第10話 慈愛の聖女
「あーあ、本当に行っちまったよ……大人しそう見えてマジで容赦の無い子だな」
重い荷物を抱えた俺は、リリカを追うことを早々に諦めた。
その場に座り込んで呼吸を整える。パン一つで空腹が満たされるはずもなく、体力も限界に近かった。教会の場所は覚えたし、あとは一人でも帰れるだろう。
「これ、どこかで売って帰ったら怒られるかな?」
俺は一人呟きながら、『サムネの書』を一冊手にとる。
ポケットからアイテム図鑑を取り出し、一応鑑定してみることにした。
『サムネの書』
レア度:F 区分:書物 価格:-
聖翼教の聖典となる書物。その教義となる教えは聖翼教の女神ラナンシアの言葉を旅人サムネが記し、後世の人々に残した。
「レア度Fか。アイテムとしてはゴミ同然だな。そりゃそうか……」
俺は落胆しつつ、アイテム図鑑に示された情報を消失させる。
図鑑とは言っても本ではなく、薄い板のような形状をした石だ。
なんでもこの石には情報を記録する特性があるらしく、先ほどのような形で必要な情報だけを抽出して見ることもできる。なにやら凄い機能だが、俺のような低ランク冒険者でも当たり前に持てるくらいに広く普及している。
なんというか、見た目も性能も俺が前にいた世界の『スマホ』なんだよな……まあ、それはともかくとして。
ちなみにアイテムのレア度はSからFまで存在する。
アストラルドにおけるあらゆるアイテム(未発見のもの除く)は、その市場価格、希少性、入手難度とかを元にしたランク分けがされているのだ。
例えばこの『サムネの書』。大量生産品であり、聖翼教が世界規模の宗教なこともあってどこでも入手できる。だからアイテムのレア度としては最下位だ。もちろん、女神の教えそのものの価値を否定しているわけではない。
一方、フレスタのパンのレア度は『サムネの書』より一つ高いEだった。たかがパンでもフレスタの特産品であり地域限定になるから、どこでも入手可能な物よりレア度は少しだけ上がるという仕様だ。
まあ、なんにせよリリカの言ったとおりだ。
フレスタの町は都市からは離れてるし、近くにあるダンジョンといえば『ビラムの森』とかいう初心者向けのものだけ。
こんな辺鄙な場所にレア度の高いアイテムなんかあるはずがない。
だからこそ、リリカみたいな秘密を抱えた子が潜むには都合がいいのかもしれないけれど。
――さて、と。
「なあ。あんた。いつまでついてくる気だよ」
あえてこの場に留まって様子をうかがっていた俺は、いつまで経っても出てこようとしないそいつに向けて声をかけた。
ひと気のない通りだ。
しかし建物の陰から一人の男――灰色の軍服を着た長身が姿を見せる。
さきほどパン泥棒を取り押さえていた衛兵の一人だった。
「……気付かれていましたか。意外に鋭いですね」
「一緒にいた幼女に何度も大きい声をあげられたからな」
立ち上がった俺は、軽い調子で肩を竦めながら言う。
「なにせ小さい女の子に声をかけただけで職質されるような世界だって存在するくらいだ。たとえ俺に何も後ろめたいことなかろうと、誰にも見られたくなかったから周りを警戒してたんだよ」
「それは恐ろしい。アストラルドはそこまで歪んでませんから安心するといいですよ。漆黒の髪の『転移者』殿?」
長身の衛兵もまた、おかしそうに眼を細めた。
しかし――雰囲気でわかる。
物腰こそ丁寧だが、この笑顔は見せかけだ。
「それで俺になんの用だよ。パン泥棒を宥めた俺に報酬金でもくれるのか?」
「まさか。その逆ですよ」
言いながら、キィンと。
長身衛兵はその腰から剣を抜き放った。
「……いやいやいやいや。なんでそうなんの?」
俺は慌て気味に手を突き出し、待ったをかける。
「その剣って、あくまで威嚇用に持ってるだけで、普通は抜かないやつだよな?」
「生憎、僕は相棒ほど腕力に自信がありませんでしてね。ですが逆に紳士的ではあるつもりです。素直に連行されてくれたら、彼のような手荒な真似はしませんよ」
「連行て。罪状は?」
「先ほど我々の秩序維持の邪魔をしてくれたでしょう。しかも誇りあるセイバール神栄騎士団の面目というものを、公衆の面前で潰してもくれましたね」
「あーー……そういうノリか」
俺はすっと両手を上げ、降参の意思表示を示した。
内心ゲンナリする。
別に今のような事態になることを全く想定してなかったわけじゃない。
衛兵の言いがかりはともかく、この世界は常に危険と隣り合わせだ。
しかも転移者というだけで、見た目からして普通の奴と違う。
だからこそ。
『漆黒の髪』なんてものを晒しながら、目立つような真似はしたくなかったというのが本当のところだった。
「素直ですねえ。腰に下げた武器で抵抗してくれても構わないのですよ?」
俺の態度が予想と違ったのか、長身の衛兵はどこか残念そうにする。
「セイバール神栄騎士団が誇る我が剣術で、華麗に制圧してご覧にいれますから。なにせこの平和な町では披露する機会が全くありませんでしたからね」
「残念ながらこいつはただの護身用なんだよ」
まったく、どうしてこんなことになった。
一体、誰のせいだ?
「なにせ俺は六流冒険者だからな。訓練を受けた国の正規兵をまともに相手できるほど強いわけでもない」
やれやれと、俺は挙げた右手で黒い髪をクシャリとし――
「だからこういう荒事は相棒にやらせることに決めてるんだよな」
――スシャッ。
衛兵の首筋へと、その背後から剣閃が走る。
「……なっ」
突如の出来事だった
しかし長身の衛兵は驚く間もなく前のめりに崩れ、バタリと地面に倒れ伏した。
「が……があああ……あ……」
首筋の傷は浅い。
それでも衛兵は苦しげに全身をガクガクさせている。
長身衛兵の後ろに立っていたのは小さい少女だった。
ボロ布を纏い、褐色の肌に獣のような耳とシッポを晒している。
――さきほどパンを盗んだ獣人の少女だ。
どうにか首だけを動かし、そいつを見た長身衛兵が驚愕をあらわにする。
「お前は……どうして、ここに……」
「いいから寝てろ」
「ぐハッ!」
即座に俺が衛兵の顔を踏みつけ、完全に黙らせる。
そしてやれやれと首を振りながら不平の声を漏らしてやった。
「まったく。相変わらずお前は詰めが甘いな」
「つめ? ヒナタ、ちゃんと爪じゃなくてこの短剣で切ったよ?」
獣人の少女は不思議そうに首を傾げる。
「しかも毒を塗ってあったんだから苦いはずだし! 甘いわけないじゃん!」
「そうじゃなくてだな。出てくるタイミングが早いんだよ。この衛兵にお前まで見られてどうするんだよ……マジで……」
「え? あ、そっか!」
まあこいつの剣に仕込んだ毒には体の自由と意識を奪い、なおかつ記憶を混濁させるという便利な効果がある。目を覚ます頃には、ここであった全てを忘れていることを願っておこう。
「あと、何なんだよ。さっきのザマは」
「なんのこと?」
「俺が標的のいる教会に接触する。そして確認が取れれば合流し、実行に移す。それまでお前は待機。そういう話になってたはずだよな」
「うん」
「わかってるんならよ……」
俺は心の底からため息を付き、獣人少女――ヒナタを睨んだ。
「……なんでパン盗んでんの、お前?」
「だってお腹が空いたんだもん! しょうがないじゃん!」
「獣人のくせに獣みたいなこと言ってんじゃねえよ」
「な、なにおう!」
だめだこいつ。全く反省していない。
まあ、所詮は獣だ。ここを詰めてもお互い疲れるだけだろう。
「あー、もういい。過ぎたことだ。お前にしては上手く合わせてくれたおかげで、何とかごまかせたし……結果的に上手く事が運んだかもしれないからな」
言いながら、俺は黒い髪をクシャリとする。
俺達の間にある――『口裏を合わせろ』のサインだ。
「可哀そうな獣人を救うという英雄みたいな活躍を前に、単純なガキンチョは感激するあまり簡単に自分の秘密まで打ち明けてくれたよ」
「えっ! ってことは! ってことは!」
俺は地面に積み上げたサムネの書に、どかっと腰を下ろす。
そして一時的に別れていた相棒に向けて得意げに告げた。
「ああ。情報に間違いはなかった。標的は間違いなく『慈愛の聖女』だ」
「ほんとっ!」
獣人少女の耳がぴこんと立つ。
俺はアイテム図鑑を取り出し、必要な情報を浮かび上がらせる。数々のアストラルド文字。しかしアイテムのイメージを示すはずの映像は空白になっている。
『慈愛の聖女』
レア度:SSS 区分:神器/聖遺物 価格:120,000,000
聖翼教が持つ聖遺物の一つ。『慈愛』の天使アシエルの加護を受けし神子であり、その肉体からはあらゆる病を癒す聖水を生み出すとされている。とある罪人により存在を秘匿されていたが、これからは多くの慈愛を人々に分け与えてくれるだろう。
「神々が残した遺産というだけでレア度はSクラス。そこに唯一無二にして正体不明が加わってレア度SSSというところか。はっ。それほどの奴がまさかフレスタなんて町で普通にシスターをやってるとはな」
「あとはげっとするだけだね! 楽勝だあ!」
褐色の細い腕でバンザイして嬉しそうにする獣人少女。
ボロ布がひらりとめくれ、その平らな胸元があらわになる。
その中心にはカラスのような黒い紋様が刻まれていた。
あの場に居合わせた誰もが、思いもしないだろう。
パンを盗もうとして捕まるような、こんな小さい獣人少女が、本当に。
そして、そいつを助けたこの俺までもが。
――『
改めて思う。
リリカ。お前に会えて本当によかったよ。
「さて、あとは実行だ」
「うんっ」
「聖翼教の聖遺物『慈愛の聖女』……『
憐れな転移者の平穏な異世界生活のために。
どうかこの俺に盗まれてくれ。
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