第13話 一級使徒の来訪

「おお、なんという芳醇な! 舌先を通じて心が満たされるのを感じられずにはいられない! これが炊き出しランキング十位の聖翼サンドか!」


 炊き出しを終えた俺達は、談話室で遅めの朝食をとっていた。

 炊き出しの日は教会に仕える使徒達も同じものを朝食にする習慣があるのだという。つまり客用としては完売した『聖翼サンド』も、使徒の朝食になるだけの材料は残されている。

 そこに同席する形で、先ほどの男も『聖翼サンド』にありついているのだった。


「ベロベロベロ……ふむ。フレスタの名産品である小麦を活かしたパン、新鮮な肉や野菜といった具材もさることながら、決め手となるのはこのソースだな。各々の素材の持ち味を引き立てつつ、絶妙に溶け合わせることで至高の一品へと仕上げている」


 男はソースをベロリと舐めあげると、なんか美食家めいたことを言い始めた。


「このソースを調合したのは君……確かアギ君だったか」

「あ、はいっす」

「この刺激ある酸味と後を引くほどに強烈な中毒性。サンベルク地方の沼地だけで収穫できるという『アラクネトマト』を用いているね?」

「おお、よくわかったっすね! まさにそのとおりっす!」

「しかし噛むほどにコクが出る粉末状の舌触り……これは、一体」

「うひひひ。マダラドクロゼミの羽根を粉末状にしたものっす。地中で十年以上の歳月を経て形成された羽根には濃厚な旨みが凝縮されてるっすからね。毒も死骸になって乾燥すれば完全に消えるから、夏の終わる頃に転がってるのを拾い集めては食材に使わせてもらってるっす」

「ほう……! いずれも食材として市場に出回っているものではない。むしろ扱いを誤れば毒になりかねないモノを、料理の素材として使いこなすとはな!」


 男はベロベロベロと舌を這わせて皿に付いたソースを舐めまくる。

 モニクさんが先生と呼び――名はベリウスというらしいが。

 無造作に伸ばされた灰色の髪と、インテリっぽい銀縁の眼鏡。それは聖職者というよりも研究者のような雰囲気だ。顔つきそのものは意外に若く、年齢的には三十半ばくらいだろうか。


 しかしその肩書は『一級使徒』。

 聖翼教の使徒の中でも、最高位であることを示していた。


「クズ。なにを呆けているのですか。スープが冷めてしまいます」

「え? ああ、そうだな」


 テーブルの対面に座るリリカの声に、俺は意識を引き戻される。

 俺も自分の『聖翼サンド』を口に運びつつ食事を再開させた。


「あ……」


 するとリリカが寂しそうに俺を見た。何故。


「なんだよ、その目は。もしかして欲しかったのか?」

「いえ。クズに食べられるパンが、少しだけ可哀想に見えて……」

「知ってるか? パンに心は無いが俺にはちゃんとした心があるんだぞ?」


 ともあれ、俺は食事をとりつつたまにリリカの相手をしながら、意識だけはモニクさん達の会話に向けておく。

 ベリウスという男がどのような人物なのか。

 そのやりとりから、少しでも素性を探るために。




「大変でしたね。ベリウス先生ともあろう方が旅の途中で、空腹で倒れるなど」

「本当に恥ずかしい限りだ。久々に旅の過酷さというものを思い知らされたよ」


 確かに、教会に来た時のベリウスは本気で死にかけていた。

 気持ちはよくわかる。この半年、俺もメシにはどれだけ苦労させられたか。


「まさかイーゼムからここまでお一人で? 騎士の同伴はなかったのですか?」

「もちろん護衛の騎士はいたのだがね。よそ見をして歩いているところを、通りがかりの馬車にはねられてしまったのだ。ちょうど馬車の荷台の上に打ち上げられた騎士は、そのままどことも知れない所に運ばれて行ってしまった」




「ブハァッ!」


 俺は想像して噴いた。

 なんだその騎士! コントか!


「なっ……! き、汚いですねっ。いきなりどうしたのですか!」

「あ。わ、悪い」


 目の前では、リリカがビチョビチョになっていた。

 俺がちょうど口の中に入れていた水を噴いてしまったのだ。


 しかしリリカには悪いが、今はそれどころじゃない。

 一級使徒なる存在が、果たして本当に聖翼サンドごときを理由にイーゼムから三日かけてまでフレスタを訪れるのか。

 

 俺はある種の確信をしていた。

 この男には――まだ何かがあると。




「さて、実は聖翼サンドは建前でね。僕の本来の目的は別にあるんだ」


 ほらな。


「ルドフ司祭が事故によりフレスタを離れて早二ヶ月。一時的な司祭代理として、別の一級使徒の派遣が検討されていたのは知っているね」

「は、はい。まさか、それでベリウス先生が?」


 一級使徒である司祭の不在。

 それはまさにフレスタ教会における危機的状況、その発端だった。


「ああ。フレスタは現在、流行病に悩まされていると聞く。そうなると、僕以上に適任の一級使徒はいないだろう」

「確かに! ベリウス先生は薬学を専門とする『薬師』ですものね!」

「フレスタといえば炊き出しランキング十位の『聖翼サンド』も有名だ。当然、食べてみたい一心で名乗りを上げた一級使徒は他にも大勢いたよ」

「それは光栄です」

「そこで急きょ『フレスタに行くのは俺だ! 討論会』が開催されてね。誰もが『聖翼サンド』への情熱を語る中、流行病と薬師の経歴を武器に他の候補者を論破しまくった僕が、晴れて勝ち残ったというわけさ」




「ゴフゥッ!」


 また噴いた。

 一級使徒、最高位のクセにノリが軽い!


「…………クズ」


 目の前ではリリカがまたビチョビチョになっていた。

 今度は俺の噴いたスープまみれだ。なんかすみませんね。

 ベリウスを囲んでのやりとりは続く。




「いやあ、心強いっすよ。この教会で薬の調合ができるのは、ルドフ司祭だけっしたから。ラギちんも薬師を志してるんすけど、まだ五級っすからね」

「病に対応した薬を新たにつくるとなると、最低でも三級以上の知識と経験が必要となるだろうね。素材も揃えなければならないし」

「そうそう! そういえば聖翼教の使徒で、なんか体から癒しの聖水を出せるとかいう人がいるんすよね!」

「教会の聖遺物の一つ……確か『慈愛の聖女』でしたか。その方の聖水であれば、薬が無くとも流行病くらい簡単に治せるのでしょうか?」

「あ~あ。どこか近くにいないもんすかねえ……『慈愛の聖女』」




「……ぶごふっ!」


 また噴いた。

 ただし今度は俺じゃない。

 リリカの方だ。


「こほっ……こほっこほっ……はあ、はあ、はあ…………」


 平たい胸を苦しそうにどんどん叩くリリカ。

 動揺してる動揺してる。まあ、それも仕方ないよな。

 

 なにを隠そう、なんとこの小さいシスターこそがその『慈愛の聖女』なのだ。

 色々あって俺はその秘密を知ったわけだが、本来は聖翼教の中でも機密中の機密。同じ教会に仕える他の使徒ですら知らないことらしい。


「あっ……ごめんなさい。だいじょうぶですか、クズ」

「…………」


 さて、そんなリリカちゃんが噴いた水で、今度は俺の顔がビチャビチャになったわけだが。

 俺はその水を拭うではなく、むしろ。

 使


「なっ……ななななっ! なにしているのですかっ!?」

「フッ」


 リリカの唾液には、なんと傷を治す効果がある。

 多分、肌荒れとかにも効くはずだ。


「最近、寝不足のせいか肌が荒れててな。せっかくだから有効活用させてもらうぜ?」

「き、きもちわるいっ。きもちわるいですから、今すぐにやめてくださいっ」



「……さきほどから何を遊んでいるの、あなたたちは」



 そんな俺達に、とうとうモニクさんからお声がかかった。


「私達は大事な話をしているの。もう少し静かにできない?」


 しかも軽くキレ気味だ。やばっ。

 ベリウスも反応し、こちらを見てくる。


「漆黒の頭髪……もしかしてそこの少年は転移者かい?」

「そのようです。今は教会のアルバイトとして、私達を助けてくれています」

「教会が一般からアルバイトを募るだと……相変わらず雑だね、モニク君は」


 ベリウスは呆れた顔を浮かべつつ、俺へと視線を向ける。


「ふむ。転移者か。この世界のあちこちで英雄のような活躍をしていると聞くが」

「いや、それあくまで噂です。転移者なんていっても結局はただの人間なんで、その日を生きるのに精いっぱいですよ」

「そうか。しかし女神ラナンシア様は異世界の者であろうとも、変わらずその慈愛と祝福と救済をもたらしてくださるはずだ。がんばるんだぞ」


 続けてベリウスはリリカへと視線をやり、


「……ン! そこの君!」


 驚いたようにガタンと席を立った。


「この聖翼サンドが乗っていた皿! ソースがこびりついて残っているじゃないか!」

「は、はい……? それが、なにか……」


 いきなり迫ってきたベリウスに体を引かせつつ、こわごわと聞くリリカ。


「『サムネの書』の『恵みの章』において女神ラナンシア様はこうおしゃられている。『床に零れたスープがあるのなら、あなたはそれを舐めなさい。たとえ空腹は満たされなくとも、心が満たされるはずだから』とね」

「むしろ心が貧しくなりそうですけど……」

「つべこべ言わず舐めなさい!」

「……っ!」

「でなければ、僕が舐めてしまうぞ!」

「え、ええ…………」


 ベリウスの謎の剣幕に、さすがのリリカも面喰らう。

 なんかソースどころかリリカを舐めそうな勢いだ。

 

 モニクさんはそんな二人を見て穏やかに笑っていた――えっ、なんで?


「さすがベリウス先生ね」

「は?」

「ベリウス先生は薬師として、素材の成分や魔力の質ではなく舌による味や感触から解析するという独自の手法により、これまでの薬学理念を大きく覆したと言われているわ。その多大なる功績から、二十代という若さで一級使徒になったのよ」

「へえ、そうだったんですか」

「先生なら、フレスタの流行病もたちまち消し去ってくれそうね!」


 ともあれ、同じ使徒からの信頼はそこそこ厚いらしい。

 天才と変態は紙一重というし、モニクさんが言うんならまあ大丈夫だろう。


 リリカも観念してぺろぺろと、皿にこびりついたソースを舐めていた。

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