第2話 女神の奇跡( )
教会の大部分を占める礼拝堂。
木の匂いと神秘的な雰囲気は、前の世界にもあったそれと同じだ。
とはいっても俺が教会に特別な縁があったわけではない。家族が信心深かったわけでもなければ、俺がミッション系の学校に通っていたわけでもない。
それでも、どこか懐かしさのようなものを感じるのだ。
もしかしたら俺は、心のどこかで救いを求めているのかもしれない。
懺悔の言葉を、誰かに向けて紡ぎたいのかもしれない。
ここにいるだけで、あらゆる罪が赦されてしまうような。
そんな優しい空気が、この場所にはある気がした。
――まあ最初に会った幼女シスターのせいで雰囲気ブチ壊されたけどな。
そして今。
礼拝堂の一番奥にあたる、祭壇のようになったところでは。
聖翼教の象徴である『翼を纏う十字架』を背にして、モニクさんが立っていた。
その足元には、一人の戦士が死んだように横たわっている。
「ラーダ! ラーダあ! 目を覚ましてよぉ!」
周りにいる三人は、そんな彼と同じパーティの仲間だろう。
魔法使いらしき格好をした少女が涙を流しながら戦士の名前を必死に呼びかけていた。狩人らしき少年と武道家らしき少女も、心配そうにその様子を見つめている。
「うひひひ。若そうなパーティっすねクズちん」
「……ああ、そうだな」
俺はアギと一緒に礼拝堂の端に並び、その様子を眺めていた。
ちなみにクズちんというのは俺のことらしい。
シスターにしてはやけの軽いノリの少女が、ここに来たばかりで何もわからない俺に説明してくれる。
「雰囲気からして、まだ一つ星の駆け出し冒険者って感じっすね。フレスタには冒険者ギルドはないんすけど、近くに『ビラムの森』っていう初心者向けのダンジョンがあるんす。で、攻略を目的とした冒険者パーティがたまに来るんすよ」
「なるほどな……」
それでダンジョンに挑んだ結果、見事返り討ちにあったということだろう。
装備を揃えてパーティを組むことで変に強気になる。
ノリと勢いでダンジョンに挑戦して玉砕する。
経験の浅い冒険者にはありがちなパターンだ。
「正直アホとしか思えないな。ぶっちゃけどうなろうと自業自得だろ」
思わず口に出してしまった。
しかし意外にもアギは「っすね~」と同調してくる。
「うひひひ。なんか必死過ぎてウケるっす」
「ゴブリンに半殺しにされるとか、体を張ったギャグにしか思えないよな」
「今度は教会を舞台にしたコントでも始まりそうっすね」
「四人という多めの配役をどう活かすか……目が離せないぞ、これは」
悲壮感を漂わす冒険者達をネタにして盛り上がる俺とアギ。
なんかこの子、結構ノリが合うかもしれない。
いやシスターとしてはマジでどうかと思うけどな?
一方、同じく聖翼教のシスタ―であるモニクさんは、そんな未熟な冒険者達に対しても優しかった。
「大丈夫ですよ。女神ラナンシア様は救いを求めて訪れた者を、決して見捨てたりはしません。だから泣かないで? ね?」
「うう……はい。ラーダを、お願いします……どうか、どうか」
その姿は、若い冒険者達にとっては、本当に救いの女神のように映っていることだろう。
「女神ラナンシアよ」
やがてモニクさんが静謐な雰囲気を纏い始める。
これから起こそうとしているんだろう。
――いわゆる『女神の奇跡』と呼ばれるものを。
アストラルドでは、魔法のような不思議な力が実在する。
例えば火を放ったり、風を起こしたり、大地を揺るがすほどの自然現象。
それは『魔術』と呼ばれ、『精霊』との契約を経れば誰でも扱うことができる。
もちろん魔術書を読んだり専門の学院に通うなりの勉強や訓練は必須だし、人それぞれの資質に差はあるらしいけども。
そして聖翼教の『精霊』に該当するのが『女神』とされる存在だ。
特に怪我や病気などの治療を得意としており、その需要の高さと組織自体の規模も相まってだいたいの町に支部となる教会が置かれている。特に命の危険すら伴う冒険者達は、聖翼教の力を頼り、こうして教会を訪れる。
前の世界で俺がやってたゲームみたいなんだよな。こういうところも。
ともあれ、今は目の前で起ころうとしている『女神の奇跡』に集中しよう。
「敬虔なる使徒の祈りに応え、その慈悲を分け与えください」
ゆっくりとした動作で、モニクさんは右手を天に向けて掲げる。
『女神の奇跡』を起こすための儀式的ななにかだろう。
三人の冒険者も、祈るような視線でその様子を見守り始めた。
「傷つきし勇敢なる戦士に、魂の救済を!」
天に向けて開かれた手がゆっくりと握りしめられる。
そして――
「ラナンシアパンチ!」
ドグシュウゥゥ!
天に向けて掲げていた拳が倒れた戦士の腹に振り下ろされた。
(殴った!)
え?
思わず目を疑う。
確かに今、殴った……よな?
――マジで?
礼拝堂が白けたような静寂に塗り替えられる。
倒れた戦士からの反応はない。
仲間の三人は並んでポカーンとしている。
ただ一人、モニクさんだけ真剣な表情で、
「ラナンシアパンチ!」
ゴスウとまた殴った。
「パンチ! パンチ! ラナンシアパンチ!」
ゴスゴスゴスッ!
ゴスッ!
ドゴォッ!
「ラナンシアァァァ………………」
モニクさんは上体を低くし、腰あたりに拳を構える。
そしてコォォォォォと息を深く吐いて螺旋を描くように体を回転させながら、
「パンチィッ!!」
――ドグシュウゥゥゥゥゥゥゥゥゥ…………ッ!
全体重を乗せた渾身の拳が振り下ろされた。
戦士が「ゴボオ!?」と声をあげた。鳩尾を抑えながら「えげ! おごげぇぇぇ」と転げ回っている。死ぬほど苦しそうだ。
「ふふっ。どうやら、お目覚めのようですね?」
モニクさんは慈愛が満ちた声で言う。
「ちょっと! ラーダになにすんのさ!」
魔法使いの子が叫んだ。
「女神の奇跡です」
モニクさんが荘厳な声で告げる。
ハンドパワーです、みたいな言い方だった。
「なにそれ! ただ殴っただけじゃん!」
なおも食い下がる魔法使い。
他の二人も「そうだそうだ!」と主体性の無いモブみたいに便乗する。
「女神の奇跡です」
しかしモニクさんから改めてそう押し切られた三人は、
「え」
「あ」
「はい」
と揃って頷いた。
そんな三人をモニクさんは優しげに見つめると、聖母のような雰囲気を纏わせながら口を開く。
「では240ゼルのご寄附をお願いしますね?」
「高っ!」
若いパーティは半泣きで何枚かの硬貨を支払う。
ちなみに240ゼルといえば結構な金額だ。
夕食と朝食付きの平均的な宿屋だと四人パーティでも一週間は寝泊まりできるだろう。駆け出し冒険者パーティにとって相当キツいはず。
冒険者達は意識を取り戻したばかりの戦士をズルズル引きづりながら、ふらふらした足取りで教会を去っていく。
自らの無知と無謀が生んだ結果とはいえ、駆け出しの冒険者にとっては手痛い授業料となっただろう。彼らの今後の活躍を、心の内で密かに祈っておくことにしよう。
――バタン。
教会の扉が閉じられる。
それを確認すると、モニクさんが「ふう」と吐息を漏らした。
「なんとかごまかせましたね」
「えっ! ごまかしたんですか!」
俺は思わず声をあげた。
モニクさんは気まずそうにサッと視線をそらすと、ちょっとだけ恥ずかしそうに言った。
「クズ達がコントとか言うから。思わず乗っかってしまいました。えへへ……」
「あっ、聞こえてたんですねすみません」
子供みたいに可愛らしく笑うモニクさん。大人びた雰囲気から一転したその表情は多分魅力的なんだろうけど、でも今その表情されてもな。
もしかしてこの人、結構ヤバい人なのでは。
なんであれ、とんでもない女神の奇跡(物理)を見せられてしまった。
そういえばアルバイトの面接中だったけど、ちょっと不安になってきたぞ。
大丈夫か、この教会。
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