1-3

 妖魔――古くは妖怪や妖精、魔物など、国や地域ごとに様々な呼称で呼ばれていた人外の存在。その種類は多く、性質も様々だが、共通点として――それと同時に他の生物との大きな違いとして、天精マナへの干渉能力を持つという特徴がある。


 天精マナは物質の状態や物理学的な”力”に影響を及ぼすことができる、極小の粒子である。古来より妖術や魔術、呪術と呼ばれていた超常的現象を引き起こす術も、その実態は霊機と呼ばれる道具を介して天精マナを利用する技であった。ごく一部の例外はあるが、基本的に人間自体には天精マナを操る力は無い。

 それに対して、妖魔は己の能力のみで天精マナを操ることが出来る。それも、霊機を用いるよりも遥かに効率良く、効果的に、強大な力を。


 その力が故に、長い歴史の中で妖魔は人類から特別視されてきた。伝承やおとぎ話の中で、畏怖すべき存在として、あるいは忌避すべき存在として。


「それで、菱川だっけ? 妖魔というのは、具体的には何を指しているんだ?」


 菱川恵満えまと名乗った少女は、ウーロン茶で唇を湿らせる。それから、アーロンの問いに答えた。


「あの、鬼です。身体が大きくて、つのが一本生えている」

「角持ちか」と呟くアーロン。恵満は、「角持ち?」とオウム返しに問う。

「ああ。鬼と言ったら、日本では角の生えた巨体の化け物をイメージするだろ。そういう、おとぎ話なんかに出てくる姿の鬼を、他の種類の鬼と区別する為に角持ちと呼んだりする。まあ、普通に鬼という呼び名でも通じるけどな」


「そんなことより」とアーロンは話を変えた。


「鬼の数は? あと、居場所の目処は付いているのか?」

「一匹です。場所については……分かりません」

「一応確認しておくが、その鬼は偽種ぎしゅなんだよな?」

「偽種……人工妖魔のこと、ですよね?」

「ああ、一般人にはそっちの呼び方の方が通りが良いか。偽種は各企業が兵隊代わりに使ったりしているから、脱走した個体が見つかることもそう珍しくは無い。だが、本来の妖魔、真種は違う。人間が狩り尽くしたからな。ほとんど存在していないと言われている。もし、真種に関する依頼だという話だったら、かなりの大事になるんだが」


 恵満は、おずおずと口を開く。


「すみません。偽種だと思います」


 期待はしていなかったのだろう、アーロンは「まぁ、そうだろうな」と唇を曲げた。そして言葉を続ける。


「だが、だったらわざわざ討伐依頼なんて出す必要はないと思うんだがな」

「え? 何でですか?」


 恵満が驚きを見せる。同時に、不安を覚えているようにも見えた。

 アーロンは肩を竦め、


「偽種の知能は、基本的に低い。獣と同程度と言われている。弱い個体であれば町中でも人間に見つからないように隠れたりもするが、鬼のように凶暴な個体の場合は違う。人間を食らう為に暴れて、駆除される――」

「え? 人を食べるんですか?」


 心底驚いたように、恵満が言う。アーロンは呆れたように薄笑いを浮かべた。


「知らないのか? 妖魔は生きる為に天精マナを必要としている。大気中の天精マナを得ることでも生命は維持できるが、動植物が内部に溜め込んでいる天精マナを食らった方が効率が良いんだ。そして、人間はあらゆる生命の中でも飛び抜けて貯蔵量の多い天精マナのタンクだって話だ。だから、知能の低い妖魔は見境なく人間を襲い、そのせいで人間に殺される。つまり、鬼がこの都会のど真ん中で生き続けることなんて、まず不可能ってことだ。だから、お前さんが金を出して依頼なんかしなくても、その内誰かが仕留めてくれると思うがね」

「それでは駄目なんですっ!」


 激しい否定の言葉だった。驚き、アーロンが上体を仰け反らせる程に。

 我に返った恵満が、恥じるように身を縮こまらせる。


「すみません、声を荒らげて」

「いや、いいさ。何か事情があるってことだろうしな。だが、鬼の居場所が分からないってことは、所有する土地に居座られて迷惑しているとか、そういう直接的な実害は無いんだろ? だったら、他人に狩られるのを待っても良いと思うんだがな」

「いえ、それでは困るんです。あの……」


 言い淀み、それから恵満は思いついたように「そう!」と声を上げた。


「父のかたきなんです。だから、どうしてもわたしが、その鬼の死を確認したいんです」

「仇、ね」


 胡乱げに目を細めるアーロン。だが、追求するつもりは無いようだった。話を先に進める。


「鬼を見つける手がかりはあるのか?」

「右目が、潰れています。あと、左腕の肘から先がありません」

「特徴としては十分か。で、幾ら出すんだ?」

「え?」

「報酬だ。それ次第で、雇えるクラウダーのランクが変わってくる。ランクが変われば、依頼の成功率も変わってくるんだ」

「ひゃ、百万円でお願い出来ますか?」


 ふむ、とアーロンは顎に手をやった。


「鬼一体。探すところからってことも考えると、その三倍は出して欲しいところなんだがな。それなりに戦闘が得意な奴が必要だし、捜索スキルも必要だ」

「三百万は、ちょっと……何とかなりませんか?」

「何とかしてやりたいがな。角持ちの鬼は決して楽な相手じゃない。リスクと手間に見合った報酬が無ければ、仕事を受けるクラウダーなんて――」


「はい」


 それまでカウンターの隅で静かにジンジャーエールを飲んでいたアゲハが、唐突に挙手した。


「いるじゃない、ここに。戦闘が得意な奴と、捜索が得意な奴の最強コンビが」


 アーロンは人差し指で額を掻く。


「あー、まぁ、妥当か」


 その言葉に驚いたのは恵満だった。視線をアゲハとアーロンの間でせわしなく往復させる。


「え、あの。あの、まだ若いですよね? 十代じゃないですか?」

「まぁ、そうだな。お前さんと同じくらいか。だが、それなりに実績もあるクラウダーだ。腕も悪くはない」


「悪くないどころか、凄腕だよ」と、アゲハが胸を張る。アーロンはそれを鼻で笑い飛ばし、


「百万だぞ? 割に合わないと思うがな」

「でも、困ってるんだよね?」


 アゲハの問いかけは、アーロンではなく恵満に向けられたものだった。

 恵満は、「あ、はい」と答える。


「だったら、値段は百万で問題無いよ。お客さん、何だか必死みたいだし。どう? 鬼退治、私に任せてみない?」


 真っ直ぐな眼差しを前に、恵満は思わずと言った風に目を伏せる。それから、不安を訴えるようにアーロンを見た。

 アーロンは片眉を上げ、


「クラウダーってのは、ならず者だ。依頼主を騙して金を巻き上げるようなクソ野郎も、中にはいる。お前さんみたいな一般人は、特に舐められがちだ。だが、まぁ……」


 そこで言葉を切り、親指でアゲハを示し、薄く笑みを浮かべた。


「そいつに関しては、その心配はまず無いな。性根が曲がってはいないのは、そのアホ面を見れば分かるだろ」

「ちょっと、こんな美人を捕まえてその言い草は酷いと思う」

 噛みつくアゲハに、「自分で美人とか言うなよ。っていうか、褒めてんだろうが。分かれよ馬鹿野郎」とアーロンは返す。

「どう考えても褒めてないでしょ。あなたはその口の悪さをどうにかした方が良いよ」

「うるせー。これは俺の個性だ」


 二人のやり取りに、恵満はくすりと小さく笑う。

 それを見て、アーロンも表情を和らげた。そして言葉を続ける。


「さっきも言ったが、こう見えて腕は悪くない。それに、お前さんの提示した金額で依頼を受けるクラウダーは、他にはいないだろうな」


 恵満はもう一度目を伏せ、それから決心したようにアゲハを見る。


「あの、お願いします」

「お願いされちゃいます。前金で二十万。残りは成功報酬ということで良いかな?」

「はい。構いません」

「じゃあ、決まりね。宜しく」


 そこに、アーロンが言葉を挟む。


「話がまとまってから訊くのもなんだが、相棒には相談しなくて良いのか?」

「大丈夫。ティーは妖魔関係の依頼なら文句言わない筈だから」


 そして、アゲハは改めて恵満に向き直った。


「早速、明日から仕事にかかるね。吉報を待ってて」


 言って、アゲハは乾杯を促すかのように、ジンジャーエールのコップを掲げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ガンメタリック・スノウ 大川康 @kouookawa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ