第3話 私の依存できるもの

学校はお昼に終わったけど、真瑚と少し遊んでから家路を辿った。

「ただいま···」

「おかえりー!」

私が帰ってきてすぐ、甲高い声が聞こえてきた。

「今日は何時から勉強するの?」

「···七時からするつもりだよ」

私が言ったあとに、お母さんが不機嫌になったのがわかった。お母さんは顔に出やすいから。

「七時?いくらなんでも遅すぎよ。今から勉強しなさい、今から。それが”普通”でしょ?」

聞いてきたのはそっちじゃん。理不尽すぎるよ。

「別にいいでしょ。私が何時から勉強を始めようと、お母さんには関係ないじゃん」

しまったとは思ったけど、私の口は止まらない。

「なんで私は普通じゃないの?お母さんたちの普通を押し付けないでよ!私は友達とかと学校帰りに普通に遊んだりしたいんだよ!」

私はお母さんを押しのけて、自分の部屋に籠った。

ドア越しにお母さんの怒鳴り声が聞こえるけど、もう気にしない。

私は勉強尽くしの毎日じゃなくて、友達と遊びたい。遊んでたとしても時間が限られる。

遊ぶのに夢中で、少しでも塾に遅れたら親に怒られる。それも一日中。

もう、本当にうんざりなんだよ。知ってた?私がここまで追い込まれてるの。知らなかったでしょ?さっきのが本音なんだよ。

親なんだから、少しはわかってよ。

私の言い分も聞いてよ。

「はぁ···」と、ついため息がこぼれてしまう。

制服を着たままベッドに寝転ぶなんてやったことないな。シワがついちゃうからさっさと脱いでってお母さんに言われて、毎日学校から帰ってきたら、手洗いの次に制服をクローゼットにしまってた。

でも今日は違う。今日だけは、私の家のルールを全て破る。

・家に帰ってきたら必ず制服を着替える

・家に帰ってきて三十分〜一時間以内に勉強を始める

・親が家で残りの仕事を片付けている時は夜ご飯を作る

それ以外にもたくさんの掟がある。それも全部破る。そして、やりたいことをやる。

それでお母さんたちに怒られたって何も思わない。『愛されてないんだな』って感じるだけ。

でも私は、幼い頃から愛されてなかったから慣れっこだ。

私が風邪を引いて、お母さんたちが看病をしてくれなくても、もう泣かない。テストで悪い点を取って怒られても、もう泣かない。でも、その点数も決して低くはないと思う。だって八十九点だよ?別に低すぎるってわけじゃないじゃん。

「千夏くんに会いたいな······」

気が付けばそんなことを口にしていた。自分でも『は···?』って驚いた。

会いたいって、普通に?それとも、遊びたい?勉強会とか?

─いや、違う。今までに感じたことのない感覚が私を混乱させている。心臓がドキドキと、いつも以上に大きく鼓動してて胸が痛い。

「恋するって、こういうことなのかな···」

前に何度か、真瑚に聞いたことがある。

好きな人が出来たら、その人のことを考えたり見たりするだけでドキドキと胸が高鳴るらしい。いわゆるそれが『恋』だと。

なら、私の今のこの感情は恋なの?病気?

理解不能なこの感情を忘れるために、私はベランダに出た。

夜空というキャンバスには星が数個輝いている。一番強く光っている星は赤色をしている。

「綺麗···」

ここ最近、まともに夜空さえ見てなかったな。この時間もずっと勉強してたから気付かなかった。こうやって星空を見ることも、家族ではやったことがない。天体の勉強でならあるけど。夜の七時半。いつもなら夜ご飯を食べている時間帯だけど、今は向こうに出て行きたくない。

生暖かい風が、私の頬を優しく撫でる。その感覚に少しくすぐったさを覚えた。

星空の写真を何枚か撮って、その写真を加工する。我ながら上手く出来たと思ったものは待ち受けにした。

私がスマホをポケットに入れようとした時、ヴーッと振動した。

画面を見ると、『下、下!』とメッセージが送られてきていた。

指示通り下を見ると─そこには千夏くんが大きく手を振っているのが見えた。

再度スマホの画面に視線を戻すと、『千夏くん』と、メッセージの部分に書かれていた。

そういえば今日、交換したんだった。

今度は電話の着信音が鳴り始めた。それも千夏くんからだった。

「もしもし?」

少し緊張した声で言う。

『もしもし!』

「びっくりしたよ。千夏くん、家この辺なの?」

『この辺じゃないけど、犬の散歩コースがこっちなんだよね』

そう言う千夏くんの足元には、元気に飛び跳ねてるチワワがいた。

「可愛いっ!」

『でしょ?触りに来る?』

「え、いいの!?······あ、でもごめん。今は外に出たくないんだ······」

『そっか。···ねえ、奈緒』

千夏くんが私の名前を呼ぶだけで、心臓が一層大きく息をする。

『俺に何か出来ることない?』

「···!」

優しいね、やっぱり。

「でも、大丈夫。その気持ちだけで嬉しいよ」

ありがとう。

『俺さ、奈緒が苦しんでるのは見たくないから、今は嫌かもだけど、絶対いつかは相談しろよ!』

マンションのベランダからでもわかるくらいににっこりと笑う千夏くん。そんな彼を見て、益々心臓の鼓動が大きくなる。

ああ、やっぱり私、千夏くんに恋してるんだ。

でも、彼との恋は叶わない。

彼は人気者で、私とは住む世界が違う。そんな千夏くんには、私だけっていう特別を作って欲しくない。

「絶対に相談するね」

今は無理だし、多分これから先も君に相談することは無理だよ。だからごめんね。

この気持ちには、私も気付きたくなかった。

「ごめんね、千夏くん」

その言葉を最後に、私は電話を切って部屋に戻った。


***


続いてのニュースです。

今朝、七階建てマンションの下で女子高生の遺体が発見されました。警察は屋上からの飛び降り自殺とみて捜査を進めています。少女は、付近の高校に通っており、生徒からの人気は高かったと言われています。学校でのトラブルは無いことから、家庭内トラブルではないかと推測され、警察は彼女の両親に事情聴取しています。

飛び降り自殺をした女子高生は──佐々木奈緒さん、十七歳です。



信じられなかった。奈緒が死んだ。

朝起きてきて、姉の杏奈が「これ、あんたの高校じゃない?」って言ったのが発端だった。

昨夜見た奈緒は亡霊か?

違う。あれは死ぬ前の最後の奈緒の姿だ。

どうしてもっと話を聞いてあげられなかった?どうしてもっとしつこく質問しなかった?どうしてあの時家の外に連れ出してやれなかった?

俺の中にはそんな自分を責める言葉がいくつも押し寄せてくるが、俺はそれ以上に、”好意を寄せていた子”を失ったことの喪失感に耐えられなかった。

「う、あ···っ、ああぁぁぁっ!!」

「ちょっと、千夏!?」

杏奈と母さんが、泣き叫ぶ俺を心配する声が聞こえるけど、俺はお構いなしに泣き続けた。

「なんで···っ、なんでっ!俺は、なんで奈緒を······っ!!うあぁぁぁぁっ···!!!」

こうなってしまうくらいなら、好きだって言えば良かった。ごめんって言われたとしても、伝えるだけ伝えれば良かった。

もしいいよって言われたなら···奈緒を助けることが出来た。

それなのに俺は言わなかった。この気持ちを躊躇ったあの時の自分を物凄く殴りたい。

自暴自棄になって、家の物を投げまくる俺を、杏奈と起き抜けの父さんが抑えて、母さんは恐怖で泣いている。

「奈緒···、ごめん······!」

父さんと母さんはわからないが、杏奈はきっと今の一言だけで、俺が今何に怒っているのか察したと思う。そういうとこは鋭いから。

奈緒。奈緒。俺は何度も彼女の名前を口にする。その声は驚くくらいに震えていて、自分でも後悔しきれないくらい悔しいことがわかる。




警察が家宅捜査で見つけた、机の上に置いてあった小さくて可愛いメモ帳に、佐々木奈緒が書いたと思われる一言が、この上ないくらいに苦しく、切ないものだった。


『崎守千夏くんが大好き。』


少女が伝えられなかった大好きと、たくさんのありがとうとごめんなさい。それが自分に向けて書かれたものだということを、少年はまだ知らない。

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一生無縁の恋物語 なゆた @YueshiroNagi

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