第一章(上) 転移者と教会
第1話 過酷な異世界生活
「聖歴二七一年。長きにわたりアストラルドを支配し続けてきた魔王ウェギル・ロアは、伝説の勇者とその仲間達により倒されました。こうして、この世界に平和とされる日々がもたらされたのです」
辺境の町『フレスタ』。
その中央にある噴水広場。
ここから見渡せる町の光景は、まさに平和そのものだった。
広場を交差する大通りにはたくさんの店が立ち並び、ちょうどお昼時ということもあって多くの人が行き交っている。親子連れや老夫婦、休憩中の若者といった様々な町の住民達が、大都市にも負けない活気を演出している。
「しかし、果たしてこの世界は本当に平和と呼べるのでしょうか。一部の国では未だに争いが続いており、『
心地良いそよ風が運んでくるのは、香ばしいパンの匂い。
フレスタでは質のいい麦が豊富に実り、昔から多くのパン職人が競うように店を構え始めたという歴史があるらしい。サンドイッチやホットドッグの露店も多く、人気の店には長い行列ができている。
「悪の象徴である魔王がいなくなったことを、平和と錯覚しているだけに過ぎないのです。人は誰しも自らの欲望のために、あるいは無意識に、互いを傷つけ合い、悲しみの連鎖を引き起こします……人は全て『罪深き存在』なのですから」
広場の中央にある噴水が、陽光を受けてきらきらと輝く。
噴水の周りに並べられたベンチにはたくさんの人が腰掛け、昼食のサンドを食しながら歓談に花を咲かせている。
そんな平和な光景を祝福するかのように、弦楽器を携えた詩人が故郷の歌を歌い、小太りで愛嬌のある大道芸人がとっておきの芸を披露する。
「自らが抱える罪を識りなさい。そして、懺悔するのです」
また、女神の教えを説くシスターの姿もある。
見たところ十才程度。まだまだ子供だ。
しかし黒を基調としたシスター服と銀糸のような髪、そして人形のように整った顔立ちは、まさに女神の使い――天使と形容するにふさわしい。
唯一の欠点ともいえる背の低さを補うように、その足元では一人の男が四つん這いになり、踏み台として幼いシスターを支えている。
「女神ラナンシア様は、あらゆる罪をお赦しになられることでしょう。さあ、隣人と手を取り合い、互いの罪を打ち明け、自らを省み、赦し合いなさい。一人一人のそんな想いこそが、世界を本当の平和へと導いてゆくのです」
幼いシスターが「ふぅ」と息をつく。
どうやら演説が一段落ついたらしい。
同時に、周りからの声がはっきり聞こえるようになった。
「なんか小さい女の子の踏み台になってる奴がいる」「変態か?」「春には少し早いが」「黒い髪……まさか転移者かよ」「彼らがいた世界の風習なのでは」「聖翼教特有の苦行に20ゼル」「いやむしろご褒美だろあれ」「俺も! 俺も踏まれたい!」
どちらかというと、幼いシスターよりも踏み台の男の方が注目を浴びていた。
つまり俺だ。
「……………………」
別に?
バイトしてるだけですけど?
……こうなるに至った経緯を、少しだけ振り返ってみよう。
半年ほど前、俺は色々あって異世界に転移した。
異世界『アストラルド』。
剣と魔法が普通に存在するようなベッタベタのファンタジー世界で、かつては魔王と勇者なんてのも本当にいたらしい。それは俺が前にいた世界で読んでいた『漫画』や『ラノベ』の世界そのものであり、俺は色んな意味で面食らったものだった。
さて、そんな幻想的で非現実的な世界に飛ばされて半年ほど。
俺は極めて現実的な問題に悩まされていた。
「家がない。金がない。食うものもない。意外としんどいですよ。『転移者』なんて大層に呼ばれてますけど、ようは身寄りのない無職ですからね? 基本、常にその日暮らしの生活を強いられてるわけです」
「はあ……」
「まったく。勝手に転移させられた挙げ句、使命とか目的が与えられるわけでもない。完全な放置状態ですわ。ひどくないですか? 本当やめてほしいんですけど」
「心中、お察しします」
異世界に転移させられたことの愚痴を延々と語る俺。
場所はフレスタの教会、その中にある談話室という部屋だ。
八人ほどが座れそうな大きいテーブルが真ん中に置かれ、台所のようになった水場もある。この教会で働く人達が食事や休憩をする場所なんだろう。
「大変なんですね、転移者の方も」
で、そのテーブルの向かいで俺の話を聞いてくれているのは、一人のシスターだ。
名はモニクさんというらしい。
金色の長い髪と、聖母みたいに穏やかな表情。
大人びた雰囲気だが見た目は若く、おそらく二十歳に届くかどうかくらいだろう。
「まさか転移して半年もの間、ずっとその日暮らしの生活を?」
「ああ、いえ。一応、俺のことを拾ってくれた人たちはいました。そこで……なんというか、まあ、何かと面倒を見てもらってはいたんですけどね」
俺は遠い目で苦笑を浮かべながら、
「でも、急に追い出されるみたいになっちゃいまして。似たような境遇の相棒と一緒に冒険者稼業をしながらどうにか今まで生きてきたんですけど……ついに金が尽きて、よくわからないうちに相棒ともはぐれちゃって、俺だけがなんとかフレスタに辿り着いたんです」
「それは……お気の毒に」
そこで俺は、初対面の人を相手に愚痴っぽくなり過ぎていたことに気付く。
急に恥ずかしくなり、モニクさんに向けて頭を下げた。
「す、すみません、なんか愚痴ばっかり。こんなの聞かされても迷惑ですよね」
「いえ、構いませんよ」
それでもモニクさんは、ただ優しい笑みを返してくれた。
「教会を頼って訪れた方の言葉を聞くのは、女神ラナンシア様に仕える使徒の務めでもあります。私なんかでよければ、またいつでも話を聞かせてくださいね?」
「し、シスターさん……」
泣きそうになった。
や、優しい。癒される。
これが本物のシスターか!
「クズ」
「クズ!?」
と思ってたらいきなり蔑まれた!
なんで!?
「でいいんですよね」
「……へ?」
「リリカから、そう聞いたのですが」
「あ、そういうこと……ええと、はい。確かにクズですね」
リリカというのは、俺が最初に会ったあの小さいシスターの名前らしい。
シスターのクセに幼女で、天使みたいな容姿のクセに初対面の俺に人権侵害レベルの罵倒を延々と繰り返してきたガキンチョだ。
結局、あいつのせいでクズが俺の名前として定着してしまったのだ。
「リリカには何か失礼なことを言われませんでしたか?」
「めっちゃ言われました。なんなんですかあのクッソ失礼な幼女……ハッ!?」
つい素になってしまった俺に、モニクさんは困ったような笑みを浮かべる。
「『人は誰もが罪を抱えています。それを互いに明かし、赦し合いなさい』」
そして、そんなことを言った。
「聖翼教の最も基本となる教えです。あの子はあの子なりに、聖翼教の教えを守ろうとしているだけなんです」
「ええと、つまり」
「あの子、最初の『人は誰もが罪を抱えている』のところで思考停止していましてね。相手を最初から罪人と決めつけて、辛辣な言いがかりをつける癖があるんです」
なんだそのろくでもないシスターは。
「なんですかそのろくでもないシスターは……ハッ!?」
つい口に出してまった俺に、モニクさんはまた優しい笑顔を向けてくれた。
「ですが、根は優しい子なんです。どうか、あの子のことを赦してあげてください」
「いえ、別に怒っているわけでは……子供の言うことですし」
「まずは知ってもらわなければなりませんね。聖翼教のこと。そして私たちと、このフレスタ教会のことを。ここで働いていただく上では必要なことでしょうから」
「は、はい」
確かに俺は、バイトさせて欲しいなどと言っておきながら聖翼教のことをほとんど知らない。
転移して半年――聖翼教とは、無縁な日々を送っていたから。
「たたた! 大変っす~! モニクさ~ん!」
その時、騒がしい声と共にドタドタという足音が近づいてきた。
バターン!
勢いよく扉が開かれ、一人の修道服姿の少女が入ってくる。
「あっ! 噂のアルバイトさんっすね。どもっす」
俺と目が合うや、ビシッと手を挙げてきた。
「うひひひ。うちは五級使徒のアギっす! よろしくお願いするっす~」
「あ、ああ。よろしくお願いします……」
やけにノリの軽いシスターだった。
左右に束ねたブラウンの髪が落ち着きなく揺れている。
無邪気な子供という感じで、年はリリカより少し上くらいだろうか。
「アギ。なにか大変なことがあったのでは?」
「そうそう、さっき冒険者のパーティが来たんすよ。そんで、一人がなんか死にかけてます。『ビラムの森』を探索してたらゴブリンの集団に半殺しにされたみたいで」
どうやら冒険者が教会を頼って訪れたらしい。
というか、軽いノリで言ってる割にヤバそうな状況だな?
「意識は?」
「ないっすね。熱湯をかけたり金槌で叩いたりもしてみたんすけど、全く反応ナシ。このままだと魂がどこかに行っちゃって、完全に死んじゃうかもしんないっすね~」
死にかけた冒険者にすることかな?
軽く引きかける俺だが、モニクさんは至って冷静だった。
「そうですか……わかりました。すぐに向かいます」
「え、でも、大丈夫なんすか?」
「……女神ラナンシア様を頼って訪れた者を、放っておくわけにもいきませんから」
モニクさんは深刻そうに談話室を出ていってしまう。
一応バイトの面接中だったのだが、どうやら思わぬハプニングがあったらしい。
一人ここに残ってても仕方ないので、俺も後を追うことにする。
俺がまだよく知らない聖翼教と教会。
せっかくの機会だ。この目で確かめさせてもらうことにしよう。
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