その日暮らしの転移者、幼女シスターの聖水で生き延びる
黒衛
プロローグ
「あなたは自分の罪を意識したことがありますか」
とある町の教会。
なんとなく適当に祈ってた俺は、一人のシスターに声をかけられた。
とはいっても小さい。十才くらいか?
黒を基調とした修道服を小さな身に纏わせる、儚げな雰囲気の少女だ。
首に吊るされた十字架のペンダントだけが控えめに輝きを添えている。
ただ青い瞳は強い光を宿しており、よく見れば人形のように整った顔立ちをしていた。透き通るような銀色の髪は神秘的ですらある。
まさに天使みたいな、とんでもなく可愛い幼女だった。
「もしかして、あなたは冒険者ですか」
「……ああ、まあな」
アクアマリンみたいに青く澄んだ瞳に、俺の姿が映る。
とりたてて特徴のない旅装束の上に茶色い外套を羽織り、腰には小さいウエストポーチと二本の短剣。
確かに、普通の人ではなく冒険者寄りの風貌だ。
だから幼女は、俺のことをそう判断――
「きもちわる……」
「えっ」
「ゲスな冒険者と聞いたら、百人中九十九人があなたをイメージしそう」
「…………」
なんか、とんでもないことを言われた気がするんだが。
聞き間違いかな?
幼女は続けて言う。
「どうせ何のクエストもこなさず一日中安酒を呷りながらお店のお姉さんのお尻を触ったり新しい武器を手に入れたらカスゴブリン相手に一人でオーバーキル無双して遊んだりダンジョンの奥でパーティが全滅しそうな時に自分だけ脱出アイテムを使って逃げたりしてきたんでしょう」
「なっ……!」
やっぱり聞き間違いじゃなかった!
大人しそうな雰囲気しといて、口から出て来たのは結構な言いがかりだった――いや、なんでだよ。
さすがに俺は言い返した。
「なんだよそれ。どうしてそう思ったの?」
「見ればわかります。そのいまいちパッとしない顔とか貧相な服装とか陰湿そうなオーラが、あなたがいがに罪深い存在かをこれ以上なくアピールしています」
迷いなく速攻でディスってくる。
俺に向けられるのは、パンに生えたカビを見るみたいな目だ。
「わかったら懺悔してください。それくらいできるでしょう」
「えっ、いや、懺悔?」
「もう、そういうのはいいです。『なっ』とか『えっ』とかいちいち小者っぽいリアクションしてないでさっさと懺悔してください。あなたみたいなクズに張れる意地なんてこれっぽっちも無いのですから、時間の無駄です。本当にきもちわるいですね」
「ク、クズ……だと……?」
「ほら、はやく。さっさと罪を認めないと、あなたもゴブリンに――」
「ちょっとタンマ」
俺は咄嗟に幼女の顔に手をかざして待ったをかけた。「た、たんま?」と首を傾げる幼女をひとまず置いて、冷静に、改めて今の状況を整理してみる。
まず、ここは教会だ。
木製の長椅子がいくつも並べられた礼拝堂っぽい内装はいかにもそれだし、一番奥の祭壇に掲げられた『翼を纏う十字架』は、この世界『アストラルド』で最も広く根付いた宗教である『聖翼教』の象徴。ここまでは間違いない。
で、問題は目の前にいるシスターだ。
どう見ても幼女だ。
オネショは卒業してもまだ夜一人でのオシッコは怖くてとても行けなさそうなくらいの幼女だ。しかし聖翼教の教会の中でシスターっぽい格好をしている以上、こいつが聖翼教のシスターであることも間違いないのだろう。
じゃあなんで俺は初対面のシスターにいきなり罵倒されてんの、という話だ。
シスターって、もっとこう、悩める人に優しく神の教えを説いたりするものなんじゃないの?
とはいえ、それでもこいつは幼女だ。
シスターである前に一人の小さい女の子なのだ。
ならばやはりここは、俺の方が大人の対応を――
「……あの、そこ。血が出ています」
「えっ」
そんなことを考えてたら、幼女が控えめに何かを指摘してきた。
気が付けば、待ったをかけた俺の手の指先からじわりと血が滲んでいる。
「本当だ。いつの間に切ったんだろ?」
「……椅子のささくれで切ってしまったのかもしれません」
「ああ、なるほどな」
礼拝堂に並ぶ木製の長椅子はいずれも老朽化が激しいらしく、表面の痛みも目立つ。思えば外観からしてボロそうだったし、古い教会なんだろう。
「……大丈夫ですか」
「ん? ああ、別に大丈夫だよこれくらい」
「ほ、本当ですか。痛くないですか」
「大丈夫だって」
なんだ、急にどうしたんだこの子。
さっきまで全力で俺の人格否定してたのに、なんか急に寄り添い始めたぞ。
「もしかして、心配してくれてるのか?」
「な……っ。そ、そんなわけないでしょう」
俺の何気ない一言に、幼女は明らかな動揺を見せた。
「なに慌ててんだよ。本当に心配してたように見えるぞ?」
「そう見えるのはあなたの頭が悪いからです。たとえあなたが謂れのない罪を着せられて十枚のギロチンで指を十本同時に切断されてわたしの目の前で痛みに泣き叫んでいようとも、聖翼教の使徒であるわたしがあなたなんかを心配する理由はどこにも」
「それはさすがに心配しろよ! シスターなんだろ!?」
「教会にそんなサービスはありません。厚かましい人ですね。とにかく怪我をしているなら、今は平気でも菌が入るといけないのですぐに手当をしましょう」
「もうわけわかんねえよお前! とにかく大丈夫だって! これくらいの傷、唾でもつけとけば治るから!」
「……! そ、そうでしたね」
――はむっ。
突然の行為だった。
幼女の小さい口が、俺の指先を包み込む。
「な……っ!」
何の前触れもなく、いきなり幼女にくわえられた俺の指先。
ちろちろと幼女の舌先が這う感触に、思わず全身がぞくりとなる。
少しすると俺の指を解放し、「んっ……」とわずかに乱れた銀髪を整える幼女。
それは幼女らしからぬ、妙に艶のある声と仕草だった。
「……いやいや、いきなり何してんのお前。唾をつけたら治るというのはだな、俺の故郷の言葉であって。本当に治るわけでは……」
俺は呆れ気味に幼女に舐められた指先をチラ見し、
「って治ってる!? 嘘ぉ!」
思わず叫んだ。
ただ血を舐めとられたというだけじゃない。
傷そのものが、最初から何もなかったみたいに完全に消えて無くなっている。
「唾をつけたら傷が治った! なにこれ!」
「ち、ちがいます」
幼女は慌て気味に否定する。
「わたしの唾のせいではないです」
「じゃあなんだってんだよ!」
「ポーションです」
「はあ!?」
「実はあらかじめ傷を癒すポーションを口の中に入れてからあなたの指を舐めました。傷が治ったのは、わたしの唾のせいではなくポーションのおかげです」
「なんで傷口に直接かけずにわざわざ口に入れてから舐めるんだよ! 淫乱か!」
「そ、それはあなたが唾をつけたら治るとか、変なことを言うからです。だいたい故郷ってどこですか。そんな言葉、聞いたことないです」
「異世界だよ!」
「えっ」
――しまった。
アチャーと顔を覆う俺。しかしもう手遅れだ。
「……ど、どういうことですか。い、異世界?」
当然のように幼女からのツッコミが入る。
まあ、別に隠すことでもないか。
静謐な空気が支配する教会で、俺はまるで神に懺悔するかのように告げる。
「俺は転移者なんだよ」
「えっ……ええ……?」
俺の告白に、幼女は声を震わせる。
その乏しかった表情にも、明らかな驚きを見せていた。
「た、確かにあなた……『漆黒の頭髪』をしていますけど……」
転移者。
この世界『アストラルド』に最近になって現れるようになった、特定の人間の総称だ。その特殊性から、こことは違う世界――いわゆる『異世界』から来たのだとされているらしい。
なんでもアストラルドには本来存在しない『漆黒の頭髪』を持ち、同じくこの世界には知られていない知識や技能である『異界の叡智』を披露。この世界のあちこちで、まさに英雄のような活躍をしているのだという。
「…………、」
先ほどから幼女が向けてくる驚愕の目も、つまりはそういうことなんだろう。
幼女は「そ、そうですか」と息をつき、銀髪を整えながら言ってくる。
「そ、それで? その転移者がこんな辺鄙な町の教会になんの用ですか」
しかしその青い瞳は、まるで何かを期待するような上目遣いだ。
俺は言った。
「表に張ってあったバイト募集の張り紙を見て、面接に来たんですけど……」
「バイトの面接!?」
幼女が何故か驚きに目を剥く。
「なんですかそれはっ。ウソをつかないでくださいっ」
「嘘じゃねえよ!? 俺、何か変なこと言ってるかな!?」
「だって他にあるはずです! もっとこう、転移者らしいことが!」
「えぇ……」
幼女の言い分に、俺は心底ゲンナリした。
決まってる。どうせこいつも転移者イコール英雄とでも思ってやがるのだ。
「お前が転移者に、どんな幻想を抱いているのかは知らないけどよ」
「えっ……」
だから俺は言い返した。
転移者の正しい事実を、他ならぬ転移者の口から伝えるために。
「転移者らしいことってなんだよ」
「そ、それは」
「身寄りがない。身元を証明するものもない。転移者の生活の不安定さを舐めるなよ」
「…………」
「正直、今日の食う物にも困ってるんです。ほんとお願いします」
「…………仕方ないですね」
俺の悲壮感漂う懇願に、幼女はひとまず理解を示してくれた。
アルバイトの面接に来たことも信じてくれたようで、この教会の責任者に取り次いでくれることになった。
「悪いのは紛らわしいあなたですから」
「えぇ……いえ、はい。すみませんでした」
「あと、名前くらい教えてください」
「うん? ああ。そうだな……」
そういえばバイトをする以上、名前くらいは言わないといけないよな。
少し考え、俺はこう口にした。
「まあ、別に名乗るほどの者じゃない。ただのクズだよ」
「タダノ・クズ……めずらしい響きの名前ですね」
「は?」
いや、さっきクズ呼ばわりされたことの皮肉で言っただけなんだけど。
「でも、転移者ですし。そういうこともありますね……」
なんか勝手に納得されたし。
まあ別にいいよ、それで。
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