第9話 念願のフレスタパン
「ま、待ってください」
『サムネの書』を抱えて歩く俺を、リリカが慌てた様子で追いかけてくる。
「い、今のはなんですか」
「今のって?」
「と、とぼけないでくださいっ」
「うおっ……と」
リリカは強引に俺の前に回り込むと、結構な至近距離で俺を見上げる。
そして一気に言い放ってきた。
「人は全て罪を抱えている。それは獣人だって同じです。だからわたし達はそのことを気付かせるべく、女神ラナンシア様の教えを人々に伝えようとしています。でもそれは決して簡単ではなく、相手にされないことがほとんどです」
「お、おう。布教の反応があれだもんな」
「それなのに、あなたは暴れていた獣人をあっさり宥めて、しかも罪を認めさせて、懺悔までさせました。そんなの、たとえ一級使徒だってそう簡単にできることではないはずです……それとも、これが」
青い瞳をまっすぐ俺に向けながら。
リリカは声を震わせて言った。
「これが『転移者』の力だというのですか?」
「あー……」
少女の儚げな見た目から発せられる、強い主張。
その思わぬ圧力を前に、俺は言葉に詰まってしまう。
しかし残念ながら検討違いだ。結局のところ、やはりこの子も転移者イコール英雄だという巷のウワサを信じきっているんだろう。勝手な妄想と結び付けてくれるのは結構なことだけれども、俺はそんな大層な存在じゃないんだよな。
だから何度だって言ってやる。
「言っただろ? 俺は確かに転移者だけど、やってることはただの冒険者だって」
「でも!」
「付け加えるならその日暮らしの六流だ。今日食べるパンが何よりも大事ってな」
言いながら、俺は外套の下に隠していたパンを取り出す。
「えっ。そのパンはまさか、先ほどの……」
「言っとくけど盗んだわけじゃないぞ。さっきのパン泥棒が盗み損ねて地面に転がってたやつをこっそり拾っといただけだ」
「き、汚いですね」
「だって勿体ないだろ?」
「盗まれたパンの代金は払う、とも言っていましたね。一文無しのくせに……」
「黙ってろ。さて、念願のフレスタパンのお味を確かめる前に……と」
俺はパンを右手に、残る左手をズボンのポケットに突っ込んだ。
そして取り出したのは手のひらサイズの板のような白い石。
石全体が淡く光ったことを確かめると、フレスタのパンのイメージを送り込むように意識を集中させた。
すると液晶のような白の一面に、ある映像と文字列が浮かび上がる。
映像は見るからにパン。様々な形状のそれがいくつも並んでいる。
そして文字の方は見知らぬはずのアストラルド文字。しかし見ているとだんだん内容を理解することができた。
『フレスタのパン』
レア度:E 区分:料理 価格:1
アストラルドで1、2を争うほど良質な小麦が実るフレスタの名物。
素材だけでなく長年磨き上げられてきた職人の技が、食した者に香ばしい味わいを感じさせてくれるだろう。
「これがフレスタに来て最初に手に入れたアイテムだ。感慨深いものがあるな……」
「なんですか、それは」
白い石が映す情報を見ながらフレスタパンの感動に浸っていると、リリカがじとっとした目を向けていることに気付いた。
「アイテム図鑑だよ。この世界に存在するあらゆるアイテムの情報が記録されていて、まずこれ自体が冒険者にとって必須のアイテムだな」
さて、冒険者にとっては定石とも言える「入手アイテムの鑑定」は終わった。
いよいよ念願のパンを食べさせてもらおうとしよう。
顔を近付けただけで鼻腔をくすぐってくる香ばしい匂い。
俺は食欲の赴くままに口を開けようとし、
「いてっ」
痺れるような痛みに襲われた。
そしてすぐに痛みの正体に思い当たる。
ついさっき、パン泥棒を相手にした時にできた傷だ。
「ったく、あの獣人め……よりにもよって口のとこ切りやがって」
「だ、大丈夫ですか」
俺は大丈夫だと返そうとし――やめることにする。
最初にこの子と会った時も、似たようなシチュエーションがあったことを思い出したからだ。
「別に。これくらい唾でもつけとけばすぐ治るよ」
「そ、そうですか……」
「ああ」
「…………」
「…………」
「…………」
二人の間に微妙な沈黙が生まれる。
思わず俺は言った。
「って、あれ? 舐めてくれないのか?」
「な、なめるわけないでしょう。きもちわるい顔してきもちわるいことを言わないでくださいっ」
「顔は関係ねえだろ!」
「でも、そうですね…………」
リリカは細い人差し指をちろりと口に含む。
そして――ぴとっ。
湿らせた指先を、俺の傷口に優しくあてた。
「さっきの働きだけは……少しだけ、認めてあげなくもない……ですけど」
リリカが顔を伏せてぼそぼそと言う。
銀色の髪に隠れた表情こそ見えないが、その頬はわずかに赤みをおびていた。
「お、おう……それはなによりだ」
その仕草に何故か少しだけ動揺する気持ちを抑えつつ、俺は指先で触れられた部分を指でなぞる。
――傷口が完全に消えて無くなっていた。
まるで最初からなにも無かったかのように。
あの時と全く同じ現象だ。
「なあ」
「な、なんですか」
「なんですかじゃねえよ。これで二回目だぜ。一体どういう奇跡だこれは?」
「…………っ」
俺からの追及に、リリカはびくんと体を跳ね上げる。
しかし俺は黙ったままリリカの反応を待つ。
リリカも逃げる気は無いらしく、どこか後ろめたそうに虚空を見る。
「……こういう体質、です」
周りはひと気の無い裏通りだが、それでもよほど聞かれたくないことなのか。
声のトーンを落としながら、リリカはゆっくりと話し始める。
「わたしの体からは癒しの聖水が分泌されるとかで……その中でも唾液には、人の傷を治す効果があるようですね」
「癒しの聖水……な、なんだよそれ」
「だ、誰にも言わないでください。これは本当は誰にも知られたらいけないことで……教会でも、モニクだって知らないことですから」
必死な様子のリリカに、俺も真剣に問う。
「……知られたら、何か困ることでもあるのか?」
「ね、狙われるからって」
「狙われる? 誰にだよ」
「『
「…………、」
ついさっきも、軽く話題に挙がったが。
『
「なるほどな。唾液で傷を癒す少女か。確かにそんな奴が実在するんなら、手に入れようとする『
「だから誰にも知られたらいけないと、ルドフ司祭が……」
「ああ、フレスタ教会の一番偉い人で、確かゴブリンに襲われたんだったな」
「は、はい……わたしのこと、ルドフ司祭だけが知っていました……」
リリカが翼十字のペンダントをぎゅっと握る。
しかしその手は、かたかたと小刻みに震えていた。
その小さい胸に秘められた、不安や恐怖の感情を表すかのように。
一方で、だからこそ。
そんな自分の秘密を他の誰かに打ち明けたかったのかもしれない。
俺は皮肉を交えて言ってやった。
「おいおい。そんな大事な秘密、俺なんかに話しても良かったのかよ」
「えっ……あっ……!」
俺からの言葉に、リリカがハッと顔をあげる。
さらに俺は意地の悪い笑みを浮かべながら、
「転移者にどんな妄想を抱いてるか知らねえが、俺はその日暮らしの六流冒険者だ。大金欲しさに、その『
「……ふ、ふん」
リリカはプイッと俺から視線を逸らす。
「最低な発想ですね。したければ、好きにするといいです……」
そしてすぐに背中を向けると、苛立たしげにすたすたと歩いていってしまった。
俺は後を追いながら、声をかける。
「ありがとな、リリカ」
「は、はあ?」
「だってお前、そんな大事な秘密がバレるのも構わずに、俺の傷を二回も治してくれたわけだろ? そんなお前にとても似合う、優しい力じゃねえかよ」
「やっ、やさ……。き、きもちわるいことを言わないでください」
相変わらず酷い言いようだが、いつもほどキツい感じがしないのは気のせいか。
前を歩くリリカの顔は見えないので、その表情をうかがうこともできない。
だから俺は構わず続ける。
「安心してくれ。お前の秘密のことは、絶対に誰にも言わない。傷を治してもらった恩があるし、何より大事なバイト仲間なんだからな」
「わたしはアルバイトと違いますが……」
「リリカと出会えて本当によかったよ。お前のおかげで俺の異世界生活も安泰だ」
「~~~~!」
リリカは何も言わず、すたすたすたすたすたと足を早める。
さっきの二倍くらい速い。
俺もすたすたすたすたすたと二倍の速度でその後を追う。
「ひっ、きもちわるい……一体どこまでついてくるのですか」
「うん? 教会に決まってるじゃねえか。俺の寝床まで面倒見てくれるらしいんでな」
「……そ、そうなのですか? モニクは本当に甘いですね……」
リリカが呆れたように言う。
割と本気で嫌そうにも聞こえるが、気のせいだと信じておこう。
「ということで、これからもよろしくな」
「いつまでも居座られても困りますけどっ。ええと、あなたには相棒……がいるのでしたね。早くその人と再会して、さっさと出て行ってほしいです」
「つれないこと言うなよ。これから同じ教会で寝食を共にする仲間だろ?」
「寝たり食べたりするヒマがあるなら『サムネの書』を読んでください」
「おい、待てよ。俺、その『サムネの書』を二十五冊も抱えてんだぞ。もう少しゆっくり歩いてくれ……」
「いやです」
リリカはさらに速度を上げ、一気に遠ざかっていく。
俺はやれやれとため息を吐き、その背中を見送るしかないのだった。
――間違いない。やっぱり、あの子は……
フレスタのパンどころではない確かな成果を、まだ胸の内に隠しておきながら。
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