第21話 聖女(幼女)の足

 マヨネーズ。

 なんか白くてドロッとした酸味の強いソースだ。


 このアストラルドでは見かけたことないけど、俺のいた世界では定番となる調味料の一つだった。料理に合わせるのでなくそれ単体で食べる(飲む?)ことを嗜好とする『マヨラー』なる人種がいるほど人々に愛されていた。


 そこで閃いたのが――最近食べた『聖翼サンド』だ。


 そういえばあの聖翼サンド、ウマいけど味が少し濃いめで何かが足りないと思ってたんだよな。ちょうど酸味みたいな。

 アギがマヨネーズのことを知ったら、どんな反応するだろうか。喜んでマヨネーズを入れて作ってくれそうだし、俺もそれを食べてみたいと思う。


 しかしそれは残念ながら、訪れようのない未来の話だった。

 もう俺がフレスタの教会に帰ることはない。


 俺には『リネン草』とは別の目的があるんだからな。


「さて、そろそろ行こうぜ。だいたいの方向はわかるし、とりあえず俺たちだけでも先に進もう。モニクさんともそのうち合流できるだろ」


 言いながら、俺は右手で黒い頭髪をクシャリとなでつける。

 しばらく待つが――やはり何の反応もない。


 今の状況、実は俺にとっては本来の目的――つまりリリカをさらうための決定的なチャンスだった。

 だから先ほどから何度も合図を送っているのだが、これで姿を現すはずの相棒が、やはりいつまで経っても出てこない。


 さっきヒナタが出てこなかったのは、モニクさんの存在があったからだ。

 それは間違いない、はず。

 だとすれば、モニクさんと離れることが出来た今でもまだ出てこないのは、一体どういうことだ。


 実はヒナタは、最初から俺達についてきてないのか。

 もしくはモニクさんがもう俺達の近くにいるのか。


 あるいは――

 


 なんであれ、今は薬草の探索を続行だ。


「おい、リリカ。なにしてんだよ」

「…………」


 リリカは先ほどから小さい身体をうつむかせて、全く動こうとしない。

 小さい体を縮めて、膝に顔を埋めた姿勢で固まっていた。


「疲れてもう歩けないのか?」

「……っ! ち、ちがいますっ。そんなはずは」

「まったく。仕方の無い奴だな」

「あ……ちょっと」


 これ以上は時間の無駄なので、俺は強引にリリカの体を持ち上げて後ろに背負う。

 いわゆる「おんぶ」の体勢だ。


 ここからはまた二人きりの冒険になる。

 ゴブリンは倒せなくとも、これくらいはしてやらないとな。


「お、おろしてくださいっ。きもちわるい!」

「気持ち悪い!?」


 しかし想定外の反応に俺は愕然となった。

 正直泣きそうになるが、またすぐに耳元でリリカの声が返ってくる。


「で、でも。クズなりに、考えたようですね。いいです。おんぶくらい、させてあげます。あなたもアルバイトとして、少しは活躍しないといけないでしょうし……」

「気を遣ってくれてるんだな。ありがとよ」

「きもちわるいことに関しては、わたしが我慢すればいいだけのことですし……」

「口に出すのも我慢してくれたらなお良かったんだけどな?」


 リリカはごちょごちょ言いながらも、小さい身体を俺の背中に委ねている。

 やっぱり無理してたんだよなあ。口は相変わらず素直じゃないけども。


 あと、ついでに俺も結構疲れているらしかった。さすがにリリカより体力はあるだろうけど、それでもせいぜい一般人レベル。走り回れば疲れもする。

 それに視界がなにやらぼやけてるし、全身、特に指先なんかは痺れていまいち感覚がない。なんか頭もボーっとしてきた――うん? なんだこれ。

 もしかして、ちょっとやばくないか。


 なにか話でもしないと、意識が飛びそうだ。

 だから俺は適当な話題を振ってみることにした。


「なあリリカ。お前はお前で、なんでこの森に来ようと思ったんだ」

「なんですか、いきなり……」

「ゴブリンが怖いくせに、そもそも一緒に来る必要あったのかと思ってな」

「…………、」


 他にも色々と気にはなっていたのだ。

 今さらではあるが、改めて聞いておくのもいいだろう。


「誰も聞いてない布教を毎日のように続けたり、無愛想なりに町の掃除とか炊き出しの手伝いとか教会の色んな仕事をして……大変だとは思わないのか?」

「色々と失礼ですね……」


 リリカの機嫌を損ねるのは、もちろんわかっていた。

 それでも、に触れないわけにはいかなかったのだ。


「お前、まだ十才なんだろ?」


 ふと、炊き出しの時の光景が思い浮かぶ。

 母と幼い娘。

 手を振って見送るリリカ。

 しかし、こいつだって本来なら使徒として働くばかりじゃなく、まだまだあんな風に母親と一緒にいてもいい年頃のはずなんだよな。


 そんなリリカも苦手なものを食べ残しては、母親に怒られていたと言っていた。

 母親と一緒に過ごした時間は、確かにあったはずなのだ。


 しばらくの沈黙。

 そしてリリカは俺の耳元で、ささやくように言った。


「……お母さんみたいな使徒に、なりたいから」

「……な、に?」

「そう、約束したから」


 消え入りそうな、小さい声。

 しかしその言葉には、確かな意思が感じられた気がした。


 ――母親、か。


「クズは」

「ん?」

「……その、お母さんとかは」

「…………」

「元の世界にいたのでしょう。もしかしたら、クズの帰りを待って」

「あー……」


 今度は俺が沈黙を返す番だった。


 母親の顔。

 一つ一つの言葉と思い。一緒に住んだ場所。

 思い出の情景。共に生きた時間。

 

 そして――


「………………、」


 心の内から黒い何かが這いあがってくる。

 思考が混濁する。

 頭がガンガンと痛みを訴えてくる。


「クズ?」

「まあ、その、なんだ……」


 それでも俺は冷汗を浮かべながら、苦々しい笑みをつくる。


「転移者に、元の世界のことを、聞くもんじゃない」

「ど、どうして」

「生々しいからだ」


 言いながら、ふらりと。

 俺は前のめりに倒れた。

 激しく顔を打ちつけ、同じく背中にいたリリカが「ふやっ!?」と声をあげる。


「な、なにをしてるのですか」

「…………」

「えっと。クズ?」

「……悪いな。ちょっと、意識が飛んだみたいだ」


 頬が地面に押しつけられ、土の感触と匂いがダイレクトに伝わってくる。

 皮肉にも倒れて頭を打ったことで、飛びかけていた意識が戻った。

 しかし肝心の体は思うように動きそうにない。


「く、クズ!? どうしたのですか? 顔が真っ青です……!」


 リリカが珍しく取り乱しているのが見える。

 どうやら俺の顔色は相当酷いことになっているらしい。


 思い当たることが一つだけあった。


「さっきゴブリンの爪に切られたみたいでな。一応、気にはしてたんだが」

「え……ま、まさか。わたしを庇った時に……?」

「どうやら運悪く毒にやられたみたいだな」

「毒!? クズ! ねえ、クズ! しっかりしてください!」


 やばい。

 しんどい。

 まじで死にそう。


 ラギがくれたお薬セットに毒消しがあったはずだけど、それを入れたリリカのリュックは先ほど無くしてしまったばかりだ。

 

 今度こそ、本当に詰んだかもな。


 こんなにも呆気なく――終わってしまうなんて。

 うそ、だよな。


 薄れゆく意識。

 うっすらと見える視界。

 どうにか認識できるのは、リリカが慌てた感じで三角座りになってブーツを脱ぎ、続けて靴下までも脱ぎ始めてる姿。


 ――うん? なにしてるんだろう、この子。


 完全に意識を失いかける俺の目の前に、リリカの白く細い足が晒される。

 そして言ってきた。


「舐めてください」

「は?」


 俺はありえなさに目が醒めた。


「たくさん歩いたおかげで汗をかきました。だから、早く足を舐めてください」

「いやいやいやいや」


 いきなり何言ってんの、こいつ。


「俺にそんな趣味は。つうか俺、死にかけてるんですけど。マジでなにしてんの?」

「わたしの汗には、体の異常を治す効果がある……ようです」

「え? なんだって?」

「まだ、色々と……わからないのですが」

「しっかりしろ。俺はもっとわからん」

「足の汗には……毒を癒す効果があることが、わかっています」


 ああ、もしかして例の『慈愛の聖女』としての力ってことか。

 あらゆる体液が癒しの効果を持つとされ、現に唾液が傷を治すところは見た。


 そして汗には、ステータス異常を回復する効能があると。

 そういう、ことなのか?


「……いや、しかしですね」


 だとしても、だ。

 さすがに、ためらいがないわけではない。

 だって――ねえ?


「は、早くしてください。これしか方法がないのですから……」

「……じゃ、じゃあ」


 確かに考えている場合ではないのかもしれない。

 揺れ動く心をどうにか定める。

 そしてリリカの足を前に、両方の目を開いて――


「もしくは、わたしの汗をたくさん含んだ靴下を口に含んで吸うのでも構いません……どっちがいいですか」

「余計な選択肢を増やすな! 上級者か!」


 結局、俺は足を舐めることにした。

 リリカの小さく白い足に顔を近づける。

 視界一面が、全てリリカの白い足となる。何をしているんだとか考えてはいけない。これくらいの距離でないと、舐めることはできないのだから。


 毒と緊張により呼吸は自ずと荒くなる。

 匂いはほとんどない。仄かにハチミツのような甘さを感じる。それがリリカの肌や汗からきているのか、自身のイメージがそうさせているのかはわからない。

 忌避感は消え、むしろ舐めてみたいという衝動にかられるには十分だった。


 ちろっと舌を出す。

 ゆっくりと、その先を足の裏に触れさせる。


「……んっ」


 リリカの声が漏れた。

 びくっと足が震える。

 その反応に躊躇しかけるが、やめるわけにもいかない。


 舌をさらに出す。舐める。足の指先を。

 指の周りを、なぞるように。

 舌先に感触は意外なほどに冷たい、


「……あっ……んん……ん……っ」


 指と指の間に、舌先を這わす。

 ここに汗がたまっていそうだと感じたからだ。


「う、う……んっ」


 俺は舐めた。

 ただただ必死で、リリカの足を舐め続けた。

 口内に唾液が溢れる。リリカの汗が混ざっているであろうそれを喉を鳴らして嚥下すると、言いようのない背徳感が全身を巡ってゆく。


 穢れなき天使に汚らわしい人が触れている。

 舌で。赦されることではない。


 それでも俺は舐めた。

 そこに足があるからだ。


 救いの手があるのなら、たとえそれが足でも人は縋るしかない。

 溺れる者は藁をもつかむ。足くらい舐める。


「~~~~~っ。んっ!」


 その時、ガサガサガサと茂みをかきわけるような音がした。



「リリカ! よかった、無事だったのね。クズは…………あ」



 現れたのは金髪の剣士。

 モニクさんだった。

 最後の「あ」は、リリカの足を俺が舐めるのを見たからだろう。


「……………………」

「……………………」

「……………………」

 

 三人が無言になる。

 なんでこのタイミングで出てくんの?

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