第17話 はじめてのダンジョン

 ダンジョン探索。

 それは魔王がいなくなってからの、冒険者の主な生業の一つだ。アストラルド各地で発見される洞窟や遺跡の類には全て冒険者協会が関与し、ダンジョンとしての認定と攻略難度に応じたランク付けをおこなう。


 ○つ星冒険者だの○級使徒だのアイテムのレア度だの、相変わらずランクを付けるのが好きな世界だと思う。まあ俺が前にいた世界も似たようなものだったけど。


 ともあれ冒険者達は自分のレベルに見合ったダンジョンへと挑み、入手したアイテムを売ったりして生計を立てつつ、経験を重ねていく。

 いずれ『ランクS』、つまり未だどの冒険者も攻略できていない超難関ダンジョンを、自分たちで踏破することを夢見て。


「まあ、この『ビラムの森』のランクはEらしいけどな」


 フレスタの町を出て街道沿いに南へ歩くこと三十分ほど。

 俺達は目的の『ビラムの森』へと辿り着いていた。

 森の中にできた道を、俺とリリカが並んでとぼとぼ歩いている。


「ちなみにランクEの基準は『よほど油断でもしてない限り死ぬことはまずない』程度とされている。一般人でも果実や素材なんかを求めて立ち入るくらいだ」


 そのためか、欝蒼と生い茂る木々の中に人が通れそうな道ができている。ここを二時間ほど歩き続けた先に大きい湖があり、その周辺に目的の『リネン草』が群生しているだろうとのことだ。


「そうですか」


 リリカがすん、と露骨に興味なさそうに言う。


「あなたのような六流冒険者にはピッタリですね……わ、わわっ」


 ――べちゃっ。

 リリカがコケた。


「足元に気をつけろよ。こういう森の中は木の根っこやら石で足場が悪い。奥に進めば進むほど緑が深くなって、視界の方も悪くなってくるだろうしな」

「うう……」

「ランクはどうであれ、ダンジョンに油断は禁物だ。ゴブリンも出るみたいだし」

「へ、へえ。そ、そそ、そうですか」


 立ち上がったリリカは銀髪をかきあげて余裕ぶるが、その左手はさりげなく俺のベルトをぎゅぎゅっと掴んでる。えっ、なに。急にかわいいんだけど。


 ラギも言ってたとおり、本当にゴブリンが怖いんだなこの子。それを指摘したところで「そう見えるのはあなたの知能が低いからです」とか人格否定してくるのが目に見えてるから言わないけども。


 むしろここはダンジョンの経験者として。

 なによりも、一人の年長者として。

 余裕の言葉でもって小さい子供を安心させてやるべきところだろう。


「大丈夫だ。もしゴブリンが俺達の前に出てきたら」

「……は、はい」

「速攻で逃げればいいだけだからな」

「はい……えっ?」


 俺に身を寄せていたリリカがすっと身を引く。

 見たことのない前衛的な形状のパンを見るような目で俺を見た。


「なんだよその反応……そりゃ逃げるだろ。だってゴブリンだぞ?」

「…………、その腰に下げた短剣で戦わないのですか」

「ああ、これはあくまで護身用だ。調子に乗ってこれで戦おうものなら、死ぬ」

「転移者なのに、ですか」

「転移者だからだよ」


 はあ、とリリカはわざとらしいため息をついた。

 そして背中のリュックからごそごそと、小さい瓶を取り出す。


「おお、『魔除けの霊水』じゃねえか」


『魔除けの霊水』

 レア度:F 区分:魔薬 価格:14

 聖なる力を宿す魔薬。魔を退ける力を人々に普及させるために聖翼教が調合し、市場へと流通させた。使用することで弱いモンスターを追い払うことができると言われている。なお、人の顔に向けての使用は絶対にしないこと。


 ラギがくれたお薬セットの中にあったアイテムの一つだ。

 リリカはきゅっぽっと栓を開け、自分の全身へと中の液体を振りまく。液体は青い光の粒子となり、小さい身体をやさしく包み込むようにして消えた。


「これでもうゴブリンに襲われる心配はなりました」

「なるほどな。で、それは本当に効果があるのか?」

「当然です。これは聖翼教が独自に精製した『魔薬』ですから」

「へええ。『魔薬』ねえ」


 魔薬とは素材の調合をする過程で、特定の魔力だか霊力だかを付加させた薬のことだ。聖翼教では女神の奇跡的な力が加えられているんだろう。

 ただ製造過程はどうであれ『魔除けの霊水』はどこの町の道具屋でも安価で買うことのできる大量生産品。ダンジョン攻略における必需品の一つとはされつつも、アホ揃いで定評のある冒険者ですら気休めくらいにしか考えていないのが現実だ。


 まあこいつはまだお子様だから、そのあたりの常識もわからないんだろうなあ。

 俺はニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら、


「ぐへへへ! だったら俺がその効果のほどを試して……ぎゃあああ!」


 両手を怪しい感じに広げてリリカに襲いかかろうとしたら顔に『魔除けの霊水』をぶっかけられた。「目が! 目があああ!」俺は地面をゴロゴロ転げまわる。

 ※ 人の顔に向けての使用は絶対にしないこと。


「なにすんだよクソガキ!」


 人の顔に向けての使用を禁止する『アイテム図鑑』がをこの子が知ってるとは思えない。

 素でやりやがったんだろう。なんて凶暴な子だ!


「……もう。あなたが変なことするから、貴重な一本が無駄になりました」

「とか言ってその貴重な一本を俺のためにも使ってくれたってことだよな! やさしい!」

「ち、ちがっ……」


 その後、俺達は特に何事もなく森を進んだ。

 視界は完全に樹木に囲まれ、空気もだんだんと森特有の湿り気を帯びてくる。しかし『魔除けの霊水』のおかげか、今のところゴブリンには遭遇していない。


「そういや、その『魔除けの霊水』とかもリリカの体から出てきたりするのか?」

「えっ…………」


 俺の何気ない質問にリリカが固まる。

 それだけリリカにとってデリケートな話題なんだろう。


「安心しろって。こんな森の中で他の誰も聞いちゃいないから」

「わ、わかっています……」


 しかしここにいるのは俺達二人のみ。

 そのことを指摘してやると、リリカは躊躇しつつも説明を始めてくれた。


「できない……はずです。わたしが加護を受けているのは『慈愛の天使』ですから」

「慈愛の天使? なんだよそれ」

「女神ラナンシア様に仕える三大天使の一人です。『慈愛の天使アシエル』『祝福の天使シリエル』『救済の天使ワキエル』。これらは同じく聖翼教を象徴する三つの力を示していますが、このうち魔除けの霊水は『祝福』の力によるもの。『祝福』は『施し』を示し、人に対して様々な恩恵をもたらしてくれます」

「ふうん。アシにシリにワキねえ……」


 聖翼教のことはあまり知らなかった俺だが、実はそのあたりの情報――前の世界でいう中二っぽい設定に関しては、ある程度把握していた。


 このアストラルドにおける魔術は『精霊』の力を借りて行使する。

 有名なのは火を司る『サラマンダー』や土を司る『ノーム』などだ。


 そして聖翼教における精霊が『女神』――より厳密に言えば三人の『天使』。

 聖なる属性こそ同じだが『慈愛』は回復系、『祝福』は補助系、『救済』は攻撃系の魔術を専門とするんだとか。

 この分類でいくと、確かに唾液で傷を治す力は『慈愛』に該当しそうだな。


「ようするに慈愛のお前にとっては専門外ってことか」

「はい。『慈愛』が示すのは『癒し』。主に怪我とか病気を治す力です」

「ってことは、お前から出る聖水で今回の流行病も治せたりはしないのか?」


 これはベリウスが来た時の朝食時にも話題に挙がっていたことだ。


「俺は唾液で怪我を治してもらった。けど、他にも色々できるんだろ?」

「……どう、なんでしょう」


 しかしリリカからの反応は、曖昧なものだった。


「わたしの力、まだわかってないことが多いようですから……」

「……そうか」


 あらゆる体液が癒しの効果を持つという触れ込みの『慈愛の聖女』。

 舐めて傷が治るだけでも十分な奇跡だが、それだけだと他にいくらでも代用が効く。

 こいつを聖遺物たらしめているのは――ということか。


 それからしばらくは会話もなく、俺達は森の中をどんどん歩いた。

 リリカも雰囲気に慣れたのか次第に足取りが軽くなっている気がする。きょろきょろと視線も落ち着きがない。初めてのダンジョンがよほど珍しいんだろうか。

 なんというか、こんな楽しそうにしてるリリカ始めて見るぞ。


「おい、ちゃんと前を見て歩けよ」

「わかっています……あっ」


 リリカが急に早足になる。

 どうやら何かを見つけたらしい。


「なんだ。もしかして『リネン草』か!」

「この木、アオムシがたくさんいます。か、かわいい……!」

「か、かわいいか? うねうねして気持ち悪いんだが……」

「あなたの方が断然きもちわるいでしょう」

「俺とは気持ち悪さのベクトルが違うっ! とにかくあんまり離れるなって!」

「大丈夫ですよ。ゴブリンも全然出てきませんし」

「おい、やめろ。フラグを立てるな」

「ふらぐ?」


 その時、ガサガサと木の枝をかきわける音がした――ああ、やっぱり来た。

 そりゃそうだ。たかが道具屋の量産アイテムでモンスターの危険が全くなくなるなら、誰も苦労はしない。冒険者協会だって廃業する。


「リリカ。こっちに来い」

「え……」


 未だ状況を理解せず首を傾げるリリカに、俺は告げた。


「ゴブリンだ」

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