ガンメタリック・スノウ
大川康
第1話
1-1
ヘリのローターが風を切る音と、アサルトライフルの連続的な銃声が、無数の悲鳴を引き裂いていく。
宵闇の中、降り注ぐ雪を貫く銃火。純白の中に散る、鮮血の紅。
その阿鼻叫喚のただ中に、少女は居た。
狩られていく女達の断末魔の叫びを、まだ幼いその少女は、ただ聞いていることしか出来なかった。
木の陰で
どうか見つかりませんようにと、願いながら。
その願いは、叶えられなかった。
複数の足音が、少しずつ近づいて来る。立ち止まる。
恐る恐る、少女は顔を上げた。そして、自分へと向けられる黒い銃口を見た。
身の毛がよだつ。吐息が凍る。思考が、白に染まった。
不意に、それまで穏やかだった風が激しさを増した。風は雪を
虐殺者達が戸惑いの声を上げ――それは直ぐに苦鳴へと変わった。
そして、吹雪のカーテンの隙間から、一人の女性が姿を見せる。
それは少女の母親だった。少女は安堵と共に母を呼ぼうとして、
母の美貌には、少女にいつも見せてくれていた、大好きな微笑みは無い。冷ややかな無表情と、悲しみと怒りの
母の冷たい手のひらが、少女の頬を撫でる。次の瞬間、先程までの無表情が幻のように消え去り、切なげに潤んだ瞳が少女の顔を覗き込んだ。そして、母の両腕が少女を柔らかく包み込む。
「幸せさ、なれよ」
訛りのある声がほんの少しの温もりを残し、吹雪の中に飲まれていく。母の背中と、一緒に。
少女は母の姿を追うように、手を伸ばした。銃声の続く、白い闇の方へ。
そして、母を呼んだ。声を振り絞って、胸中を掻きむしる不吉な予感から逃れるように。
けれども少女の呼び声は、吹雪の前に呆気なく掻き消されてしまうだけだった。
* * *
周囲を覆い尽くすのは、視界を奪う闇と、鼻がまともに利かなくなる程の酷い臭気、そして水滴と流水が織り成す退屈で不快な旋律だった。
劣悪極まりない環境である。かなり古い下水道である上に、都政から見放された
そんな下水道を、アゲハは危なげない足取りで進んでいく。
闇も、臭気も、そして下水道に進入する際には注意するべきとされている、危険なガスが滞留している可能性も、彼女にとっては障害ではなかった。
機械化された眼球が持つ暗視機能によって、濡れた路面に転がるネズミの死骸すらはっきりと認識することができた。
各種ユニットによって機能拡張された呼吸器は、酸素収集効率を高めると同時に毒性のある物質を除去し、生体部分が害されることを防いでいる。
全身の多くの部位を機械化した
「はぁ、脳みそまで臭くなってそう」
深く、アゲハはため息を吐く。
不意に声が聞こえて来た。
「嗅覚も遮断しているのであろう? 何をぼやくことがある」
口調の古めかしさに反して、若い……幼さすら感じさせられる、少女の声。それは、すぐ近くから話しかけられているかのように聞こえた。実際には、アゲハの頭部に埋め込まれた通信ユニットが音声データを受信し、耳で聞いているかのように知覚させているのだが。
足を止め、アゲハは不満げに言葉を返す。
「これは気分の問題。あなたも一緒にこの素敵なナイトプールを満喫すれば、わたしの気持ちが分かる筈だよ」
「申し訳ないが、浮き輪を持っておらんのでな。今夜は一人で楽しんでおれ」
「ティー。あなたの付き合いの悪さは、どうにかした方が良いと思うよ。年上からの忠告」
少女――ティーが短く喉を鳴らすのが聞こえた。
「年上、か。
「事実でしょ。わたしは十七歳。あなたよりも年上」
「年齢差は必ずしも経験や知識の差には結びつかぬことは、そなたも分かっておるであろう。くだらぬことを
「了解了解。あと、田舎娘言うな」
ティーからの返答は無かった。アゲハはやれやれと首を振り、気分を改めて再び歩き出す。ぬめりを帯びたコンクリートの上を、慎重に一歩ずつ進んでいく。
そして、五歩目で再び足を止めた。
目を閉じ、呼吸を整え、集中する。
それから目を開き、呟いた。
「ティー。感知した」
返答はすぐにあった。
「
「うん。
「やれやれ、やっとか。これでこの忌まわしい仕事から開放されるな」
「そうだね。その、片手でお煎餅の袋を漁る音と、後ろのゲーム音を止めてから、もう一度同じことを言ってくれる?」
「そなたのボディに異常は無し。マナ・コンバーターも正常動作中。アゲハよ、
「モニタリング報告どうも。こんな場所だと、あなたは仕事が少なくて羨ましいね」
言葉を終えると同時に、再び歩き出す。
分岐に差し掛かるが、迷いなく右の道を選び、進んでいく。
三分経った頃、アゲハは鉄扉を見つけていた。暗視機能を切り、肉眼と同等の視覚に戻す。腰のベルトから右手で自動拳銃を抜き、銃口の下に取り付けられたフラッシュライトで扉を照らす。
錆が浮き、汚れがこびりついている。見るからに古い代物だ。
アゲハは、無言のまま左手で取っ手を掴み、開け放つと同時に中へ足を踏み入れた。
薄暗く、狭い室内。幾本もの
人数は七人。皆が一様に、時代錯誤とも思える灰色のローブに身を包んでいる。人種はばらばらだ。
男達は、呆けたようにアゲハを見ている。身じろぎ一つしない。
それも仕方の無いことかもしれない。
まず、こんな場所に誰かがやってくるなど、考えもしなかっただろう。だから、扉に鍵はかかっていなかったし、監視カメラも仕掛けられていなかった。無用心極まりないが。
更に、侵入者が年若い少女――しかも、
淡い光の中に立つアゲハの姿は、それほどまでに美しかった。
大きな瞳は深い闇のような黒色で、傍目には人工物の眼球であるとは分からない程に自然で、鋭くも神秘的な光を灯しているように見えた。
肩の辺りで切り揃えられた髪は、瞳と同じ黒色で、絹糸の様に艶やかである。
透き通った色白の肌は、ホクロもニキビも見当たらず、さながら雪細工のようであった。
小柄で華奢な身体を包み込むのは、伸縮率の高い素材で出来た黒のボディスーツと、多くの装備が収納出来る黒のタクティカルベストである。その、明らかに非日常的な服装すら、アゲハの魅力を引き立たせる為の装束のようであった。
「な、何者だ」
男達の内の一人が、ようやく言葉を吐き出した。その胸元に、逆五芒星のペンダントが鈍く輝いているのが見える。
「成る程」とアゲハは男達に銃口を向けたまま、呟いた。
「呪詛は
男達が、一斉に懐から銃を抜いた。その刹那に、銃声が七つ。
そして、六人の男がその場に
「呪詛なんかより、こっちの方がよっぽど早いよね」
華奢な手に似合わぬ大口径の自動拳銃を眼前に
驚異的な早撃ちを前に、ただ一人生き残った男がその場に膝を突いた。銃撃によって吹き飛ばされた右腕と銃が、男の後方に転がっている。
男の顔は、両目のあるべき場所にレンズを備えた機械のパーツが埋め込まれていた。その見た目だけでも、男が
「なんだ。なんなんだお前はっ?」
機械パーツの為に表情が分かりにくいが、男は驚愕し、戦慄し、混乱しているようだった。少なくとも、声の震えからそう思われた。
「そこら辺によく居る、クラウダーだよ。報酬を貰って、裏の仕事を請け負う。まぁ、銃の腕にはちょっと自信あるけど」
暗殺、護衛、窃盗、輸送、破壊工作やデータ窃取等、非合法なものも含むあらゆる依頼をこなす集団、それが一般的なクラウダーの定義だ。
チームを組むことで得られるメリットは多い。人数が増えれば、単純に規模の大きな仕事ができる。メンバーの得意分野を多様化させることで、より幅の広い仕事も受けられるようになる。ミスをカバーし合えることで、仕事の成功率も上がる。
故に、ほとんどのクラウダーはチームを組む。アゲハがティーと組んでいるように。
特定の主人を持たず、自分達の利益の為に闇夜を駆け抜ける
アゲハは銃口を男の額に向けたまま、問いかける。
「一応聞いておくけど、誰に頼まれたの?」
男は無言を貫く。憎悪を込めて、アゲハを睨みつけながら。
アゲハは嘆息し、
「そ、か。覚悟は出来てるわけね」
銃声が一つ。男の左肘が砕け、血を吹き出す。
アゲハは一瞬で間合いを詰め、苦悶に歪む男の首を左手で鷲掴みにする。そのまま強引に床に押し倒す。男の首を圧迫し、動きを封じる。
その姿勢のまま銃を手放し、代わりに腰のベルトから取り出したのは金属製の円筒だった。
脳に埋め込まれたコアユニットから起動命令を送信。円筒の先端が割れ、細長い針が姿を見せる。それを、身動きの出来ない男のこめかみに、突き刺した。
男が口を大きく開き、苦痛の息を吐く。全身が激しく震える。鼻血が、流れ出る。
アゲハは男を押さえつけたまま、淡々と言った。
「悪いけど、同情はしないよ。あなた達のいい加減な呪詛は、標的の男だけじゃなく、その家族まで巻き込んだ。小さい子供が死んでるんだ。わたしは、そういうやり方は嫌い」
唐突に、男が動きを止める。口を開けたまま、動作を停止したロボットのように硬直してしまう。呼吸も、止まっていた。
不意に、ティーの声がした。
「終わったぞ。脆弱な
「成果は?」
「こやつらの依頼主が判明した。依頼達成だ。わしらの依頼主が、まだ死んでおらねばだがな。まぁ、恐らくは間に合っただろう」
それにしても、とティーが続ける。
「アゲハよ。短慮が過ぎんか?」
「何の話?」
「その男が護衛の為に雇われた者だったならば、必要な情報は得られなかったであろう。呪術を行うような連中の中に
「同じペンダントを着けてた。同一グループのメンバーだと判断するには十分じゃない?」
「確証とは言えぬ。先程の場合は他にも数人捕らえておき、自白の――」
「分かった。次から気をつける。だから勘弁して。あなたの説教は長過ぎるんだよ」
不満そうにティーが鼻を鳴らすのが聞こえた。そして、静かになる。
アゲハは安堵の息を吐き、自動拳銃を拾い上げて腰ベルトのホルスターに戻す。
「すまぬが、言い忘れていた。銭湯に寄ってから帰ってくるのだぞ。臭いを落とさねば、家には入れてやらぬ」
ティーの言葉に、アゲハは自分の身体を見下ろす。闇に紛れて活動することを重視した、ボディスーツとタクティカルベストの組み合わせだ。
「ちょっと待って。この服装で銭湯に行けって言うの? 明らかに不審者でしょう」
「目立つのが嫌ならば、公園の噴水でも浴びるのだな。この時間ならば、人目もあるまい。夏の終わりとは言え、まだ暑い。さぞかし気持ち良かろうて」
アゲハは天井を仰ぎ、嘆息する。
「わいはぁ」
「方言が出ておるぞ。田舎娘」
アゲハは力なく歩き出す。一体どうしたものかと悩みながらも鉄扉の取っ手を掴み、思い出したように呟いた。
「田舎娘言うな」
そして、悪臭と闇の空間へと、足を踏み出した。
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