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 焼き鳥バー”ダブルムーン”の狭い店内は、閑散としていた。

 炭火で焼かれる鶏肉の香りと煙の中、8つあるカウンター席には談笑する一組の男女の姿しかない。

 カウンター正面には多種多様な酒の瓶が並び、その前でバーテンダーの制服を着た東南アジア系の若い女性店員が、慣れた手付きでシェイカーを振っている。

 その隣では、白Tシャツに黒エプロン姿の大柄な黒人男性が、禿頭とくとうに汗を浮かべ、鍛え抜かれた逞しい筋肉を躍動させながら焼き鳥をひっくり返していた。

 アーロン・ミラー。三十八歳。ダブルムーンの店主であり、焼き鳥と酒を愛する男である。悩みは、その巨躯と強面こわおもてのせいで、一般の新規客が店に足を踏み入れたと思ったらすぐに帰っていってしまう、という事例が少なくないことだ。

 そもそも、退廃地区スラムにほど近い寂れた地域に店を構えている為、普通の客などそうそう来ないのだが。この店に来るのは、よほどの変わり者か、あまり素行の宜しく無い者達、そして最も多いのは、クラウダーだった。


 不意に、入り口のドアがベルを鳴らしながら開く。

「いらっしゃい――」


 アーロンは言いかけて、言葉を飲み、次の瞬間には眉間に皺を寄せて怒鳴った。


「待て! 入るな! そこにいろ!」


 言われた通りに足を止め、気まずさを誤魔化すように緩い笑みを浮かべているのは、アゲハである。

 その戦闘用スーツ姿を睨みつけ、アーロンは幾分語調を和らげて言葉を続ける。


「お前、下水道から出たばかりだろ。依頼達成の報告をさっきクソガキがしてきたぞ。何しに来やがった」


 アゲハは気後れすることなく、へらへらと笑いながら顔の前で両手を合わせる。


「アーロン、お願い。シャワー貸して?」

「はぁ? 冗談だろ? シャワールームが下水臭くなるじゃねーか」

「そう言わずに。ちゃんとシャワールームも洗うから。ね? わたしを助けて?」


 溜め息を吐くアーロンを、バーテンダーの女性がもの言いたげに見る。その視線を横目で確認し、アーロンはもう一度深く吐息した。


「あのクソガキのせいか?」


 アーロンの言葉にアゲハは希望を見出したのか、激しく頷く。


「そうそう。ティーが身体を綺麗にしてからでないと、家に入れてくれないって」

「動くな動くな。臭いを撒き散らすな。無理やり入れば良いだろうが」

「いやぁ、防犯用の各種センサーの中に、臭気センサーもあるから。多分、入ろうとすれば高出力レーザーが眉間に穴を開けてくる」

「どういう家だよ」


 呆れたように呟き、それからアーロンはバーテンダーの女性に声をかけた。


「イェン。悪いが、面倒を見てやってくれ」


 イェンと呼ばれた女性は頷き、アゲハの傍に歩み寄る。アゲハの身体から立ち上る悪臭に反応することもなく、冷たさを感じさせる美貌に仮面のような無表情を張り付かせたまま、「裏口から」と案内を始める。


「ありがとー」と手を振り、イェンについて行くアゲハ。

 それを見送ることはせず、アーロンはすぐに焼き鳥に向き合った。焼き上がった鶏皮に齧り付き、恍惚の溜め息を吐いた。そして、しみじみと自賛する。


「うめぇ。天才か」


   *   *   *


 アゲハが店内に戻ってきた時、客は一人も居なくなっていた。


「お風呂ありがと。あと、イェン。服も貸してくれてありがとうね」


 裾を折り曲げたジーパンと、可愛らしい猫のキャラクターがプリントされたTシャツ姿で、アゲハはイェンに向かって手を振る。

 イェンは無言で頷き、グラス拭きの作業に戻った。

 アーロンはアゲハが履くブーツを見て、顔を顰める。


「お前、もしかしてシャワールームでブーツを洗ったのか?」

「サイズ違いの靴を借りても歩きにくいし。でも、ちゃんと壁も床も洗ったから。臭いも付いていないと思うよ。たぶん」


 言いながら、アゲハはアーロンと向き合うように、カウンター席に座る。


「皮一本、ねぎま一本、かしら一本。かしらだけ塩で。あとジンジャーエール」


 アゲハからの注文通りの串を木炭コンロの上に並べながら、アーロンは世間話でもするかのように切り出した。


「依頼の成功を確認した。さっき、依頼主からも連絡があったぞ」


 アーロンは通称”仕事屋”と呼ばれており、クラウダー向けの裏の仕事の仲介及び斡旋をしていた。

 クラウダーはその仕事柄、敵が多く、命を狙われている者も少なくない。そういった事情から生活圏を隠している者も多く、伝手つての無い者がクラウダーを見つけ出すことは難しい。頼みたい仕事に適しているクラウダーを自力で探すとなると、不可能と言っても過言ではないのだ。だから、仕事屋が必要となる。

 仕事屋は、その裏社会における信用度の高さと、幅広い情報網を活かして、依頼者とクラウダーを繋げる役割を担っているのであった。


 ふと思い出したように、アゲハは問いかける。


「残りの仕事があると思うけど、依頼主の方でやるの?」

「そいつは、お前に関係ない話だな。報酬は既に振り込んである。確認しておけ」


 言われて、アゲハは自分の口座情報にアクセスした。数字が目の前に浮かび上がって見える。脳への信号を制御することで、そのように知覚させる仕組みだ。確かに、入金されていた。

 報酬額からアーロンの仲介手数料が差し引かれ、その上でティーと分配している為、だいぶ少なくなっている。それでも、一般的な会社員の平均月収と比較すれば、桁の違う額ではあるが。


 口座情報の表示を消したアゲハの眼前に、イェンが音も無くグラスを置いていった。炭酸の泡が弾け、ショウガの香りが鼻孔を刺激する。一口含むと、甘さとほのかな辛さが心地良い。

 幸福そうに吐息するアゲハに、アーロンは鼻を鳴らし、


「どうせなら酒を飲めよ。焼き鳥には酒が一番だ」

「未成年なんで」

「知ってるか。お前の仕事は未成年飲酒禁止法が霞んで見えなくなるくらいの、不法行為の塊だってな」

「冗談だよ。知ってるでしょ? わたしがアルコール嫌いなの」

「そろそろ好きになってるかもしれないだろ」

「ならないよ」


 アーロンは不服そうだが、それ以上は言わなかった。焼き直しの終わった串を皿に並べ、アゲハの前に差し出す。

 アゲハはねぎまに息を吹きかけ軽く冷ますと、鶏もも肉を一欠、口に入れた。咀嚼し、飲み下し、


「うーん……好き」

「情熱的な告白をどうも」と返すアーロン。

「どう致しまして」とアゲハ。そのままもう一口食べようとして、固まった。刺すような視線を感じ、ゆっくりと首を動かす。そして、グラスを手に鋭く睨みつけるイェンと目が合う。


「あ、あの。焼き鳥の話だからね?」

 思わず、アゲハの声は裏返った。

「そうだぞ。勘違いするなよ?」

 アーロンも顔を強張らせながら、弁解する。


 イェンは無言のまま、グラスにブランデーを注いだ。そして、何事も無かったかのようにグラスに口を付ける。

 アゲハはアーロンを睨みつけ、


「ちょっと、変なこと言わないでよ」

「お前もノッて来んなよ」


 二人は睨み合い、それから同時に疲れたように肩を落とした。

 アゲハは気分転換にジンジャーエールを飲む。一息吐き、


「ねぇねぇ仕事屋さん。紹介できる依頼、入ってない?」

「一案件終わったばかりだってのに、仕事熱心だな。依頼は無いが、募集ならあるぜ」

「募集?」

「企業の兵隊募集だ」


 企業という単語に、アゲハは片眉を揺らした。

 世界は、各国の政府ではなく、幾つかの巨大企業グループによって牛耳られている。政権争いや国家間の交渉は全て、政治家達を掌握する企業同士の争いに他ならない。

 潤沢な資金によって国を操り、機械式強化人間ネクスト等の力をって他者から奪う。企業の存在は、表社会においては富の象徴だが、裏社会では暴力の象徴である。どんな犯罪者組織も企業に逆らうことはまずしない。企業とまともに戦うことが出来るのは、企業だけだ。


 ああ、とアゲハはうんざりしたように声を漏らす。

「またどっかの企業同士でいさかいが加熱してるわけ」

「お前らクラウダーにとっちゃ稼ぎ時だろ」

「いつも言ってるでしょ。企業と深くは関わりたく無いって。こっちの裁量でこなせる依頼を受けるくらいなら良いけど、一時的にでも指揮下に入るなんて絶対無理」

「はいはい、そうだろうさ。つまりお前向けの仕事は無いってことだ」


 言って、アーロンは焼き鳥に齧り付いた。堪能するように目を閉じ、そして動きを止める。両目を開き、口内の肉を飲み下し、愕然としたように呟いた。


「おいおい。マジかよ」

「どうかした? 実は鶏肉じゃなくて豚肉だった?」


 茶化すアゲハ。イェンはじっと、横目でアーロンの反応を待つ。


「馬鹿言え」と返したアーロンの調子は、いつも通りのものだった。深刻ぶるわけでもなく、淡々と言葉を続ける。

 

「あるチームに依頼を斡旋していたんだがな。全滅したらしい。今、知り合いから報告があった」

「それはまた、悲惨だね。でも、よくあることでしょ」


 アゲハも、淡々と返す。裏社会の住人にとって、死はとても身近なものだ。クラウダーチームの全滅は、珍しい話ではない。


「ああ、よくあることだ。だがな、そのチームってのがスティングレイなんだ」

「嘘」とアゲハは目を見張る。「ベテランじゃない」

「そうだ。十年間、メンバーを一人も欠けることが無かった熟練者達だ。計画性の高さと慎重さ、腕の良さとチームワーク。全てがハイレベルでまとまっているチームだった。お前らみたいな、組んで二年も経っていない洟垂はなたれとは違う」


 アゲハは不満そうな顔をするも、否定は出来なかった。

 大半のクラウダーは、三年以内に死亡する。生き残った者達の内、半数は五年ももたない。それだけ過酷な世界で、十年間同じチームメンバーで活動するというのは、並ならないことである。


 アゲハは焼き鳥を齧り、呟く。

「驚いた。鶏肉だと思っていたものが実は豚肉だったくらいに、驚いた」


 それを聞いて、アーロンは「あー」と声を出しながら額を掻く。


「ちなみにお前が今食ってるそのな。鶏肉じゃなくて豚肉だからな」

「え、嘘だべ」

 思わず方言が出てしまったことに赤面し、アゲハは咳払いする。それから、真剣な眼差しでアーロンを見上げた。


「ちなみにそれ、どんな仕事? 実行部隊が一人でも可能?」

「おい、本気か? 今の話、理解してるんだよな?」


 いぶかしげにアゲハを見下ろすアーロン。その視線を真っ向から受け、アゲハは不敵に笑う。


「もちろん。スティングレイが全滅したなら、依頼ランクが上がるでしょ? 報酬も釣り上げないといけない。なら、無関心ではいられないよね。ま、受けるかどうかは内容次第だけど」


 話にならないと言わんばかりに、アーロンは首を振った。


「十年目の六人チームで失敗した依頼を、ひよっこの二人組がこなせるなんて考える奴がいたら、そいつはただの馬鹿だ。仕事屋として、お前らには任せられない」

「でも、腕には自信あるよ?」


 力こぶを作る仕草を見せるアゲハ。アーロンは鼻で笑い、


「ひよっこは皆、そう言うんだ」

「それでも、私達は特別だと思うよ?」

「皆、そう思ってるんだ。で、実力に見合わない無茶をして、死んでいくんだよ。そういう馬鹿どもが無駄死にしないように、見合う仕事を見繕うのも、俺の仕事ってわけだ」


 アーロンに取り合うつもりが全く無いことを理解し、アゲハは唇を尖らせる。不満げに、「うー」と唸る。

 アーロンは素知らぬ顔で、ねぎまに齧り付く。


 その時、不意にドアベルが鳴った。


「いらっしゃい」と、アーロン。

 アゲハは不貞腐れ、食べ終わった焼き鳥の串で皿を軽く叩いている。来訪者には、目もくれない。


「お好きな席にどうぞ」


 アーロンが促すが、新しい客は立ち止まったまま、動かない。緊張したような面持ちのまま、店内を見回す。

 その人物は、十代後半くらいの、黄色人種の少女だった。小綺麗な私服姿から、この近辺の住人ではないように思われる。


「お客さん?」


 アーロンに改めて声をかけられ、少女はアーロンへと視線を向ける。やはり緊張をはらんだ瞳で、じっとアーロンを見つめる。

 それから、恐る恐ると言った風に、問いかけた。


「ここ、仕事屋なんですよね?」


 アーロンは驚いた風もなく、「ああ」と頷く。

 すると女は、安堵したように深く吐息し、それから改めてアーロンを見た。

 決意を込めた眼差しで、口を開く。


「お願いが、あるんです」


 そこで少女は、今更気づいたように、カウンター席で焼き鳥の串を弄ぶアゲハを見た。少女が躊躇うように口を閉じたところで、アーロンが言った。


「そいつは気にしないで大丈夫だ。話してくれ」

「あ、はい」


 少女は尚もアゲハを気にしている様子だったが、意を決したように唇を引き結んだ。口内の唾液を飲み下し、改めて口を開いた。


「妖魔を、退治して欲しいんです」

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