第23話 生きるための選択
モニクさんと黒いゴブリンの激戦は続く。
力任せに武器をぶつけあう光景はあまりにも凄まじく、ただ圧倒されるしかない。加勢しようにも邪魔にしかならないだろうし、残念ながら遠くから援護できるような術も俺達は持ち合わせていない。
だから今は、こうして見ているしかないのだが――
「モニクさんが、おされてます……」
リリカのような子供でもわかるくらいに劣勢は明らかだった。
単純な力や技術では負けていないのかもしれない。しかしモニクさんは流行病を抱えており、万全な状態ではなかった。ここに来るまでの消耗もある。
――ギィィン!
一際大きな音が響く。
モニクさんの大剣とゴブリンのバールが交差し、鍔迫り合いの形になる。
「ぐ……うううううう!」
「――――――」
力を振り絞って耐えるモニクさんだったが、ほどなくしてその均衡は崩れた。
――ガバッ、と。
突如として黒いゴブリンの口が開かれる。
這い出てきたのは、なんと自身と同じくらいに長く巨大な舌だった。
見るもおぞましい紫色の舌が唾液を滴らせ、大剣を構えるモニクさんの足先から頬にかけてほぼ全身をベロロンと舐め上げる。
「ひゃわああっ!」
全身をビクンと跳ねあげるモニクさん。
脱力したように大剣を落とし、その場にへたりこんでしまう。
その隙を逃すまいと、ゴブリンがバールを振り上げる。
しかしモニクさんは動かない――動けない?
(あの症状……まさか麻痺状態か!)
それでもモニクさんはどうにか大剣を持ち上げ、自分の体を隠すようにしてガードした。唸るように振るわれるバールが、モニクさんを大剣ごと大きく吹き飛ばす。
どうっ、と鈍い音とたて、モニクさんはちょうど俺達の目の前に背中から落ちた。
「だ、大丈夫ですか」
「なんとか、ね」
体を起こしながら、俺の言葉に苦笑で返すモニクさん。
全身が痙攣するように震えてはいるが、怪我らしきものは見当たらない。
ひとまず、大したダメージはなさそうが――
(マジでなんなんだ、あのゴブリンは)
図鑑に情報がない時点で俺の理解を超えている。
もちろんマトモに相手するような選択肢は無いのだが、頼みのモニクさんがこの様子だ。だからといって逃げ切れるような保障もない。
どうすればいい。
「クズ。リリカを連れて逃げなさい」
逡巡する俺にかけられたのは、そんな言葉だった。
「モニクさん……でも」
「忘れないで。私達の目的は、あくまで薬の素材となる『リネン草』を手に入れることよ。それはもう、十分に果たしたと言えるわ」
モニクさんは大剣を地面に突き刺し、体を支えるようにしながら口を開く。
「でもあのゴブリンを、このまま放置しておくわけにもいかないから。戦える私だけがここに残って、ゴブリンを倒す。合理的でしょ?」
「それは…………」
薬の素材を持ち帰るという最優先の目的。
正体不明の危険なゴブリンの討伐。
その両方をより確実に達成するための選択こそが、元騎士でもあるモニクさんの在り方なのかもしれない。
だったら、俺は。
「…………わかりました」
「判断が早くて助かるわ」
モニクさんは小さく笑う。
額には脂汗をかいており、無理をしているのは明らかだった。
「じゃあリリカのこと、頼んだわね?」
そう言い残し、モニクさんは大剣を持ち上げる。
そして重くなった全身を引きずるように、一歩、また一歩と、黒いゴブリンの元へと向かっていった。
俺は振り返り、リリカに声をかける。
「……そういうわけだ。行くぞ」
「えっ」
リリカは状況が理解できないかのように、呆然と立ち尽くしていた。
「モニクさんは残ってあいつと戦う。そのためには俺達がいても足手まといだ」
「でも……」
躊躇いを見せるリリカだが、構わず俺は続けた。
「早くしろ! モニクさんが言ったとおりだ。俺達の本来の目的を忘れるな」
もちろん俺は忘れていたわけじゃない。
――『慈愛の聖女』を連れ去るという目的を。
そもそも俺が『ビラムの森』に来たのは、リリカをひと気のない森の奥深くで相棒と共に拘束し、連れ去るためだ。その計画はモニクさんという想定外により崩されたわけだが――そのモニクさんが、今度はゴブリンの足止めとしてここに残るという展開になってくれた。
何度合図を送っても最後まで出てこなかったヒナタ。
そして薬草を手に入れた直後に登場した黒いゴブリン。
二つの想定外の関連性はともかく、よくない流れになっているのは明らかだ。だからこそ、思わぬ形で訪れた決定的なチャンスを逃すわけにはいかない。
「い、いやです」
しかしリリカはすぐに動こうとしない。
ブンと大きく首を振り、俺の言葉を否定する。
「本来の目的? そんなもの、どうだっていいはずです」
「どうでもよくねえよ。流行病を治すための薬が必要なんだろ? 俺達がリネン草をフレスタに持って帰らなかったら、流行病はどうやって止めるんだ?」
諭すように正論をぶつけてやる。
それでもリリカは頑なだった。
「モニクだって本当は、流行病で苦しいのに無理をしています……それでもわたし達を心配して、助けにきてくれたのですっ。それを見捨てるというのですか!?」
「…………」
へえ。こいつ。
モニクさんに素っ気なかった割に、それくらいはわかってやがるんだな。
「モニクを助けてくださいっ。それがムリでも、なんとかして一緒に逃げるくらいのことはできるはずです……っ!」
「できねえよ。お前、また俺が転移者だからって無茶振りを……」
「そんなの関係ないですっ!」
「…………っ!」
リリカらしからぬ剣幕だった。
その迫力に、俺は思わず押し黙る。
「モニクがどうなってもいいのですか! クズはなんとも思わないのですか!?」
「なんだと?」
「自分がなにもできない転移者だから! だからクズは、モニクを放って逃げても平気だって言うのですか!? そこまでして生き延びることが、転移者の全てなんですか!?」
「それは……」
いままでにない強い感情と純粋な言葉。
まっすぐにぶつけられた俺は――何も返すことができない。
俺の心の内で抱いていたのかもしれない何かを、深く抉られるかのように。
「そんなの、おかしいです! モニクは行き場のない転移者のあなたを受け入れてくれたのに! それなのに、どうして! どうしてなんとも思わないんですか!」
「……ちっ」
言ってくれんじゃねえかよ。
このクソ幼女が……!
「なにをしているのクズ! 早く逃げなさい!」
モニクさんの声。
反射的に俺は振り返り――眼前に迫ったゴブリンを視界に捉える。
「……、」
咄嗟にリリカを突き飛ばし、俺はその反対側に飛ぶ。
――ゴウッ!
先ほどまで俺達がいた場所に、ゴブリンのバールが振り下ろされた。危なかった。モニクさんの声がなければ、二人まとめてやられていたかもしれない。
モニクさんは膝を付いて苦悶の表情でこちらを見ていた。
大きい傷とかは見当たらないが、全身がヌメリのある液体まみれになっている。おそらく唾液だ。ゴブリンに舐め回されたのだ。先ほどもそうだったが、あいつの唾液には相手を麻痺させる効果でもあるのかもしれない。
「――――――」
獲物を仕留め損ねたゴブリンは、黒い瞳を静かに巡らせる。
「ひぅっ……」
リリカが尻もちをつき、恐怖に身を竦ませる。
しかしゴブリンがリリカに顔を向けたのはわずかの間だけこと。
その黒い瞳と全身が、俺の方へと向けられる。どうやら俺を標的と定めたらしい。完全に逃げそびれた。モニクさんの助けも、しばらくは期待できないだろう。
まったく。どうしてこんなことになった。
「――――――」
俺を視界に捉え、黒いゴブリンがバールのようなものを上段に持ち上げる。
あの大剣を振るうモニクさんを、軽々と吹き飛ばした攻撃が。
ギロチンのように軽く命を刈り取ことができるであろう凶器が、いよいよ俺へと。
(とりあえず……生き延びるか)
――振り下ろされる!
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