてしまっているんだろう。

 それでもあえて聖翼教の伝承になぞらえるのであれば、転移者は英雄なんかじゃない――ゴブリンだ。


 



 ――××君も、夜空できらきら光る星みたいになってほしいんだ。

 ――何の話かって? ××君にこの名前をつけた理由だよ。



「…………、」


 ある人の言葉が頭によぎる。

 でも今の俺には関係ない。

 慈愛や祝福に満ちたはずの言葉も、今の俺のとっては呪いのようなものだ。


「……やるしか、ないんだよ」


 この世界で俺に与えられた役割は英雄じゃない。盗賊だ。

朽ちた黒羽レイヴン』の一員として『慈愛の聖女』であるリリカをさらう。

 俺がこの世界で生きてくために。


 俺の中の星は完全に消えたのだ。

 この世界で『コカゲ』と名付けられた、その時から。

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